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パソコン創世記
第2部 第4章 PC-9801に誰が魂を吹き込むか
1982 悪夢の迷宮、互換ベーシックの開発

「PC-9801は失速する」

富田倫生
2010/5/12

前回「『キラーアプリケーション不足』という穴」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

プロジェクトリーダーを襲った
PC-9801失速の恐怖

 いったんニューヨークまで飛んで乗りかえた、成田を目指す帰りの飛行機の座席で、浜田は『CP/M入門』を読みふけっていた。

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 まず目を引き付けられたのは、巻末に掲載されたCP/M対応アプリケーションの一覧だった。注釈は「かなり広範なものとはいえ、CP/M互換のプログラム全体からすればごく限られたものにすぎない」と断っていた。だがリストには、そっくりそのままPC-9801用に移し替えたいような業務用のソフトウエアがずらりと顔をそろえていた。

 会計用のアプリケーションには汎用のもののほか、総勘定元帳、賃金台帳、支払勘定、受取勘定、在庫表、受注、現金支払い、現金受け取り、個別原価計算、固定資産勘定などじつに細かな分野にまで踏み込んだ専門性の高い製品が並んでいた。一般用のアプリケーションに関しても、データベースやテキストエディター、ワードプロセッサーがそろっているのはもちろんのこと、郵便の宛名管理リストなど、いかにも仕事の道具として役立ちそうなものが並んでいる。医療や法律関係、学校関係、果てはゴルフクラブにいたるさまざまな業種用のアプリケーションが書きためられており、ユーティリティーやプログラム開発用のシステム、言語などにもずらりと豊富なメニューがそろっていた。

 浜田はふと気になって、表紙を見返してみた。

 『CP/M入門』で『CP/M-86入門』ではない。

 すでにアメリカでは、8ビットの時代からOSへの移行が現実のものとなっており、さまざまな業種、業務をカバーした専門性の高いビジネスアプリケーションが使いこなされてきた事実を、浜田はあらためて突きつけられた。CP/Mとの互換性を売り物にしたMS-DOSがこれまでの業務用ソフト資産を引き継ぎ、さらに『1-2-3』のような新世代の16ビット版が加わってPCがさまざまなビジネスの場で使われていくことは、ビジネスセンターの店長の予言を待つまでもなく明らかだった。

 あらためてリストを視線で追いはじめた浜田は、PC-9801用のアプリケーションを総ざらいした『ソフトウエア一覧』を思い返さざるをえなかった。

 「新16ビット機の成否の鍵は、アプリケーションが握っている。サードパーティーの開発意欲を全力を挙げて引き出せ」と早水に指示した成果は、まずこの小冊子にまとめ上げられた。だが個別の業種、業務に対応していくきめの細かさにおいて、CP/MのアプリケーションとPC-9801用のそれとでは、大きな差があった。

 さらに汎用性の高いワードプロセッサーや表計算といった分野でも、日米のアプリケーションには質的な差が生じつつあった。PC-9801用の製品は、CP/M-86対応として掲載したごく一部を除いては、ほとんどすべてがベーシックによって書かれていた。一方アメリカでは、より速いソフトウエアを書きうるOSへの移行が8ビット時代から始まっていた。

 さらに16ビットのMS-DOS上では、あえてOSによる互換性確保の可能性を捨ててまで処理速度を高めた『1-2-3』がPCの勝利を確定し、このマシンの勝利によってまた自らの優位を決定づけようとしていた。

 すべての資産は、OSの上に積み上げられていた。そしてさらなる熾烈な競争もまた、OSの上で繰り広げられようとしていた。

 浜田の胸に小さな闇が宿ったのは、CP/Mのプログラムリストとポーシャ・アイザクソンのニューズレターの記述を結びつけたこの瞬間だった。

 精神にみなぎる積極的な波動をすさまじい勢いで呑み込みながら、みるみる闇が胸をふさぎはじめる感覚に、浜田は思わず身をすくませた。

 「PC-9801は失速する」

 晴天の彼方を目指して打ち上げられたロケットがふいに機首を傾け、ふらふらとさまよった挙げ句、爆発する情景が、ビデオテープの映像のように浜田の脳裏で反復しはじめた。

 「このままではPC-9801はOSへと脱皮できない」

 底の知れない恐怖心に理性の網をかぶせた瞬間、浜田はPC-9801の最大の敵を自覚して慄然(りつぜん)となった。

 マルチ16でも、パソピア16でもない。他社の繰り出してくるどんなマシンよりもはるかに強力な敵が、PC-9801の行く手には控えていた。

 PC-9801の命脈を絶ちかねない最大の敵は、PC-9801の筺体の中にこそ潜んでいたのだ。

 その正体がN88-BASIC(86)であることを、浜田は心のたがを震わせながら自覚した。

 古山良二が心血を注いで書き上げ、西との激しいやりとりを経てかろうじて発表にこぎ着け、PC-9801に初戦の勝利をもたらした互換ベーシックを、浜田俊三はそのとき、打ち壊すべき強固なる壁と意識した。

 最強の敵は、我が身中にあった。

 PC-9801を生んだ浜田俊三は、この瞬間からPC-9801を恐れ、同時にPC-9801の再生へのシナリオを模索しはじめた。

 手がかりは、彼の恐怖に火をつけた『CP/M入門』の中にあった。

 巨大な黒い波のように押し寄せてきた恐怖感を追って、厚い雲の小さな裂け目を抜けて一筋の光が差し込んできた。

 暗雲が再び空を閉ざしきってしまうのを恐れるように、浜田は『CP/M入門』のページをてぜわしくめくった。網膜に残っていた1枚の図にたどり着いた浜田は、息を呑んで紙面を凝視した。

 十数時間の飛行機の旅は、この日の浜田にとって長すぎることはなかった。

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