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パソコン創世記
第2部 第5章 人ひとりのコンピュータは大型の亜流にあらず
1980 もう1人の電子少年の復活

電子少年ウォズニアック

富田倫生
2010/5/14

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

電子少年ウォズニアック
アップルII を創る

 1950年8月、スティーブ・ウォズニアックは、カリフォルニア工科大学で電気工学を専攻したエンジニア、ジュリー・ウォズニアックの長男として生まれた。

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 一時は独立も目指したが成功を果たせなかった父は、西海岸の航空宇宙関連企業を転々とし、サンタクララバレーのサニーベイルにロッキード社が新設したミサイルシステムズ事業部で、1958年から働きはじめた。

 当初潜水艦から発射する戦略ミサイル、ポラリスの姿勢制御システムを担当した父は、その後コンピュータを利用して集積回路の設計を行う部門、人工衛星関連の部門など、エレクトロニクスの最先端にかかわる分野に携わり続けた。

 設計の作業が佳境に入ると、家に帰ってからも方眼紙に書き込んだ図面と首っ引きになる父のかたわらで育ったウォズニアックは、バッハ家の息子たちが代々音楽家となったように、自我の目覚めとともにエレクトロニクスに引き付けられた。

 ロッキード社の進出によって果樹園の村からハイテックの町へと変貌を遂げていたサニーベイルで、ウォズニアック家の近隣はエンジニアの家庭だらけだった。かつてエレクトロニクスの部品店を経営していた近所の変わり者は、子供たちが草むしりやペンキ塗りを手伝うと、アルバイト料代わりに電子部品をくれた。ウォズニアックは仲間のエレクトロニクスキッズたちと組んで、互いの家を手作りのインターフォンでつなぎ、電子工作に明け暮れて過ごした。ロッキードの父に電話を入れれば、トランジスターやダイオードはその日の夕方には手に入れることができた。

 小学校6年生でアマチュア無線の資格を取り、自作の通信機でコールサインを送りはじめたウォズニアックは、この時期から科学展への応募にも熱意を燃やした。

 縦横の線を引いた紙の上で、ウォズニアックは小さな頃から父を相手に三目並べを繰り返してきた。2人はあるとき、このゲームを電子化してみようと思い立った。

 父と2人でゲームのパターンを分析したウォズニアックは、三目並べマシンの設計に挑んだ。父のかき集めてきてくれた部品を、母にいやがられながらキッチンテーブルを作業台にして、はんだごて片手に組み上げた。ウォズニアックは、学校の科学展にこの三目並べマシンを出品して評判をさらった。両親や教師からの賞賛は、ウォズニアックの発明への意欲をいっそう駆り立て、科学者となる希望を彼の内に育てていった。

 父はプログラミングには携わっていなかったが、ウォズニアックにコンピュータの本を買ってくれた。その中にあった、一度に1ビットだけ足し引きを行う回路に、ウォズニアックは興味を引き付けられた。これまでコンピュータがどんな原理で動くのか彼はまったく知らなかったが、この1ビット加減算器が理解できたあとは、もはや計算機は彼にとってブラックボックスではなくなった。8年生になっていたウォズニアックは、1ビット加減算器を拡張して、足し算、引き算を同時に10ビット単位で処理できる装置を作り上げた。クパチーノ学区の科学展にこの10ビット並列加減算器を出品したウォズニアックは一等を獲得し、そのあとに開かれたベイエリア科学展では、年上のライバルたちに伍して三等に食い込んだ★。

 ★『実録! 天才発明家』(マイクロソフトプレス/ケネス・A・ブラウン編、鶴岡雄二訳、アスキー、1988年)所収のスティーブ・ウォズニアックへのインタビュー。ここでシリコンバレーに育ったことの意味を問われたウォズニアックは、「子供の頃には、人生には窓みたいなものがあって、そこからちょっとしたものを手に入れるんじゃないかな。そして、そのとき手に入れたものは、生涯身近な親しい友になるんだ」と答えている。

 同書には4004の開発に際してマイクロコンピュータの基本的な概念を提出した、マーシャン・E・テッド・ホフのインタビューも収録されている。嶋正利の『マイクロコンピュータの誕生』と引き比べてこのインタビューを読むと、嶋がいかに正確に、謙虚に、淡々とこの一大発明の誕生の経緯を跡付けているかがあらためて浮き彫りになる。

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