第2部 第6章 魂の兄弟、日電版アルト開発計画に集う |
1983 PC-100の早すぎた誕生と死 |
GUIへの突破口
富田倫生
2010/8/4
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など |
4月に入ってアスキーに試作中の〈光〉を持ち込んだ浮川は、PC-9801とはまったく発想を異にするもう1つの16ビット機の開発が日本電気の他のセクションで進められており、このマシンにバンドルするワードプロセッサの開発をアスキーが任されていることを知った。
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〈光〉はPC-9801をターゲットとして、MS-DOS上でアセンブラとCを使って書いてきた。もう1つのマシンもMS-DOSを前提としており、バンドルするソフトウェアは高解像度のビットマップ方式を生かして、視覚的な特長を前面に押し出したマウスで操作できるものにしたいということだった。
文字の取り扱いに集中した〈光〉の方向付けとは異なっていたが、全国区のワードプロセッサ市場に踏み出すこのチャンスを、浮川は逃すつもりはなかった。
仕様の詰めを行ったのは、届いたばかりのリサを徹底して分析にかかっていた、アスキーの笹渕正直と間宮義文だった。
この年の2月、システムソフトからアスキーに移ったばかりの笹渕正直は、パーソナルコンピュータに新しい風が吹き込みつつあることを、この時期、自らの目と手でひしひしと感じとっていた。
入社直後の3月、笹渕はウェスト・コースト・コンピュータ・フェアー(WCCF)で、マウスというポインティングディバイスを目撃した。それまでもタッチパネルやタブレットといった入力装置には、コンピュータと人とのもう1つの関係を開いてくれるのではないかと関心を持ってきた。だがMS-DOSにマウスからの情報を取り入れるためのドライバーソフトを組み込み、ボタンを押すと画面上にメニューが現われるように仕立てたデモには、インターフェイスの新時代がまさに開けつつあることを実感させる衝撃があった。
WCCFの開かれたサンフランシスコからシアトルのマイクロソフト本社に足を伸ばした笹渕は、開発グループの部屋に緑色のボタンの付いたマウスが転がっているのを目にして驚かされた。
スタッフに「どこの?」とたずねると、「マイクロソフトが作ったもので、もうすぐ発表になる」のだという。増設スロットに差し込むマウス接続用のボードとMS-DOSに組み込むドライバーソフト、そしてマウス本体を、笹渕は担当者に頼み込んで日本に持ち帰った。マウスをいじり回しているうちに笹渕は、このちっぽけな新しい装置が、その時点でアスキーが抱え込んでいたさまざまな問題に一気に片を付ける切り札になるのではないかと考えはじめていた。
上司の古川享をはじめ、アスキーのソフトウェア部門に籍を置くスタッフは、自社オリジナルのアプリケーションをなんとか成功させたいと願っていた。日本語ワードプロセッサが最大の市場規模を持っていることは明らかだったが、ここにはすでに管理工学研究所のヒット商品があった。指のなじみが新規の参入障壁となるこの分野に切り込んでいくには、何らかの新しい特長が必要となると思われた。
アスキーのソフトウェア部門にとってのもう1つの課題は、CP/M-86の優位を逆転して日本市場にMS-DOSを売り込んでいくことだった。バージョン1.0の段階では、MS-DOSはCP/Mの互換OSにすぎなかった。だが2.0からは、UNIX流のファイル管理機能が組み込まれ、周辺機器などをコントロールするデバイスドライバと呼ばれるソフトウェアを組み込んで、容易にシステムを拡張できるようになっていた。
とすれば、2.0の拡張性を生かしてマウスを組み込み、MS-DOSに対応した視覚的なワードプロセッサを開発すれば、アスキーの抱えるすべての問題を前進させられるのではないか。
MS-DOS対応のGUIベースのワードプロセッサなら、間違いなく特長をアピールできる。さらにCP/M-86に対するMS-DOSの優位点も、この製品で強調できる。マイクロソフトの新しい商品であるマウス★を生かせる点でもメリットがある。これによってGUIへの突破口を開ければ、日本ではアスキーが新しいインターフェイスの流れの先頭に立って、さまざまな分野のアプリケーションを革新していくこともできるのではないか。
★1983(昭和58)年6月から出荷開始となったマイクロソフトマウスの製造にあたったのは、西和彦を通じて同社からの開発依頼を受けたアルプス電気だった。このマイクロソフトマウスは、日本電気のPC-100にも採用されることになった。 |
そう考えた笹渕は、可能な限り早くリサを入手できるよう古川に頼み込み、マイクロソフト本社の手配によって、出荷開始と同時に送られてきたマシンに取りついていた。
そこに持ち込まれた、TRONにGUI日本語ワードプロセッサを書くというプランは、笹渕がアスキーでやりたいと考えていたことに、きれいに重なり合っていた。
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