ITエンジニアにも重要な心の健康
第33回 職場でいじめない、いじめられないために
ピースマインド
カウンセラー 田中貴世
2006/12/2
エンジニアにとっても人ごとではないのが心の健康だ。ピースマインドのカウンセラーが、毎回関連した話題を分かりやすくお届けする。危険信号を見逃さず、常に心の健康を維持していこう。 |
■感情をなくしたPさん
「このごろ、うれしいとか楽しいとか、悲しいといった感情がわかなくなってしまった。私はどうなってしまったのか」。こんな悩みを訴えてカウンセリングを受けにきたPさん。一時休職をして治療に専念することになりました。
「職場の人と接するとき、つい相手の顔色をうかがってしまうのです」「自分がどう思われているか不安で、相手の機嫌を損ねるようなことがいえないのです」とPさんは話しました。Pさんは、自分が取っている行動によって極端に感情を抑えてしまっていますが、そのことには気付かずに過ごしています。他者からは、Pさんは普通に振る舞っているように見えるようです。
「いつ仲間外れになるかと不安で、息が詰まりそう」「相手が少しでもいつもと違う行動をすると、自分が何かやったのかと不安になってしまう」。このような状態でありながら、職場に居続けようと心の防衛を強めているうちに、自分自身の感情にさえ鈍感になってしまうことがあります。
Pさんのように自分自身で気付くことができればよいのですが、時には本人が気付かず、例えばパートナーのような身近な人の不満という形で表れるケースもあります。パートナーはいいます、「私はあなたと感情の交流がしたいのに、あなたは情報しか与えてくれない。あなたは私にどんな感情を持ってくれているのか」。
あなたがもし、人との関係の中で強い緊張を強いられたり、その結果として自分が自分でなくなったような感覚を持ったりしたら、消耗する心のエネルギーはかなりの量になると思いませんか。そして「相手の自分に対する気持ち、感情が非常に気になり、本来の役割や対応が果たせない」と話す人の中には、以前いじめを受けた経験のある人がいるのです。
■現代のいじめの構造
現代のいじめの背景には、周囲から見捨てられ、置き去りにされることへの深い不安があります。いじめが発生する集団内には、「1人ぼっちになることは、自分が存在するための支えを失うことだ」という感覚があるのです。不安を解消するためには、結束を強固にしなければなりません。そこに「見えないルールによる支配」が始まることになります。
追いかけるべきファッションはこれ、聞くべき音楽はこれ、長いものには巻かれろ、出るくいになるなといった見えないルールが作り上げられ、それを守っている限りはグループのメンバーとして認められ、見掛け上の安全が得られます。しかし見えないルールに過敏になればなるほど、自分の内面からわき起こる感情や自分らしい考え方に鈍感になり、自分の感じていること、したいことが見えなくなってゆきます。
グループ内では「違い」は、グループの結束と安全を脅かすものとして排斥されます。これが現代のいじめの構造です。
いじめのターゲットとなった人は、心に深い傷を受けます。自分の考えや感覚を否定されることになるからです。そして自分を表現することを危険と感じ、身を守るために感情を過度に抑制する道を選ぶことが多いのです。まれに、いじめをうけた屈辱感やくやしさが攻撃性に転換され、自分より弱い立場の人や家族への暴力となって表現されるケースもあります。
どちらの行動表現にしても、ターゲットになった人はいじめを受けたときの傷を抱えながら成長し、生きてきたのです。また、心の傷を克服し、他者の心の傷に敏感になり、多様性を認める価値観を手に入れた人がいることも紹介されています(読売新聞「なくせ いじめ自殺 私のメッセージ」など)。
厚生労働省が平成18年5月25日に発表した「平成17年度個別労働紛争解決制度施行状況」によると、全国約300カ所に設置されている総合労働相談コーナーに寄せられた90万7869件の相談のうち、民事上の個別労働紛争に関するものは17万6429件。その相談内容の内訳は「解雇」(26.1%)、「その他の労働条件」(19.6%)、「労働条件の引下げ」(14.0%)に続いて「いじめ・嫌がらせ」(8.9%)となり、退職勧奨(7.2%)よりも大きな割合を占めています。
■いじめを生み出すフラットランド
属するには個を捨てることが要求される社会では、独自の価値観は失われ、画一化した表面的なルールのみが支配します。このような社会を「フラットランド」と呼びます。そこでは出るくいは打たれ、多様性は認められず、個性は育ちにくくなります。その状況が「違い」を排斥し攻撃するいじめを許す空気をつくってしまうのです。
もしも職場がフラットランドだったら、そこで働く人たちはどれほど窮屈で息が詰まる思いがするでしょうか。
もちろん普通の職場にもルールは存在します。それは本来多様な人たちがいる組織で、互いが気持ち良く働くためのものであると同時に、事業主が働く人たちに期待する行動指針でもあるでしょう。
それとは別の、見えないルールがあるとしたらどうでしょう。例えば既存のやり方にとらわれない新しいアイデアが出せない、コンプライアンス(法令順守)上疑問に思うことがあっても質問することさえはばかられる……。そんなルールに支配された職場では、働く人たちの本来持っていた活力は削がれ、モチベーションは失われ、将来への不安、職場への不満は募ることでしょう。その負なるエネルギーが弱い立場の人へ向かうとしたら、そこに「職場のいじめの構図」が出来上がってしまうのではないでしょうか。このような状況をどうしたら予防することができるでしょうか。
■ビジョンロジックとブレーンストーミング
「個々人がグループ全体の利益を考えつつ、同時に個性や意見の違いを許容する考え方」、これをビジョンロジックといいます。相互依存的(互いに支え合い、利他的で相互に責任を補い合う)システムのグループリーダーには、ビジョンロジックの能力が不可欠といわれます。
ビジョンロジック能力のあるリーダーの下では、メンバーは意見の違いに寛容になることができます。意見の違いは個性の違いであって、人間の優劣の違いではないことを理解しているからです。多様な意見を尊重し、多彩な視点からの可能性を検討し、柔軟な対応のできる組織をつくることができるでしょう。
そのメンバーの活力を有効に発揮できる方法が、ブレーンストーミング型のコミュニケーションです。互いの違いを尊重し新しい可能性を探索するところには、勝者も敗者も存在しません。新しい企画を作り出すときに有効な議論の方法です。
ブレーンストーミング型のコミュニケーションでは、メンバー全員が自分の持つアイデアを議論のテーブルに載せ、互いの意見を尊重しながら客観的に検討し、1つのアイデアを構築するプロセスを楽しむことができます。メンバーはおのおのが「自分は必要とされる存在である」と感じることができるのではないでしょうか。
■自分の心の声に耳を澄まして
あなたがどのような立場であっても、あなたの人間性を否定するような相手からの言動を受け取らない自由があります。自分で自分を守ることができます。自分が安全であるために支援を受けることができるのです。身近に適当な人が見当たらないときは、専門家、専門機関を活用しましょう。
また、あなたがどのような立場であっても、他者の人間性を否定するような言動は慎むことです。
相手の失敗を責め続けたり、ほかの社員の前で怒鳴りつけたり、無視という形で相手の存在を否定したりといった言動が他者をどれだけ傷つけているか、想像力を働かせることをお勧めします。
そして職場にいじめがあると感じていたら、自分の心の声に耳を澄ましてみてください。いま、何をすることが自分にとって悔いの残らない行動なのかと、自分の心に聞いてみてほしいと思います。もちろん「何もしない」という行動の選択肢もあります。
■感情を解き放ったPさん
職場で感情を抑えすぎたため、感情がなくなってしまったように感じていたPさんでしたが、休職期間を終えて復帰し、通院と服薬は継続しながらも自分のペースで仕事を続けていました。
小さいころいじめを受けたことのあるPさんは、カウンセリングの中で自分の体験をこう話してくれました。「小学校でいじめに遭ったとき、それを知った母は、仕事を休んで私を旅行に連れて行ってくれました。子ども心に『こんなことしていていいのかなあ』と思ったのを覚えています。旅行から帰ると母は、私を休ませたまま幾度も学校へ行き、担任と話し合っていました。ある日、担任が家に来て『自分が君を守るから学校へ来ないか』といったのです。次の日から私は登校できるようになりました」。
Pさんはその後、話をこう結びました。「何年ぶりのことか分からないけれど、この前映画を見てぽろぽろ泣いてしまいました」。恥ずかしそうに笑うPさんの表情は、とても生き生きして見えました。
参考文献『季刊 こころケア 2006 Vol.9 No.3』(日総研出版刊) 事例については個人のプライバシー保護に配慮し、いくつかの事例から特徴的な部分を取り出しブレンドした形で掲載しています |
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