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パソコン創世記
ビル・ゲイツ アルテアにベーシックを書く

アルテアとS-100バス

富田倫生
2009/12/9

「マイクロソフトの誕生」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 マイクロソフトは当初からMITSと契約を結んだが、MITSに断りなくアルテア用の製品を開発する者も現われた。

 代金を支払ってもアルテアは数カ月も送られてこず、送られてきてもじつに組み立てにくく、指示どおり組み立てたとしても信頼性に乏しかった。加えて、4Kバイトのメモリー増設ボードのほとんどが不良品だった。そんな中、まともに動作するメモリーの増設ボードを売る連中が現われた。本来のマシンの供給元とそのユーザーに対して、第3者としてマシンにかかわってくるサードパーティーと呼ばれる勢力は、パーソナルコンピュータのルーツとなったアルテアの発売直後にはすでに誕生していた。

 まともに動くメモリーボードに不良品で対抗するために、エド・ロバーツはマイクロソフトのベーシックを餌にする作戦に出た。

 MITSからは、メモリーの規模に応じて3種類のベーシックが発売された。そのうち、最小規模の4Kバイト版を単体で買えば、350ドル。ただしアルテア本体と、4Kバイトの増設メモリー、入出力ボードとのセットで購入する際は、60ドルに値引きされた★。この広告につられてセットで申し込むと、ベーシックの供給は遅れるとの言い訳付きで、できの悪いメモリーボードを含む部品の束だけが送られてきた。

 ★アルテアベーシック単体の価格を、MITSは1975年暮れのクリスマスセールでは、さすがに2分の1以下と大幅に引き下げる。上記の価格はMITSの広告が雑誌に掲載され始めた同年春のものである。この時点では、8Kバイト版の単体価格は500ドルで、本体、8Kバイトの増設メモリー、シリアルI/OもしくはオーディオカセットI/Oとのセット価格は75ドル。最大規模の拡張ベーシックと名付けられた12Kバイト版は、単体では750ドル。本体、12Kバイトの増設メモリー、シリアルI/OもしくはオーディオカセットI/Oとのセット価格は150ドルと設定されていた。

 ゲイツはなお製品の仕上げに取り組んでいたが、MITSが主催したアルテアのデモンストレーションの会場では、暫定版のベーシックがすでに動いていた。怒ったユーザーの1人が会場からベーシックの入った紙テープを持ち去り、これがつぎつぎとコピーされてユーザー仲間のあいだで急速に広まった。

 この事実を知ったビル・ゲイツは、アルテアのユーザーグループの会報に「ホビイストへの公開状」と題する原稿を寄せた。コピーを無断で配付することはソフトウエアの開発者から盗むことであり、こうした振る舞いが横行すれば誰も労力と経費をかけて開発に取り組むことなどできなくなる。ソフトウエアを盗んでいる者は、結果的にすぐれたプログラムを書けなくしているに等しいと、ゲイツは訴えた。

 エド・ロバーツにとっての悩みの種は、アルテア用のさまざまな機能拡張ボードが、赤の他人によって作られはじめたことだった。

 1976年3月にアルバカーキーで開いたアルテアの世界大会には、サードパーティーから展示の申し入れがあった。ロバーツはこれを拒否し、彼らを寄生虫と罵った。罵られた側も負けてはおらず、会場となったホテルのスイートルームを借りて参加者を呼び入れた。

 さらにこの年の夏には、アルテアと同じく8080を使ったIMSAI 8080と名付けられた対抗機が登場した。このライバルは、アルテアのバスの規格をそのまま使い、アルテア用の増設ボードが利用できることを売り物にしていた。

 さらにその後も、このバスの規格をそのまま採用した機種がつぎつぎに登場してきた。

 エド・ロバーツはこれをアルテアバスと呼び、MITSの所有物であると主張した。だがライバルたちは、標準を意味するスタンダードのSと信号線の数の100本を取ってS-100バスと言い換えた。その後、IEEEに設けられた委員会で、アルテアのバスはあらためて定義しなおされるとともに機能を拡張され、S-100バスという学会の標準規格として確立された。

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