電算本流、パソコンに名乗りを上げる |
新日本電気
富田倫生
2010/2/10
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など |
パーソナルコンピュータのもう1人の育ての親としてまず名乗りを上げたのは、新日本電気のグループだった。
コンポBSまでの機器の製造は外部の日本マイクロ・コンピュータに依託してきたが、PC-8001からは家電部門をになう子会社の新日本電気が引き受けた。
マイクロコンピュータ販売部からのPCX-01の製造依託書を、新日本電気は1979(昭和54)年の1月に受け取った。だが同社内では、それ以前からパーソナルコンピュータを独自に開発する可能性の検討が始まっていた。物作りをになう立場から、PC-8001の快走をつぶさに見守った新日本電気は、家電担当という自らの守備範囲に合わせて家庭用の低価格機種の開発計画を具体化させた。
大内淳義は、正面から互いを食い合うライバルがグループ内で並び立つことを防ごうと、製品の性格付けに関してマイクロコンピュータ販売部と新日本電気の担当セクションとのあいだで調整を行うよう指示した。
だが、このすり合わせの作業が、えんえんと難航することになった。
新日本電気は当初、PC-8001にほぼ匹敵する機能を備え、互換性のあるベーシックを積んでPC-8001用に書かれたプログラムをそのまま走らせることのできる機種を、価格を切り下げて出そうと考えた。だがこのプランには、渡辺から異議が申し立てられた。機能がほぼ同等で価格が安いとなれば、せっかく軌道に乗ったPC-8001のビジネスが大きな打撃を受けることは明らかだった。
では、グループ内のシリーズという統一感を持たせながら、価格と性能をどう切り分けていくのか。この問いを前にして、マイクロコンピュータ販売部と新日本電気の睨み合いが続いた。
渡辺からすれば、新日本電気のプランはどこまで行ってもPC-8001に近すぎた。一方、新日本電気には、あれもいけないこれもいけないとはねつけられたのでは、シリーズとしての統一感を持った機種など作りようがないとの思いがあった。
1980(昭和55)年が終わりに近づいても、両者はいまだに合意を見なかった。そのあいだ、発売開始以来1年を経て、PC-8001はなお好調を維持し続けていた。
それまでPC-8001の存在すら認識していなかった会長の小林宏治が、出張先のアメリカで「あのマシンを売りたいのだが」と持ちかけられ、パーソナルコンピュータの有力機種が自社から売り出されていることを初めて知ったのも、この時期だった。
通信とコンピュータの融合を目指すという日本電気のC&C戦略にとって、1人ひとりの手元で機能するパーソナルコンピュータは重要な鍵を握っていた。小林はPC-8001の生みの親であるという後藤富雄を会長室に呼び、マシンを前にしてベーシックの操作を教えるよう求めた。この年の暮れ、小林は全役員と事業部長、合わせて300人に召集をかけてパーソナルコンピュータの勉強会をスタートさせ、自らも最前列に座ってPC-8001のキーボードを叩きはじめた。
これまで大内は、渡辺たちの試みに〈半導体の道楽〉というベールを被せてきた。道楽で上げた数字は勘定外と釘をさし、PC-8001をスタートさせるにあたっても、組織もいじらなければ販売ルートの新規開拓に予算をつけることもしなかった。
1980(昭和55)年の4月には、渡辺のセクションをマイクロコンピュータ応用事業部として改組したが、担当部門はあくまでマイクロコンピュータの利用一般とし、パーソナルコンピュータの専門組織★とはしなかった。
★パーソナルコンピュータ誕生のきっかけを作ったマイクロコンピュータ販売部は、当初、半導体集積回路販売事業部の1セクションとして設けられた。同部設立から間もない1976(昭和51)年9月、事業部は電子デバイス販売事業部に改組された。渡辺のセクションは、以降も引き続いて、改組されたこの事業部に属していた。 |
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