第2部 第3章 恐るべき新人類たちの夢想力 |
1982 アルトの子供への挑戦 |
西和彦
富田倫生
2010/3/3
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など |
西和彦は、巨大で聡明で老獪な幼児だった。
混沌とした自我の森の闇を抜けて西が初めてうっすらと目を開いたとき、彼の網膜にまず像を結んだものはマイクロコンピュータだった。あたりを見回しながら、流れ落ちる水を呑む滝壷のように世界像を取り込みはじめた巨大な幼児の頭脳は、このエレクトロニクスの宝石が認識の限界を吹き飛ばす翼となりうることを直感した。
マイクロコンピュータは個人のためのコンピュータを成立させるだろう。個人のためのコンピュータは、電子計算機のミニチュアではない。さまざまな情報を頭脳に送り込み、結果的に人の認識の限界をはるか彼方に押しやるメディアとなるだろう。このメディアは一方的に情報を垂れ流すものではない。人が働きかければすぐに応える、対話を能くするものとなるだろう。
よきものがここに生まれる。
ここを住み処とせよ。
瞳を開いたばかりの巨大な幼児の直感は、彼自身にそう告げた。
だが、この手にエレクトロニクスの宝石をつかもうと柔らかな腕を伸ばすと、集積回路の金属の足が冷たく幼児の肌を刺した。無機的な棘の痛みに一瞬凍り付いた指は、よきものを生み出すまでにマイクロコンピュータの上に積み上げるべき、おびただしい変化と成功の実りの厚みを知って震えた。
それでも、巨大な幼児の脳にすり込まれた「ここに生きよ」との神の声は、再び眠りに落ちることも、ぬくもりを求めて仲間たちが肌を寄せ合う溜まりに這い入ることも彼に許さなかった。
命の糧を求めて母の胸にしゃぶりつく赤子のように、西はぼんやりと像を結びはじめた世界に変化と成長の種を探しはじめた。耳の奥の小さな金の鈴が、新しい可能性の在り処に反応して鳴りはじめると、巨大な幼児はアドレナリンを亢進させてその場を見極めようとしゃにむに這い回った。類まれな握力でつかみ取った種子に、揺りかごの中で子守歌のように聞き覚えた老人たちの知恵の言葉を吹きかけると、1つまた1つと芽がのぞきはじめた。春が過ぎて夏が訪れ、秋にかかると伸びかかった枝に早くも実がなった。もぎ取った実は幼児を肥らせたが、飢餓感は喰うほどにむしろ募っていった。充たす代わりに餓えをかき立てる成功に背を押され、よちよち歩きを始めた巨大な幼児は、つぎつぎと新しい種に手を伸ばした。幼児の皮膚に根を張って伸びる木々は、目まぐるしく変化しながら厚い植物層を彼の体躯の上に形成しはじめた。
めくるめく変化と成長は巨大な幼児をますます肥らせ、彼の飢餓感をいっそう深めた。春の野をこま落としでとらえたような狂おしいほどの成長に向けて、エネルギーをみなぎらせるために、パーソナルコンピュータは変化と成長に餓えた巨大な幼児たちの群れを求めていた。
マイクロソフトのビル・ゲイツやアップルコンピュータのスティーブ・ジョブズ、そしてアスキーの西和彦がうっすらと目をあけて世界を認識しはじめたのは、そんな時期だった。
彼らは期待されたとおり、幼児の傲慢を奮って可能性の扉を無理矢理こじ開け、底なしの貪欲をつくして実りをほおばった。
西和彦が初めて覚えた英語のフレーズは、「ルカによる福音書」第11章9節の「求めよ、さらば与えられん。捜せよ、見いだすであろう。叩けよ、戸は開けられるであろう」だったという★。
★アスキーが発行していた今はなき『アスペクト』誌の1985(昭和60)年9月号と10月号には、「ぼくは、こうして成り上がった」と題する西和彦へのインタビューが掲載されており、上記のエピソードもここで西自身によって語られている。当時同誌の編集チーフは鶴岡雄ニ氏から高橋憲一郎氏に交代していた。自社のトップの自慢話を堂々と載せるというえぐい企画の引力には、人に強い高橋氏の真骨頂がよく現われている。 |
西はそのように振る舞い、世界はそのように応えた。
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