第2部 第6章 魂の兄弟、日電版アルト開発計画に集う |
1983 PC-100の早すぎた誕生と死 |
日本ソフトバンク『Oh! PC』とPC-9801
富田倫生
2010/7/26
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など |
1981(昭和56)年9月、孫は日本ソフトバンクを設立し、松田はコンサルタントとして同社のビジネスにかかわることになった。8ビットのゲームソフトの伸びに支えられて日本ソフトバンクは急成長を遂げていったが、松田も孫も、ビジネス分野こそがパーソナルコンピュータの拡大に決定的な弾みをつけると信じていた。当初は社外にあった松田も、会社設立の翌年にはソフトバンクに籍を置いた。
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ベーシックからスタートしたパーソナルコンピュータが、CP/Mへと脱皮を遂げてワードプロセッサ、表計算、データベースなどの分野にヒット商品が生まれ、ついにはIBMがこの分野に乗り出してくる経過を見ていた松田は、ゲームからビジネスへの転換を促進してくれる強力なマシンが日本に生まれることに期待をかけていた。
その松田にとって、1981(昭和56)年7月に日本電気が発表したN5200は、じつに興味深いマシンだった。IBM PCの選択にならって、16ビット化にあたっても8ビットの尾を引きずった8088を選択するマシンが当初多かった中で、N5200は8086を選んで新しい世代への移行を完全に果たしていた。加えてN5200が、グラフィックス描画の高速化を狙って開発されたGDCを搭載している点も、松田には魅力的だった。独立性を高めはしたものの、日本電気がこのマシンをあくまで大型の端末と位置づけている点が、松田には残念でならなかった。
翌1982(昭和57)年5月になって、日本電気はあらたに「16ビットパーソナルコンピュータ」と位置づけなおしたN5200の新機種を発表した。グラフィックスにカラーを使えるよう改めたほか、日本語の入力機能を強化し、CP/M-86やMS-DOSにも対応するとした新機種は、松田の願いにより近づいているように見えた。69万8000円と10万円安くした新機種を、従来どおり端末として売るほか、ビット・インやNECマイコンショップなどにも流していくという方針にも期待が持てた。
だが本命は、その年の秋になって登場した。
日本電気のマシンを対象とした『Oh! PC』とシャープの『Oh! MZ』を6月に創刊し、富士通向けの『Oh! FM』の12月創刊に向けて奔走しつつあった松田が望んだとおりのマシンは、1982(昭和57)年の10月になって日本電気から発表された。
PC-9801と名付けられた新機種は、8086を採用した完全な16ビット機で、GDCを採用し、従来の8ビット機用のベーシックプログラムをそのまま利用できるマシンと位置づけられていた。
松田は、ビジネスへの転換の基礎を固めるマシンの誕生を確信した。
だが当面いかにして読者やユーザーにPC-9801を印象づけていくかを考えたとき、なすべきことはやはり、このマシン向けの強力なゲームの提供以外にないと思わざるをえなかった。
発展の大きな可能性はビジネスにあるとは確信していても、現実に売れていくソフトウェアの大半は、いまだゲームだった。話題を集めがちな日本語ワードプロセッサにしても、首都圏でごく一部売れているにすぎないという事実に、松田は日本ソフトバンクの日々の業務を通じて向き合っていた。
技術室長という肩書きで、日本ソフトバンクのすべての雑誌を技術面から統括していた松田は、『Oh! PC』でGDCによるPC-9801のグラフィックス機能に焦点を当てた連載記事を企画する一方で、このマシンの特長を生かしたゲームのコンテストを行った。1983(昭和58)年6月号で発表した1位、2位は、知り合いのライターに依頼して松田が仕込んでおいた作品がとった。特選を得た〈TANAKAのフライトシミュレータ〉は、ベーシックに加えて一部の手順を機械語で組み、GDCによるグラフィックス機能を徹底して生かした速いプログラムに仕上がっていた。読者からの大きな反響を受けて、『Oh! PC』編集部はフロッピーディスクに収めたフライトシミュレータを日本ソフトバンク系列のショップに流しはじめた。
PC-9801をまず光らせたのは、TANAKAのフライトシミュレータだった。
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