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転職。決断のとき

第45回 5歳からのプログラマの選択は
「.NETを究める!」

加山恵美
2007/12/26


転職が当たり前の時代になった。それでも、転職を決断するのは容易なことではない。スキルを上げるため、キャリアを磨くため、これまでと異なる職種にチャレンジしたり、給料アップを狙ったり――。多くのエンジニアが知りたいのは、転職で思ったとおり仕事ができた、給料が上がった、といったことではなく、転職に至る思考プロセスや決断の理由かもしれない。本連載では、主に@ITジョブエージェントを利用して転職したエンジニアに、転職の決断について尋ねた。


今回の転職者:富永実氏(仮名・29歳)
幼少時からパソコンに親しみ、エンジニアである父の指導で大学時代からプログラマとして活躍する。.NETを究めることを決意し、.NETの仕事ができる会社を選んで就職。順調に経験を積むが、30歳を前にして停滞感を覚え、より成長できる環境を求めて転職を決断した。

 いってみれば、エンジニアの「サラブレッド」である。エンジニアの父を持ち、小学生でマイコンクラブ、大学でシステム開発に参加するなど、ほかのどんなエンジニアよりも早くから経験を積んできた。エンジニアになってからも師に恵まれ、いまでは.NETの専門家である。

 30代を目前にしてさらに飛躍できる場を目指し、初めての転職活動に挑戦。希望どおりの環境を勝ち取ることができた。彼のこれまでの軌跡を追ってみよう。

5歳でプログラミング初体験

 このインタビューは、ほぼ毎回同じ質問から始めている。「エンジニアになったきっかけは何ですか?」と「最初にコンピュータに触ったのはいつですか?」だ。今回もこの質問から切りだした。エンジニアだと「中学や高校のときからファミコンやパソコンに触っていて」といった経験を持つ人が多い。これらのことから、将来の職業としてエンジニアを意識するようになるらしい。

 しかし、今回登場の富永氏の答えには度肝を抜かれてしまった。「エンジニアになったのは、親の影響が大きいでしょうね。最初にコンピュータに触ったのは5歳のときだったと思います」

 5歳、である。間違いなくこの連載の最年少記録だ。富永氏は続ける。「本当に最初に触ったのはもっと小さいころだったかもしれません。ただそのときは、『触った』だけ。5歳のころ父が触っているコンピュータを見て『ぼくもやる』といい、父が『それならやってみろ。このプログラムを入力してごらん』と触らせてくれたのが最初だと思います」

 もちろん5歳ではプログラムの入力は無理だ。おもちゃ感覚で触ったようだが、本人は使いこなしている気でいた。それが最初の記憶だという。

父からプログラミングの極意を学ぶ

 このように富永氏は父のコンピュータをおもちゃ代わりに育ち、小学校ではマイコンクラブでFM-7を使った。記録媒体がカセットテープだった時代も知っている。いまの10代なら、音楽を記録するカセットテープすら見たことがない人もいるというのに。

 最初に自分専用のパソコンを手に入れたのは中学生のときだ。父のお下がりのPC-98だった。高校生のときにはDOS/Vパソコンで、初期のWindows 3.1を体験した。Windows 3.1の第一印象について富永氏は「なんだこりゃ、と思いました。GUIが悪いというのではなく、突然画面が固まってしまうからです」と話す。

 小学校時代のマイコンクラブからプログラミングを経験してきた富永氏の傍らには、常に師匠である父がいた。富永氏の父は息子のコードを見て、「これはプロのコードではない。プロならこう書かない」「プログラムが複雑になるようではプロではない」と、プロとしてのコーディングテクニックを指導した。

 「父とはしょっちゅうプログラミングについて話をしていました。高校のときには、いまでいうところの『デザインパターン』についてよく語り合っていました。くやしいですが、父のプログラミングの経験とスキルには、いまでも勝てる気がしません」と富永氏。

 高校生になるころには、将来はエンジニアになろうと考えていた。それはすでに単なるあこがれの域を脱し、「これしかない」というほどの確信となっていた。

大学の長期休暇中は、一人前のプログラマとして

 大学に進学する際には、数学科を選んだ。「コンピュータの分野に進むなら情報工学かなと考えましたが、実は数学も好きでした。理学部数学科なら数学とコンピュータの両方をやれるかなと思い、数学科を選びました」と富永氏。

 学生時代は実家を離れ東京で下宿した。このころの富永氏は父に実力を認められるようになっており、夏休みや冬休みには実家で父の仕事を手伝っていた。雇用形態としてはアルバイトだが、一人前のプログラマとして働いた。

 「普通のアルバイトとは比べものにならないくらい、いい報酬をもらいました。それで新しいパソコンも買いました。仕事は3人で12万行を書くくらい大変でしたが、とても面白かったです。……ただ、これがまずかったんですね」と富永氏は苦笑いする。

 面白かったことが、まずかった。本業である大学での学業がおろそかになってしまったのだ。プログラマとして働いたのは休暇のときのみだったが、学校が始まってもまだシステムのことが頭を離れなかった。「あの処理はこういう順番にした方がよかっただろうか」とあれこれ考え、自分のパソコンでテストデータを作り試行錯誤した。

 ――.NETの発表を知って「これだ」と決めた

   

今回のインデックス
 5歳でプログラミング。師匠はエンジニアである父だった
 .NETを究めにいった環境で、2人目の師匠に出会った
 新天地への飛躍を助けてくれた人が3人目の師匠



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