第39回 空賊一味のような「職人エンジニア集団」を作る試み
金武明日香(@IT自分戦略研究所)
赤司聡(撮影)
2009/11/9
水野貴明(みずのたかあき)氏 バイドゥ プロダクト事業部 1973年東京生まれ。小学校時代に家にあったPC-6001でプログラミングを始めて以来のプログラミング好き。大学は有機化学、大学院は分子生物学を専攻したが、結局SIerに就職してエンジニアの道を進み始める。その後、技術系ライターの仕事も開始。2005年、株式会社はてなに転職し、2008年1月からはバイドゥ勤務。 |
■バイドゥの日本人エンジニア第1号
わたしはバイドゥの日本人エンジニア第1号です。バイドゥには、北京、上海、日本の3大拠点があり、わたしは日本拠点でエンジニアのリーダー的な立ち位置で働いています。主な仕事は、日本向けの検索サービスの開発です。上海に日本向けの検索サービス開発センターがあるため、上海のエンジニアと一緒に仕事をすることが多いですね。月に1回は上海に出張して仕事をしています。
バイドゥに入るまでに、2回転職をしています。大学院卒業後に入ったSIerでは7年半働きました。エンジニアとして働きながら、本や雑誌の執筆の仕事をしていました。それなりに充実している日々でしたが、いろいろな人と知り合っていくうちに、インターネット上のたくさんのユーザーを対象にした仕事がしたくなったのです。転職について考えていたころ、はてなに関する本を執筆していました。ちょうどはてなが技術者を募集しているのを知り、面接を受けたところ採用されました。2005年のことです。
■はてなで培った「直球勝負」
はてなでは、アプリケーションエンジニアとして働いていました。はてなダイアリーやはてなカウンターの改善、新規機能の追加が主な仕事です。
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しかし、当時はなかなか両方とも振るわなかったんですね。そのため、社長から「水野さんに新しいものが作れるとは思えない」といわれてしまった。この一言はかなりショックでした。いま思うと確かにそのとおりなのですが、当時はそこまではっきりいわれる経験がなかったのです。
プログラミング技術にはそれなりの自信があったので、他の人が作ったものを見て、何となく「自分もできる」という気がしていました。でもそれは間違いです。そんな簡単にできるわけがない。
わたしは、社長がいうように新しいサービスを作っていくというタイプではなかったんですね。「向いていないことは向いていない」としっかり認識する方がいいということを知りました。当時はショックだったけど、「はっきりいわれて良かった」といまは思っています。
はてな時代は、わたしにとって「転換期」でした。はてなには「ずばっという風土」があります。何事も直球勝負なんですね。はてなで得た直球勝負力が、バイドゥでも生かされています。
■開発するために入ったのに、開発の仕事ができなかった!
バイドゥに転職したのは2008年のことです。きっかけは2つありました。まず、はてなの京都移転です。わたしには家族がいるので、東京に残りたかった。東京で仕事をしてもいいといわれたが、絶対につらくなるだろうと思いました。なぜなら、はてなは「一緒に共有することで生み出す会社」だったからです。離れて仕事をするのは、はてなの風土に合わないと思いました。
もう1つの理由は、検索エンジンに興味があったためです。はてなで仕事をしているとき、検索エンジンの影響力の大きさをつくづく感じていました。しかし、検索エンジンの中身はあまり公開されていない。検索エンジンを知るためには、「中の人」になるのが一番だと思ったのです。ちょうどそのころに、グーグルの本を書いていました。検索エンジンに詳しいと思われたのでしょう。バイドゥから声をかけてもらったので、転職を決意しました。
しかし、大きな誤算がありました。バイドゥに入ってからしばらく、エンジニアリングをやることができなかったのです。エンジニアリングをバリバリやる予定で、わたしは転職しました。しかし、会社が開発部隊を日本に置くのはもう少し後になる予定で、当時は日本で開発を行う体制が整ってなかったことが入社後に判明しました。会社はわたしに「サービスのディレクター」としての立場を望んでいたのです。
正直「ここまで違うと困ったなあ」と思いましたが、それでも初めのうちはディレクターの仕事をしていました。しかし、わたしは開発が好きでこの業界にいます。サービスを作ることだけではなく、コードを書くこと、技術的な課題を解決することが面白いと思っています。だから「エンジニリングをやらせて欲しい」と頼み、交渉し、中国側のいろいろな立場の人と話し合いをしました。時には中国の開発責任者と、昼食帰りにオフィスのビルの前で延々と議論をしたこともありました。そうした努力が実って、2008年5月には、晴れて日本人エンジニア第1号となることができたのです。
■「経験値ため型」人間として、道なき道をつき進む
バイドゥに入社して一番大変だったのは、コミュニケーションの齟齬(そご)をどうにかすることです。言語の障壁はもちろんですが、入社当時は技術知識の障壁が最も大きかったと思います。
わたしが入ってくるまでは、日本には技術の話をできる人間がおらず、中国にいるエンジニアとも隔たりがある状態でした。そこで、根気強く何度もいろいろなエンジニアにコンタクトをしたり、話を聞いたりしながら、技術知識が少しでも日本側に伝わるよう尽力しました。
中国側と話す内容は技術だけにとどまりません。バイドゥの海外進出は日本が初めてだったため、仕事環境が国際化されておらず、システムやルールは中国のみでの運用を前提としたものでした。わたしは中国のスタッフと話し合いをしながら、日本で開発を行うエンジニアとして、一緒に働くための国際標準や共通ルールを一緒に作っていきました。わたし自身、多国籍企業で働いた経験があるわけではありません。何もかもがまっさらの状態からスタートしたため、かなり骨が折れましたね。
ルール作りはしんどい作業ですが、わたしは「経験値ため型」なので、楽しみながら仕事をしました。
人間には、2パターンある思います。まず、自分のパフォーマンスが出せることが分かっている環境で、好きなことをやり続ける方がやる気がわく人。それから、つらいけれど道なき道を歩んでいきたい人。
梅田望夫さんがおっしゃる「学習の高速道路とけものみち」の話にも通じますが、「経験値ため型」は後者のパターンなのだと思います。しんどいことがあったときでも、「ああ、いま自分の経験値がたまっている」と考えて、解決に努力することにある種の快感を覚える。つまり、しんどさを「糧」だと思うことができるかどうかということです。
■責任は取るが、手柄は取らない
仕事をするうえで「軸」にしていることが3つあります。まず、相手を尊敬して仕事をする、相手を尊敬できる仕事環境を作ることです。お互い同士尊敬できないと、いい仕事は生まれないように思うのです。自分が尊敬される人になりたいし、相手も尊敬できるようになりたい。
次に「手柄を横取りしない」ことです。立場上、他の人のアイデアを使って提案することがあります。しかし、そのときに「○○さんがこのアイデアを考えた」と、きちんというようにしています。責任は取りますが、手柄は取りません。これがモットーですね。
最後に、きちんと人を頼るということです。わたしは、自分ができることならつい自分でやってしまうタイプなのですが、それではあっという間に作業がオーバーフローしてしまう。人を頼ることは必要です。現在一緒に仕事をしているエンジニアは、それぞれタイプや得意なことがまったく違います。そのため、得意な人にきちんと頼むというように努力しています。
■「ラピュタ」に出てくる空賊一味のベテラン技師が理想
エンジニアは職人であるべきです。エンジニアがエンジニアリングをやらなくなったら、それはもはやエンジニアではありません。
あこがれは大工の棟梁、もしくは『天空の城 ラピュタ』に登場する空賊ドーラ一味のベテラン技師、ハラ・モトロです。船が壊れたら泣いてしまうような、愛と情熱を持った技術者でありたい。年を取っても、ずっとエンジニアリングをやっていたい。飽き性のわたしが、プログラミングだけは小さいころから飽きずに続けられています。だから、これからも飽きない自信がありますね。
SIerでは、マネージャになるとコードを書くことができなくなる場合が多い。最初の職場に、マネジメントをしながらコードを書き続けるマネージャがいました。しかし、やはり彼の書くコードは現場の技術者よりも古かったり、作業をややこしくしてしまったりする。そうなってしまうのは悲しい。だから、わたしは「職人エンジニア」としてずっとコードを書いていけるチームを作りたいですね。
わたしは1年ぐらい、バイドゥでただ1人の日本人技術者でした。しかし、1人ぼっちはつまらない。一緒に働く仲間が欲しい。だから、いまはチームビルディングに力を入れています。
最近、ようやくルールや制度が整い始めてきました。まだまだエンジニアは足りません。優秀なエンジニアを受け入れて支えることができる、頑丈な屋台骨を作るために日々仕事をしています。職人エンジニアのチームを率いてエンジニアリングをずっと続けていきたい。それがいまの夢ですね。
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