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パソコン創世記
第2部 エピローグ 魂の兄弟、再び集う
1983 Windowsの約束が果たされた日

ビル・ゲイツと西和彦の、遠い日の約束

富田倫生
2010/9/10

前回「Windows 1.0/2.0の苦境」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 ビル・ゲイツと西和彦の遠い日の約束は、1990年になってはじめて、実質的に果たされた。

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 同年5月22日、マイクロソフトはニューヨークのシティーセンターシアターに6000人の関係者を集め、全米7都市、世界の12の街の会場に衛星中継してWindows 3.0の発表を行った。この年の終わりまでにマイクロソフトは100万本のWindows 3.0を売り上げ、GUIの標準をMS-DOS上に確立するという目標の達成についにこぎ着けた。

 8088と256Kバイトのメモリ、フロッピーディスクドライブ2台を想定してスタートしたプロジェクトがWindows 3.0でついに成功を収めたとき、マイクロソフトの要求する最低条件は、80286、640Kバイト、ハードディスクにまで拡張し、ビデオ規格にはAT用に開発されたEGAを求めるにいたっていた。だがグラフィックス環境を快適に使いこなそうとすれば、処理速度とメモリと画面の解像度への要求に際限がなくなることは、先行するマッキントッシュの発展の歴史が示していた。

 裏返せばWindowsは、業界標準のPCアーキテクチャが過大なハードウェアへの要求にどうにか応えられるレベルに到達してはじめて、成功した製品となりえた。

 さらに日本語化にあたってのさまざまな問題への対処に手間取った結果、日本市場におけるWindowsの実質的なキックオフは、3.1日本語版発表のこの日にずれ込んだ。


 壇上の西は続けて、Windowsが日本で開くだろう世界を予測した。

 「本命は日本でもっとも遅れているといわれる、デスクトップパブリッシングではないか」

 そう指摘した西は、DTPに続く次のWindowsのターゲットとしてマルチメディアを上げた。

 「Windowsがいろいろなパソコンに載ってたくさん普及することで、アップル1社がマッキントッシュによって作り上げてきたマルチメディアの文化が、幅広く日本のコンピュータの上に育っていってくれれば、本当に嬉しいことだと思います」

 インテルとマイクロソフトは、パーソナルコンピュータの枠組みを定める作業においてひとまず大きな成果を上げた。だがエンジンとシャーシが固まり、車の基本仕様が決まったとしても、どの車を選び、その車でどこに行って何をするかという選択はなお、ドライバーに委ねられている。そう続けた西は、用意した最後の言葉を思い起こして小さな微笑みを口角に浮かべた。

 「X86とWindowsを使った車、是非慎重にお選びになられて、安全運転されることをお願いいたします」

 そう締めくくった西は、旧友に視線を向けて一瞬2人だけの時を過ごし、軽く黙礼して壇上を去った。


 発表会の最後に再び立ったビル・ゲイツは、Windowsが切り開く未来をあらためて展望する中で、「我々のWindowsに対する野心はコンピュータを超えている」と指摘した。

 マイクロソフトは今後、FAXやコピーや電話といったオフィスのさまざまな機器にWindowsによってインテリジェンスをプラスし、その世界をコンピュータの文化圏を超えて押し広げていく。

 そう宣言したビル・ゲイツが望む世界は、アラン・ケイの肩の上に立って坂村健がいち早く想起したTRONの未来図と重なり合っていた。

 ビル・ゲイツの語りはじめた新しい夢は同時に、万能の夢の器たるコンピュータは、人間の想像力がつきぬ限り進化の歩みを止めることはないことを告げていた。

 長く出向していた日本電気ホームエレクトロニクスから、パーソナルコンピュータの未来ビジョンを探るセクションに戻ったばかりの後藤富雄もまた、会場の暗闇の中で夢の器の未来を思い描いていた。


 講演会場に接して設けられたWindows用ソフトウェアの展示場には、ダイナウェアもブースを出していた。自分たちがどこからきたのかを、あらためて繰り返し思い起こさせる講演を聴き終えてブースに戻った竹松昇は、スタッフから「PC-100の話を聞きたいというライターが来ている」と声をかけられた。

 人の波をすり抜けて、軽く黙礼しながら男が近づいてきた。

 Windowsの遠い約束が果たされた今、パーソナルコンピュータの歴史を自分なりに振り返ってみたい。ついてはダイナウェアにとって、PC-100が何を意味していたかを聞かせてもらえないだろうか。

 男はそういってノートを広げ、メモを取ろうと身構えた。

パソコン創世記 完

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