パソコン革命の寵児 西和彦の誕生 |
塚本慶一郎
富田倫生
2010/3/8
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など |
1957(昭和32)年生まれの塚本は、コンピュータを学ぶならと選んだ電通大に1975年に入った。コンピュータルームに収まった大型機は見るだけで、学生が利用できる機会はごく限られるという実態には失望させられたが、その分アメリカの雑誌で見たマイクロコンピュータを利用したシステムの自作記事には胸が躍った。さっそくマイクロコンピュータ・メーキング・アソシエイションと名付けた同好会を作り、リースバックの中古コンピュータを扱っている店から電動タイプライターを買ってきて、手作りのシステムにつなごうと奮闘しはじめた。
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入出力のための機器をつないだシステムでは、音楽をやろうと考えた。
作曲家の冨田勲はムーグIII という大規模なシンセサイザーを購入し、これを使って作ったムソルグスキーの「展覧会の絵」のレコードで、話題を集めていた。ムーグ社のシンセサイザーにはとても手は出せなかったが、自作のマイクロコンピュータシステムにシンセサイザーの回路を組み合わせれば、電子音楽に挑戦できるはずだった。
塚本たちがマイクロコンピュータに取りつかれた1976(昭和51)年の夏、西和彦が『コンピュートピア』誌の記者として電通大を訪ねてきた。大学のコンピュータクラブを紹介しようというこの取材★がきっかけとなって、西との付き合いが始まった。
★このとき西がまとめた原稿は、「にし君のアマチュア・マイコン・グループ探訪記」のタイトルで『コンピュートピア』誌の1976年11月号に掲載されている。『I/O』や『ASCII』の創刊に先だつ一時期、同誌はパーソナルコンピュータ関係の情報の提供媒体としてじつに大きな役割を果たしている。特に1975年9月から12回にわたって連載された安田寿明 東京電機大学助教授による「マイ・コンピュータを作ろう」が与えた影響は大きい。のちに講談社ブルーバックスで『マイ・コンピュータ入門』としてまとめられてベストセラーとなったこの記事をどう読んだかという記述から、西は「探訪記」の原稿をスタートさせている。 「本誌に1975年9月から12回にわたって連載された安田寿明さんの『マイ・コンピュータを作ろう』を読んで、作ってみたいなと思われた読者は多いだろう。事実、この連載は数あるマイコンの製作記事の中でも、特に随所にきめが細かい解説がなされており、作らない人でも楽しく読めた記事であった。かくいう僕もその1人。 あの連載がきっかけとなって、マイコンを作り始めた人は多いと思うが、その中でも『マイコンでシンセサイザーを動かそう』というユニークな目的を持ってM6800のシステムを組み上げ、活動中のクラブがある。そこはマイコン自作派同士、さっそく訪問してみた」 安田寿明はこの記念碑的な連載に引き続いて、同誌の1977年3月号から12月号にかけて、「マイコン・ソフト&ハードのページ」を連載し、のちに本書で詳述するタイニーベーシックの日本への紹介を行っている。ちなみに同連載の6月号には、第1回ウェスト・コースト・コンピュータ・フェアーに参加した安田による、時代の空気を見事にすくい取ったレポートが掲載されている。 |
誘われて西の部屋を訪ねた塚本は、あまりの建物の豪華さに目を丸くした。確かに広くはないものの、下宿でもアパートでもない、まぎれもないマンションの一室に西は住んでいた。おまけに部屋に入ると、壁際だけでなく部屋の真ん中にも何本も本棚が並んでいた。さらにローランド社のどでかいシンセサイザーまで鎮座ましましている。聞けばローランドに掛け合って、借りてきているのだという。プラグを抜き差しして回路を調整しながら音を変えていくパッチボード式のこのシステムに塚本は目を輝かせ、以来西のマンションに入りびたりとなった。
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