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第9回
技術の切り込み隊長を目指し続けるエンジニア

加山恵美
2002/8/23

専門学校時代に、アセンブラが最も性に合っていると感じたという阿出川氏

■将来の方向が確定した専門学校

 専門学校の授業はCOBOLやFORTRANがメインだったが、「アセンブラが最も性に合っている」と確信を得たという。試験さえ通れば、授業に出なくてもよいという先生の方針のもと、高校と同じように自由な雰囲気の中でも着実に単位を取っていった。阿出川氏は、当時の勉強を振り返り、「専門学校時代の勉強が実践で役に立ったかというと、そうとはいえませんでした。ただし、アセンブラの考え方を理解するという点では役に立ちました」という。学校は実践的なスキルを得る場というより、概念の習得の場だったようだ。また、阿出川氏は専門学校時代を「(人生における)方向性が変わったという点では大きい」と評価している。彼にとって、専門学校は高校卒業時の漠然とした方向性を、決意として固めた場であったともいえるだろう。

■就職してすぐに実践の場へ

 専門学校卒業後は飛翔ソフトに入社、すぐに出向として実践の場に投入された。出向先は大手ベンダ系で、当時自衛隊の自動警戒管制組織(バッジ・システム)などを扱っていた会社である。COBOLやFORTRANなども経験していたが、それを結合するアセンブラなども行った。通信用筐体中の自己診断プログラムなどを開発していた。

 マザーボードの診断プログラムに携わりながら、学校で習ったイメージと実際とのギャップに驚く。「なぜ同じアドレスなのにぶつからないの?!」と困惑したという。ローカルなメモリとグローバルなメモリとでは違うということ、つまりオンボードのアドレス空間の違いを目の当たりにできたのだ。ボードから見えるメモリ空間と本体のそれとでは、違うということを実感できて感激したのだという。

■新人時代の資料はマニュアル

新人時代は、自分の業務知識を付けるのが精一杯で、広くIT業界の知識を得ようと考えたのは、つい最近だという

 汎用機も多種多様に携わった。論理検証では「1足す1が、本当に2になるのか」というレベルでの検証を行う。パイプラインで前後に命令があっても大丈夫なのか、ページをまたがる部分の挙動はどうか、そういった検証が続いた。

 より具体的に書けば、汎用機での検証とは、仮想計算機機構の検証と検証用モニタプログラムのうち、最もコアな部分であるハイパーモードを利用して、仮想計算機自体を生成/制御するようなことを行っていた。

 いまは知りたいことがあればインターネットで調べることができる。コンピュータ関係の本も充実している。しかし、当時阿出川氏はどこから知識や情報を得たのだろうか? 「新人のころはまだ自分の業務範囲で精いっぱいでした。広くIT業界の知識を得ようとし始めたのは、本当にここ5、6年ぐらいのことなんですよ」と答え、あまり知識や情報を得ようとしていなかったと強調する。

 それでも新人当時、何を頼りに業務を遂行していたのかを問うと、「電話帳のようなマニュアル、雑誌、メーカーが作った仕様書、コンピュータサイエンス関連の論文」など、分厚い紙の媒体が主だったという。さらに、電話帳のようなマニュアルが分かりやすかったのかどうかを問うと「とんでもない!」と、すぐに否定された。

■本社に戻ってすぐに転職した理由

 1985年、出向先から本社に戻って間もなく、阿出川氏は転職を思い立ったという。その理由を阿出川氏は、「(出向先で)残業しすぎたから」という。出向当時の残業は月に100時間。エンジニアとしては珍しくはないが、それなりにきつい。本社に戻り残業から多少なりとも解放されて、ふと自分の勤務時間の多さを顧みる余裕ができたから、転職を思い立ったのかもしれない。

 しかし、話をよく聞いてみると、大きな理由があった。「新しいことを次々とやったけれど、自分の専門分野がない」ことに気付いたのだという。そこで、自分の武器となる専門分野の開拓を目指そうと考えた。希望としては、「業務アプリより、もっとCPUに近いところ」にかかわりあいたかったという。ただし、「業務アプリをやっている間はお金になります。むしろ、つぶしが利くのは、業務アプリの方かもしれません」。それでもなお、新しい分野へ目が向いたのは「興味本位だったのかも」という。

 経験年数からして、エンジニアの自分を客観的に評価し、将来を考え、新しい分野を開拓したいと思う適齢期ゆえに、阿出川氏が転職を思いつくのは当然の流れかもしれない。また、彼は「精神的なリフレッシュが必要だった」ともいう。結局阿出川氏は、本社に戻って転職を思い立ち、退職の相談や就職活動を経て、1年後に退社することになった。

COBOL、FORTRAN、アセンブラ、PL/M86、Cを扱い、ボード上の自己診断プログラムやデバイスドライバの開発などを行う
阿出川氏の飛翔ソフトでの主な業務

■ハードウェアの診断経験を買われて転職

 新しい分野の開拓を求めて就職活動をした結果、現在勤務しているゼロソフトを新しい勤務先と定めた。ゼロソフトは独立系のソフト会社で、診断や検証などで定評がある。採用の決め手となったのは、ボードの診断などの実績を買われたためだ。

 ゼロソフトに入社後、阿出川氏はCPUの論理検証やモニタプログラムに携わった。検証用の大型汎用機をスタンドアロンで起動して、格闘する日々を送った。また、大型汎用機のプロジェクトの合間にはFM-77のAVクリップ開発も行ったことがあったという。当時はマルチメディアの創世期でもあったため、CPUもメモリもまだまだ貧弱。「OSを切り替えたり、メモリを確保するためにプログラムコードの行数を減らし、インデントもコメントもない(見た目が)汚いプログラムも書きました」という。どうしても容量が足りないCPUやメモリと格闘したため、残業が多かったという。「残業が多いから会社を変えたはずだったのに」と、阿出川氏は当時のことを思い出して苦笑する。

■次第に新しい技術を追いかける毎日へ

会社の情報切り込み隊長を自認する阿出川氏

 1997年にレーザープリンタのファームウェアの開発に携わるころから、新しい技術に次々と挑戦することになる。世間一般でもパソコンが普及してきたころになる。この少し前から阿出川氏はパソコン通信で、ネット経由での情報収集を始めるようになった。阿出川氏が自分の業務内容だけではなく、広くIT業界の技術や動向を追うようになったのは、このころからだという。ゼロソフトが新しい技術を追いかける社風があるのかと問うと、「むしろ『私』が会社の情報切り込み隊長かもしれません」と、阿出川氏は笑って答える。

 1999年ごろにはLinuxやSolarisを使って診断プログラムなどを作成するようになったという。そのため、情報源としてメーリングリストを活用するようになった。とはいっても、「非常にアクティブなメーリングリストに入っていると、膨大な量のメールがくるため、斜め読みでも追いつかなかった」そうだ。もともと、転職前からSunの利用経験はあったので、UNIXやLinuxなどの技術面で困ることはあまりなかったという。阿出川氏いわく、「LinuxでもSolarisでもFreeBSDでも、コマンドライン系の開発ツールとしてはポータブルであり使いやすい」と評価している。この当時を語る阿出川氏は本当に楽しそうだ。恐らく次から次へと診断プログラムなどを作成していたのだろう。

 Solarisで構築したWebシステムはSE支援システムだった。データベースとアプリケーションサーバで構成される、典型的な3階層のシステムをここで経験することとなる。また、事務用品販売を目的としたBtoB系システムを構築したときにXMLに、SE支援などでJavaやCORBA、セキュリティなどに触れ、一気にIT最先端分野も守備範囲となった。

■現在はBuletooth、そして……

 阿出川氏の現在の主な業務は、ARMのチップ上のProtocol Stack Softwareのポーティングとカスタマイズだという。現在、社内のエンジニアのために開発しているのが、man/infoや送受信した電子メールを自動的にHTML化し、それらのファイルをnamazuを利用して検索できるようにしたり、CVSファイルやbugzilla(バグのトラッキングシステム)の提供・支援を行っているという。

 さらに、ARMチップとJavaを使い、パソコン上のツールや自動試験の開発を行っている。ボード組み込み検証で、相手が汎用機などからBluetooth機器に変わったと考えれば、これまで阿出川氏が長く経験してきた業務に近い。Bluetoothという、まったく新しい分野に飛び込んだかと思いきや、過去の実践が存分に生かされている。こうして、最先端の技術を次々と渡り歩きながらも、過去の経験と関連づけて素早く技術を修得する能力は素晴らしい。

 今後、阿出川氏は、テスト/評価システムのコンサルタントとして、プログラマのツールになるコミュニケーションサーバ構築、または自動テストツールやその環境の構築に携わりたいと考えているそうだ。また、モバイル分野―ユビキタス環境への興味も高いという。

 阿出川氏の資格取得の履歴を補足しておこう。彼は1985年に情報処理技術者試験の1種(現在のソフトウェア開発技術者試験に相当)を取得した。また、会社の一時金目当てにシステムアドミニストレータを取得した。さらに最近になって、UML技術者認定制度のブロンズレベル試験に合格したそうだ。現在は各種テクニカルエンジニア試験に挑戦中だという。

■若いエンジニアへ

 阿出川氏のようにハードウェアに近い部分からエンジニア人生をスタートし、長い経歴を持つエンジニアにとって、アプリケーション層などの上層レイヤから触れることが多い新人エンジニアは、どう映るのだろうか。「確かに下層を知らないエンジニアは増えてきていると思いますが、やる気のある人は下層の勉強もしています。やっぱりアプリケーションのプログラムを書くエンジニアであっても、下層のハードウェアのことは知っておいてもらいたいですね」と答えてくれた。

 システム開発について阿出川氏は、「コンピュータを使った開発といっても、結局は人間の手作業が多いのです。作っているのも使っているのも人間です。人間主導で開発が行われていることはいまも昔も変わりません」と語る。

 彼ほど多くの技術を習得してきたエンジニアも珍しい。エンジニアにとって、最先端の知識とスキルを維持できるかどうかは常に不安要素だ。なぜ、次々と新技術に挑戦し続けるのだろうか。「大丈夫、新しいことを覚えるのは楽しいことですよ」と、阿出川氏は優しく笑う。純粋に興味を持てる性格が、何よりもエンジニアの資質につながるのかもしれない。

 彼の冒険はまだまだ続きそうだ。

大型汎用機の診断系、FM77のAVクリップ開発、レーザープリンタのファーム
Linux、Solarisの調査、Webシステム構築、Bluetoothのポーティングやカスタマイズ、開発ツールの開発など
阿出川氏のゼロソフトでの主な業務


Index
最前線で必要なスキルとキャリアを知る! 第9回
  技術の切り込み隊長を目指し続けるエンジニア(1/2)
技術の切り込み隊長を目指し続けるエンジニア(2/2)

「連載 最前線で必要なスキルとキャリアを知る!」
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