マイクロソフト、パソコン環境の統合を目指す |
上げ潮の男
富田倫生
2010/3/16
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など |
アスキーの成功は、切り札となるベーシックを彼らに提供したマイクロソフトにも、大きな実りをもたらした。マイクロソフトの売り上げに占める日本市場の割合は、提携以降急上昇して1980(昭和55)年度には約40パーセントにまで達した。こうした実績を背景に、1980年9月、西はマイクロソフトの副社長の肩書きを得た。
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日の出の勢いの日本市場を背負った西は、マイクロソフトにおいても寵児だった。
1980(昭和55)年の夏、IBMから基本ソフトウエア供給の打診があったとき、ビル・ゲイツにもポール・アレンにも、言語製品の供給に関しては何の懸念もなかった。だがIBMとデジタルリサーチの交渉が滞る中で、OSの提供の可能性が生まれると、彼らはそこまで手を広げることに不安を覚えざるをえなかった。その逡巡を断ち切ったのが、西和彦だった。
仲間を集めて雑誌を創刊するや、基本ソフトウエアの供給からアプリケーションの開発、販売と、瞬く間に間口を広げて日本の大手エレクトロニクス企業によるマシン開発に絶大な影響力をふるい始めた上げ潮の男は、「世界最大のコンピュータ企業と組んで大きくなるチャンスを絶対に逃すべきではない」と吼えて、ビル・ゲイツの懸念を吹き飛ばした。
1981(昭和56)年10月に出荷が始まると、PCはすぐに爆発的な売れ行きを示した。
マイクロソフトの製品を利用したPCのヒットは、それ自体、同社の成功を意味した。
加えてPCの勝利は、急成長の過程でマイクロソフトが抱え込んだ深刻な混乱を収拾する可能性を、同社に開いてくれた。
さまざまな機種に移植して、そのたびに機能の拡張を繰り返す中で、同じマイクロソフトのベーシックの中に、いくつもの方言が生まれていた。
別個にOSを持たず、ベーシックの専用マシンとして育ってきたパーソナルコンピュータでは、周辺機器をコントロールする機能がこの言語に付け加えられた。さらに新しい機種で市場に打って出ようとするハードウエアメーカーは、従来のマシンにない機能を売り物にしようと考えた。マイクロソフトはそのたびに、ベーシックに新しい機能を付け加えていった。ディスプレイがつながり、カラーも使えるようになったグラフィックス関係では、特に機能の拡張が盛んに行われた。
日本電気のPC-8001以降、マイクロソフトのベーシックにいっせいになびきながら各社がつぎつぎと新型機を発表してしのぎを削った日本市場では、特にはなばなしい機能拡張競争が繰り広げられた。グラフィックス関連に力を入れたPC-8001に続いて、日立のベーシックマスター版、解像度を大幅に高めた日本電気のPC-8801版と機能拡張が続き、ビル・ゲイツ自身がハードウエアのスペックに惚れ込んで拡張に入れあげた沖電気のif800では、ついにベーシックの規模は56Kバイトにまで膨れ上がるにいたった★。
★1964年にアメリカのダートマス大学でジョン・ケメニーとトーマス・カーツによって大型コンピュータのタイム・シェアリング・システム用の会話型言語として書かれたとき、ベーシックの規模はごく小さかった。ダートマス版の第1版では、マシンに直接動作を指示するコマンドが3語、プログラムの中で使われるステートメントが14語、関数が10語の計27語を数えるのみだった。それがPC-8001では143語、PC-8801では249語にまで膨らんでいた。 1982年3月号から、『ASCII』に「パーソナルコンピュータのBASIC徹底比較」と題する短期の連載を持った土井政則(当時、宇部工業高等専門学校電気工業科助教授)は代表的なマシンを総当たりして、ベーシックの機能拡大の歩みをじつに丹念に跡付けている。土井のレポートによれば、PETで64語まで膨らんでいたベーシックは、当時の最新機種である日本電気のPC-8801では、249語を数えるにいたっていた。 |
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