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第3回
私がマネジメントよりコンサルタントを選んだ理由

遠竹智寿子
2001/7/18

■出向先で出会った先輩とUNIX

 高校時代は理数系コースだったが、歴史などの文系教科も好きだったという丸山氏。そんな彼がコンピュータに興味を持ったきっかけは、その当時ブームとなったコンピュータゲームである。「友人の1人がポケコン(ポケットコンピュータ)を持っていて、プログラムを組んでゲームをしていたことが、いまでも強烈に頭に残っているんです。それがすごく面白そうで、その後の興味につながったんでしょうね」と語る丸山氏に、その影響で大学を選択したのかを尋ねたところ、「いや、そこまで真剣ではなくて、自分の興味があることをやりたいという単純な気持ちで工学部を選択しました」という。

出向先の経験がエンジニアとしてのすべての始まりになったという。

 丸山氏は、教授から紹介された企業の就職試験を受け、受かればその会社に行くという、当時の一般的な理工系学生に多かったパターンの就職活動で、富士ファコム制御に入社する。彼は、エンジニアとして採用されたが、何をしたいかといった明確な目標を持っていたわけではなかった。

 研修後の配属で、丸山氏はいきなり他社への出向を命じられる。入社前に出向だけはないと聞かされていただけに、かなりショックなことだったという。「どの会社にどんな仕事をしにいくのかということよりも、出向させられるという事実がいやでした」と、当時を振り返る丸山氏。しかし、すぐさま続けて「実際には、ここでの経験がエンジニアとしてのすべての始まりとなったわけで、大きな意味を持つことになりましたね」という。「技術もそうですが、それ以上に影響を与えられたのは、ここで出会った“人”です。彼らにエンジニアとしての考え方を叩き込まれた気がします。当時の先輩たちのことを、いまでも尊敬して感謝していますしね

 出向した直後、次のようなことがあったそうだ。出向先の先輩たちからトライアルテストとして、UNIXでメモリ管理プログラムを作るように命じられた丸山氏。その課題に一生懸命に取り組み、完成したプログラムに先輩たちが入力した値は、すべてエラーになる値ばかり。「正常系だけを考えて作成したプログラムで、エラー系の値をまったく考慮していなかったので、とにかく面食らいました。エラー値だけを入力する先輩たちに向かい、最後はやめてくれと頼みましたよ」と、笑いながら語ってくれた。「それまで自分にはない違った側面からのアプローチを持っている人たちを、そのときはすごいなと感じました

 当時PFUは、富士通がシリーズ化していたUNIXのコア部分を扱っており、日本独自のUNIXの開発を通して高度な技術を持っていた。当時(1985年ころ)はまだミニコンの時代であり、言語もCOBOL、アッセンブラが主流であった中で、UNIXの最先端技術に触れるチャンスに恵まれたことを、とてもラッキーだったと丸山氏は語る。

 半年後に本社のシステム開発部門に戻り、CAD用プロッタマシンの担当となった(作成したCADデータをプロッタに出力する部分を担当)。3年ほどはプロッタにかかわりながら、エンジニアとしての技術を積んだ。「プロッタにもいろいろなメーカーがあり、それをサポートすることはそれなりに楽しかったですね

 しかし、その後自分の気持ちに変化が生じてきたという。「X Windowが出始めたころに、CADソフトをX Windowに移植することになったんです。GKS(図形処理の国際標準規格)を日本に取り入れた企業が協力会社であったため、ノウハウやデータの管理方法は大いに学ばせてもらいました」と語る丸山氏。半年の出向でのUNIX開発がここでもいい影響を与えてくれた。「それはよかったんですが、並行していたプロッタでの作業が苦痛になってきて……

 それは、プロッタで打ち出す数字の問題だった。プロッタで印字する数字は、通常はプロッタに内蔵されたROMを利用して印字する。しかし、実務では建築業者ごとに製図用の規定のテンプレートがあり、プロッタでの出力もそのテンプレートの数字と外観が同じになるように調整する必要があった。そのため、丸山氏は数字の縮尺を1つ1つ試行錯誤しながら作成していたという。「指定されたサイズの比率を調整して、まったく同じにするだけの作業が多くなり、技術者の仕事とは少し方向が違うなと感じました

配属先や担当
主な業務
関連会社への出向(PFU) ・プロッタ装置のドライバルーチン開発
本社 開発部 ・CADシステム(DRESSY)の開発
・ほかのCADシステムへのデータ互換プロジェクト、X Window Systemへの移植作業
丸山氏の富士ファコム制御時代の主な業務(スキル)

 漠然と新しいところに行きたい、新しい技術に触れてみたいと、そのころから転職を考えるようになったという。「いまだったら、在職したままほかの職務を探す可能性も考えたかもしれないですね。ただ、そのときは若かったのかな。新しいところに行くということだけを重視していたかもしれません

 結局、彼より先に転職していた先輩からの紹介を受け、日本ディジタルイクイップメント(DEC、現コンパックコンピュータ)に入社した。

■プロジェクトマネージャには向かない

 DECには、入社前に開発に携わりたいとだけ会社に伝え、特にそれ以上細かい希望は伝えなかったという。

 SEとしていくつかのプロジェクトに携わるようになるが、すでに持っていた知識をベースにしたことが多かったという。「与えられたことをこなすような体制ではありましたが、プロジェクトマネジメントを行うようになって、新鮮な影響を受けました

「エンジニアである以上、常に自分の作ったものに誇りを持たないといけないと思っていますよ」と、品質はすべてのエンジニアの義務だと丸山氏

 DEC時代のキャリアの前半は、主にテレコム系のアプリケーション開発に携わっていた。最初の1年は、どっぷりと開発に明け暮れる毎日を過ごす。丸山氏以外は、VMS(Virtual Memory System)技術を扱う技術者ばかりで、UNIXの知識を持つ担当者がほかにいなかった。そのため、プロジェクトの規模に関係なく、UNIXにかかわる機能は彼1人が担当した。

 プロジェクトマネージャは、技術的なところに触れないぶん、品質面での責任が重かったのではと尋ねると、「そうですね。ただ、どんな状況であれ、エンジニアである以上、常に自分の作ったものに誇りを持たないといけないと思っていますよ」と力強い答えが返ってきた。このころ、丸山氏はほとんど毎日夜中まで作業に追われていたという。

 クライアント/サーバがはやり始めたころは、MS Accessなどのアプリケーションもなく、顧客から要望があれば在庫管理などの顧客別ツールの作成も手がけた。「パソコンのDBを使っていたところが、オラクルなどを使いたいといった要望が出てきて……。これからクライアント/サーバの時代だと騒がれたころですね

 丸山氏は、このころ並行して何件かのプロジェクトに携わったが、常にそのプロジェクトから新しい切り口や、多方面から物事を見る方法などを身に付け、キャリアを積んでいった。

■インターネットのセキュリティにかかわりたい

 しかし、DECに入社して5年ほどたったころ、丸山氏は自分がプロジェクト管理に向いていないと感じたという。「僕自身、エンジニア気質が強いのか、人から出てきたソースを自分でチェックしてしまう。それではきりがないんですよね。マネジメントタイプではなくて現場タイプなんでしょうね

 そのため、新しいことにチャレンジしたいと考えるようになった。新しい部署でコンサルティングをするという話が持ち上がったのは、ちょうどそんなときであった。丸山氏は躊躇することなく、新しい部署に自ら手を上げ異動した。こうして出会ったインターネットセキュリティは、彼のキャリアの中でも大きな意味を持つ分野となった。

 「Webが出始めた時代で、インターネットに興味を持ちました。特にセキュリティといった部分に強く引かれましたね

 新しい部署で丸山氏は、企業へ出向いてコンサルティングをすることが日常的な業務になった。ときには企業セミナーでインターネットを紹介する講師を務めたこともあったという。当時を振り返って丸山氏はこう語る。「通信業界、電機業界、製薬業界など、縦で分かれていた世界に、インターネットなどの業界を横断する技術が出てきた時代だと思うんです。新しいものがたくさん出てきて、面白いと感じましたね

 丸山氏はこのころから、インターネットセキュリティに興味を持つようになる。「インターネットセキュリティの面白さは、製品だけではなくネットワーク全体のさまざまなつながりを意識しながら、いかにいいサービスを提供できるかというところにあります」と、その魅力について語る。「例えば、ファイアウォール製品を扱うとしても、それだけでセキュリティは守れないですし、メールサーバ、DNSなども含めた全体の環境構築について考えなければいけない。単体ではなく、常に組み合わせで顧客に構築サービスを提供し、彼らとネゴシエーションするところに張り合いみたいなものを感じますね

 それまで、人と話すことが苦手だと思っていた丸山氏は、このときに客先に出向くことの楽しさを覚えたという。「実際コンサルティング業務にかかわると、お客さんから教えていただくことが多いです……。また、たまには外に出るのもいいなって(笑)

 英語でのやりとりが必要となったのもこのころだ。米国で開発されたアナログ携帯電話の不正使用を防ぐパッケージを、日本企業にも拡販するプロジェクトであった。米国人と組んだ初めての仕事であり、英語を仕事で使うようになった最初の機会だったという。「当時、マニュアルは英語で読んでいましたが、会話はまったくダメでした。しかし、そんなことをいっていられない状況でした。米国本社の担当者(エンジニアやアナリスト)を客先に連れて行ってヒアリングを行うのですが、毎日違う部署に出向き、通訳をこなし、質問を受け、帰社後にまとめてその質問を英語に翻訳するといった作業を、2週間毎日行うタイトなスケジュールでした」。これをきっかけに、英会話を習い始め、受け答えのタイミングや外国人を意識しすぎない術を学んだという。

配属先や担当
主な業務
テレコム系開発プロジェクト ・UNIX、PC上での共通端末システム開発(通信プロトコル、データ管理などの設計・製造・試験・運用)
・ オラクルやMS-Accessなどを使用したさまざまなシステム開発(在庫管理、統計情報収集、C/Sシステムなど)
32bitから64bitシステムへのソフトウェア移植作業(CADシステム)
インターネットセキュリティを中心としたインターネット環境構築コンサルティング ・携帯電話の不正使用管理システム導入に伴う開発作業
・インターネット接続、イントラネット/エクストラネット/ファイアウォール/VPN環境の構築支援
・Eコマースビジネスのプリセールス、仕様検討およびデリバリ
・Webサイト開発(コンテンツ課金および配信サービス部分の設計、ネットワーク環境構築)
・ネットワークセキュリティ診断サービスの企画
丸山氏のDEC(現コンパックコンピュータ)時代の主な業務(キャリア)

 ベンダ資格のMCPやMCSEの資格もこの当時に取得した。「実は、富士ファコムのときに会社から取れといわれた情報処理技術者試験は受験しなかったんです。日曜に出向くのがいやだという理由で(笑)」と彼自身は、それほど資格にはこだわっていないようだ。

DEC時代に、次第にインターネットセキュリティ分野を自分の仕事の柱にしたいと思うようになったという

 10年ほど勤務したDECから、転職を考えるきっかけとなったのは、なんだったのだろう? 大きな理由は2つあったそうだ。丸山氏は、インターネット分野でのセキュリティ関連を自身の仕事の柱にしたいと考えていた。しかし、現実には難しい状況にあった。コンサルティングやサポート業務は、思いのほかマンパワーを必要とする。しかも顧客側はコストをなるべく抑えたがる。さらに従来の顧客へのサポートで手いっぱいとなり、新しい顧客へのアプローチがしにくくなるなど、ビジネス的に不健全な形に追いやられてしまった。開発チームの売上高と単純に比べられ、目に見える数字が出なかったため、再びプロジェクトチームへの配属を命じられた。

 さらに当時、DECを買収したコンパックは、データベース、ネットワーク、チップなどのDECの技術や製品をどんどん売却していた。彼の思い入れのあった製品すべてが消え去ろうとしていたわけだ。

 そこで丸山氏は転職を決断する。興味の対象がインターネットセキュリティと自社製品を扱っている会社といったポイントに絞られていたため、人材紹介会社のエージェントへのアピールもしやすかったという。「最初に紹介されたのは、それがメイン業務ではないプロバイダ、コンサルティングファームなどで、自分の方からセキュリティ関係へのアプローチを強く訴えました」。その後紹介された最初のセキュリティ関連企業を、丸山氏は深く検討することもなく次の転職先とする。

■転職を失敗して次につなぐ

 それが日本ネットワークアソシエイツだった。日本ネットワークアソシエイツでは、ウイルス、セキュリティ、ネットワーク、ヘルプデスク製品とある中で、セキュリティ製品を担当した。しかし、入社して半年ほどで転職を考えたという。丸山氏は「1つは、私の興味の対象とは違っていると気が付いたんですね。セキュリティ全般に対して興味はありますが、ウイルスにはあまり興味がなかった。セキュリティ製品担当であっても、会社はウイルスを中心に考えていたので、やりづらさを感じていたのは確かですね」と、前の会社に遠慮しながらも、その理由について話してくれた。「セキュリティ製品に対しても、自分がいままで積んできた経験からして、機能や品質、セキュリティに対するアプローチを含め、何かが違うなと感じていました。プリセールス(システム導入までの技術サポート)をしていくうえでも何か自分自身で悩みを抱えて仕事をしていたような気がします

 この言葉は、同社の製品そのもののクオリティを指摘しているわけではなく、丸山氏が求めるセキュリティへの考え方や興味が、企業の方向と異なっていただけである。そのことを再度確認すると、「何かがいやだから辞めたのではなくて、自分の求める何かが足りないから辞めた」と答えてくれた。

 この経験から、次は慎重に転職活動を進め、動きだしてから会社を決めるまで時間をかけた。しかし、最初に受けた1社で不採用になった。「ひどく疲れた状態で、米国本社の社長から電話インタビューを受けたのに何も答えられなかったんですが、それが大きな要因でしょうね」。その失敗によって、自分の本当に求めるものが何かをを見つめ直せたという。

 「興味の対象は2つあって、1つはPKI、もう1つはアベイライビリティだったんです。セキュリティは製品だけでは成り立たない、何が足りないかと考えたとき、それがアベイラビリティであると強く思うようになっていました

 そんなタイミングを見計らうように、ある人材紹介会社からストーンソフトを紹介された。ある程度のキャリアを積んだ技術者には、常にエージェント会社の方からアプローチがあるようだ。丸山氏も声をかけられたタイミングで、興味があれば情報収集目的で話を聞くといった姿勢は常に持っていたという。

■やりたいことをするために転職を決断してきた

 「これからは、セキュリティとアベイラビリティが一組であると信じています」と、力強く語る丸山氏。家族から見れば不安だったはずだが、自分がやりたい仕事をしたいという強い気持ちを押し通した今回の転職。また、企業の立ち上げも経験したいという思いも強かったという。

 ある意味で前職の企業とは同業である。前社でかかわった顧客に対しては、どう接しているのだろう。「お客さんによっては、あれっ? という感じの方もいらっしゃいますね。でも、両社ともにセキュリティ分野の製品を扱ってはいますが、製品の特徴も違いますから、競合しているわけではありません。ネットワークアソシエイツの製品にストーンソフトの製品を組み合わせるという形で、いいパートナー企業になる可能性の方が高いですね」と、メリットになっている点もあるようだ。さらに「この業界の場合、製品よりも人間ですよね。どれだけその人間を信頼してもらえるかだと思うんです。転職後に同じお客さんと接してそれを強く感じましたね」と続ける。

「SEとして、いままでの技術だけをやっていればいいというわけではないと思います」と語る丸山氏

 今回の採用について、「日本法人の立ち上げには、人脈うんぬんよりも、プリセールスという点と、インターネットセキュリティに対するキャリアが買われたのでは」と自己分析している。

 すでに入社後に海外トレーニングを2回受けたそうだが、旧DECでの経験以降英語でのやりとりも当たり前になっている。1回10人程度で行う集中トレーニングは、内容的にはこれまでの延長であり、概要を把握するのに大きな問題はない。しかし、丸山氏は「プロダクトに特化したものを勉強しに行くわけです。それを持ち帰ってプリセールスに役立てなければいけないので真剣になりますね」という。「SEとして、いままでの技術だけをやっていればいいというわけではないと思います。小人数の会社ですから、実際の仕事でも営業、PRと分けた業務を行っていては話が進みません。ある程度、技術的な話を持っていった方がまとまりやすいのであれば、営業よりも先に私たちが行くこともあります」。こういった彼の話だけを聞いても、外資系ベンチャー企業で働くSEには、通常よりも一段高いコミュニケーション能力と英語力が必須であることは間違いなさそうだ。

 ストーンソフトでも、すでにいくつかの資格を取得したという丸山氏。ISS(インターネット セキュリティ システムズ)のICU(ISS Certified User)とチェック・ポイント・ソフトテクノロジーズのCCSA(Checkpoint Certified Security Administrator)およびCCSE(Checkpoint Certified Security Engineer)だ。ただし、「自分が本当に必要と思う資格は取得していないですね」と語る丸山氏が唯一、自分から取りたいと思っているのは、今年開始されたばかりの情報処理技術者試験の「情報セキュリティアドミニストレータ資格」だそうだ。

 「ストーンソフトの製品は、他社ベンダのソフトウェアに追加されるものですから、自社製品だけの知識があっても意味がありません。市場に出ている主要なセキュリティ製品そのものの評価を含め、ある程度のノウハウ的なものまで必要となりますし、そのためにはさまざま勉強が必要となりますね」と、毎日が勉強だと語る丸山氏だが、資料を読むのは帰宅後の夜であり、もちろん業界の動向などは毎日のニュースや情報に目を向けている。

 最後にいままでのキャリアを振り返って、いま思うところは何かを尋ねた。「転職するたびに人間としての成長も少なからずあったと感じています。技術とともに考え方、人との付き合い方を身に付けてこられたかな。仕事がいやだからという理由だけで辞めることは、よくない感じがしますよね。辞めるのであれば、技術者としても人間としても成長がなければつまらないですし、仕事を変わる意味がない。僕自身は、やりたいことができなくなったと思うときが転職への節目だったんでしょうか

常に前向きで新しい分野にチャレンジする丸山氏。彼のスキルとキャリアを裏から支えた本は何か?その答えは「エキスパートに聞く ぼくのスキルを支えた本 」に!


 

Index
最前線で必要なスキルとキャリアを知る!
  私がマネジメントよりコンサルタントを選んだ理由(1/2)
私がマネジメントよりコンサルタントを選んだ理由(2/2)

「連載 最前線で必要なスキルとキャリアを知る!」

 

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