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IT業界の開拓者たち

第15回 マイクロソフトのXbox開発責任者

脇英世
2009/2/24

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 J・アラードによると、Xboxの開発目標はプレイステーション2の3倍のパフォーマンスを達成することだという。3倍のパフォーマンスは達成できないかもしれないが、気持ち的には3倍を目指すというのである。実際、それだけのスピードを出すのは難しいだろう。また成功しても、結局すぐに他社の新製品に追い付かれることになる。

 マイクロソフトとNVIDIAによって共同開発されるXbox専用のグラフィックスチップは、同製品における最大の利点であり、難点でもあるといわれている。

 NVIDIAは、ジェン・スン・ホアンという人物が中心となって設立された。文学部史学科で中国語を勉強した私の次男によれば、Jen-Hsun Huangというスペルは中国本土では使われず、台湾系のスペルだそうである。さて、ジェン・スン・ホアンは1963年に台湾で生まれ、10歳のときに1歳年上の兄とともに両親の元を離れて、太平洋を渡りケンタッキー州オネイダの私立学校に入学した。当初はかなりいじめられたらしいが、それを元気に克服して、オレゴン州立大学を卒業後、スタンフォード大学大学院修士課程を修了している。

 ジェン・スン・ホアンは、1983年から1985年の間AMDに勤め、マイクロプロセッサの設計者となった。つまり20歳のときには大学院修士課程を卒業していたことになるので、4年分を飛び級しているらしい。抜群の秀才であることが想像できる。続く1985年から1993年まではLSIロジックに勤めた。そして1993年4月に、30歳でNVIDIAを創立している。その後、同社は周知のとおり、破竹の快進撃を続けている。

 2000年3月5日、マイクロソフトとNVIDIAは契約を結んだ。この契約に基づき、2000年4月にマイクロソフトはグラフィックスチップ購入と技術ライセンスの前払金として2億ドルを支払った。いかにも気前の良さそうな契約であるが、マイクロソフトはいつでもこの契約を終了させることができるようになっている。もしマイクロソフトが契約を終了させた場合、NVIDIAは最高1億ドルを返金し、残りの金額は30%引きでNVIDIAの優先株式を購入することになっている。この契約に関して、米国証券取引委員会への年次報告書には次のように記されている。

「マイクロソフトが使用するグラフィックスチップや、開発されリリースされる製品の開発において、NVIDIAが成功するという保証は何もない。また、もしリリースされても商業的に成功するという保証は何もない」

 以上のことから、かなりの確率で失敗を覚悟しているのだろう。Xboxの開発が成功したか否かの見極めは、NVIDIAの株価が急激に低下するかどうかを見ればよい。その場合はNVIDIAが開発に失敗し、マイクロソフトに前払金を返したと考えられるからである。

 Xboxはペンティアム III 733MHzに加えて、マイクロソフトとNVIDIAの両社が共同設計したカスタムチップを搭載している。このカスタムチップは、NVIDIAの最新グラフィックスアクセラレータのコアを採用したグラフィックスプロセッサであるXGPUと、メディアコミュニケーションプロセッサと呼ばれるMCPXから構成されている。MCPXには以下のような機能が盛り込まれるらしい。ただし、製品の正式な仕様が固まっていない現段階では、これらも確かではない。

  • ハイパフォーマンスマルチメディアDSP

  • 3Dオーディオ

  • 3Dサウンドイフェクト

  • イーサネットコントローラ

 もし、XGPUやMCPXが伝えられているとおりのスペックだとするならば、オーバースペックのような気がする。NVIDIAは、1995年にリリースした最初のグラフィックスアクセラレータの場合も、オーバースペックであったために苦戦したことがある。これだけのものを非常に短期間で設計・開発・製造するのは並大抵なことではないだろう。

 マイクロソフトはXboxの宣伝に5億ドルを準備している。1ドル100円で見積もっても500億円である。さらに、マイクロソフトはXbox用のゲームタイトルを開発する企業として、150社以上を集めている。ものすごい物量作戦が用意されているようだ。ただしハードウェアの場合は、マイクロソフトがよくやる初期不良は許されないので、かなりリスキーな部分もあるだろう。

 J・アラードはXboxジェネラルマネージャということになっているが、2001年からは、シーマス・ブラックレーがXboxを仕切るようになった。実際、この日、シーマス・ブラックレーがJ・アラードに代わって登壇し、Xboxについて説明した。シーマス・ブラックレーは「Xbox先進技術ディレクタという役職はどんな役職か?」と聞かれて、Xboxが失敗したら、すぐ首になる役職であると説明した。当意即妙のユーモアのある人である。

 シーマス・ブラックレーは、タフツ大学物理学科で素粒子物理学を学んだ。成績は褒められたものではなく、落第を繰り返した。ブラックレーは、素粒子物理学に見切りをつけ、1994年、ゲーム会社のルッキング・グラス・スタジオ社に就職した。さらにドリームワークス社に転じ、1999年2月、マイクロソフトに転じた。最初はダイレクトXグループの中でグラフィックスAPI担当であった。

 シーマス・ブラックレーは、具体的な数字を挙げて説明しないのが特徴である。発表されたインタビューにすべて目を通した限りでは、ハードはあまり得意でないように思われる。日本にはよく来ているようで、日本市場を重視している。

 Xboxのハードウェア仕様はまだ流動的だ。実際に製品が出荷されれば、完全に明らかになるか、埋もれてしまうかのいずれかだが、J・アラードが設計段階で考えていたのは次のようなことである。

 J・アラードはどうやらイーサネット一本やりで進むつもりはなかったようである。4個のコントローラには12MbpsのUSBを使いたかったようだ。コントローラの内部にUSBハブが入った形の設計になっている。マイクロソフトは、周辺機器の駆動をより簡易にするため、電流を増やすことにこだわった。このためUSBの規格で決められたより高い電圧を採用した。USBの符号化方式UAC355xBを採用している。従ってUSBライクではあるが、USBではない。それがUSBが前面にはっきり出てこなかった理由であるらしい。電源が大きいので発熱が大きく、空気の循環が問題になり、ボディの設計が難しかったという。早くドライバ片手に分解してみたいものだ。

 またグラフィックスチップについては、NV25という名前が媒体でよく流される。だがマイクロソフトは公式にはNV2Aと呼んでほしいといっている。NV25という番号の付け方はパソコン用であって、ゲーム機用ではない。NV2AはNV20よりは上だが、NV30よりは下で、いってみればNV27.5くらいである。だからNV2Aと呼んでほしいのである。

 米国向けのXboxは2001年秋、日本向けは2002年春に登場する。DVDの関係もあって、まったく同じではない。また日本向けのコントローラだけ、欧米向けのものより小さい。日本人の体格と、ゲームに取り組むのが欧米より低年齢層であることを考慮してのことである。早く動かしたいというより、早くバラバラに分解してみたい。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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