■ パソコン革命は日本に及ぶのか |
パーソナル・コンピュータの時代へ
富田倫生
2009/12/14
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など |
WCCFの会場を埋めた人の波の中で、後藤富雄は息を呑んでいた。
ここアメリカではすでに、はっきりと個人用のコンピュータに狙いを絞った製品が生まれつつあり、こうしたマシンに目の色を変えて取りつこうとする人々が確実に層をなしていた。
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彼ら使う側と作る側、そして作る側同士の複雑な絡み合いも印象的だった。
MITSのアルテアにマイクロソフトがベーシックを載せ、MITSの憤慨をよそにサードパーティーが周辺機器を作りはじめていた。そしてアルテアの規格は、S-100バスという業界標準となりつつあった。今や激しい急流となりはじめたパーソナルコンピュータをめぐるうねりは、無秩序であらかじめ予想することなどとてもできなかった錯綜した協力関係の中で、増幅されていた。
PETやアップルIIといった新世代のマシンもまた、アルテアを育てた共棲関係を志向していることは明らかだった。
PETはマイクロソフトのベーシックを採用していた。アップルIIには独自のベーシックが採用されていたが、このマシンには拡張スロットが7つも用意されていた。マイクロソフトはこの年、アップルIIに彼らのベーシックを売り込むことに成功した。
先行するPETとアップルIIを追って、この年TRS-80を発表したタンディ社もまた、マイクロソフトとの提携に踏み切った。発表当初のマシンには自社の技術者が開発したベーシックを載せていたが、これに加えてマイクロソフトのものも積むことになった。
PET、アップルII、そしてTRS-80の誕生を境に、アメリカでは明らかにもう一段パーソナルコンピュータの流れは勢いを増していた。
フェアーの会場をみたすエネルギーの奔流に圧倒されながら、この流れに乗れば行きたかった遠くに行けるのではないかと、後藤は感じはじめていた。
運ばれた先に果たしてどんな世界が待ち受けているのか、後藤に見えていたわけではない。これがアメリカだけの特殊な現象に終わるのではないか、との懸念もあった。
だがアメリカ出張を終えたとき、後藤は流れ出した水に乗って、手探りでもともかく行けるところまで行こうと腹をくくっていた。
1977年3月号の『コンピュータ』で後藤が彼のバイブルとなる「パーソナル・ダイナミック・メディア」と出合ったのは、アメリカ出張から帰った直後だった。
闇の彼方にかすかにともった光は、遠くとはどこなのかを、後藤富雄に語りかけていた。
1977(昭和52)年春、後藤富雄は彼方にパーソナル・ダイナミック・メディアを望みながら、個人のためのコンピュータに向かって勢いを増す時代の波に運ばれ、闇の中を疾走しはじめていた。
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