理論に裏付けされたスキルを――彼が大学院に通う理由
はがねのつるぎ(エンジニアライフ コラムニスト)
2009/11/20
エンジニアにとって「社会人大学院に通う」ことの意義は何か。そして、実際に大学院に通う生活とはどんなものなのか。エンジニアライフのコラムニストとして活躍するフリーランスのエンジニアが、自らの「大学院生活」を語る。 |
大きな道を歩いています。毎日、毎日通う道。毎日、毎日見る景色。同じ道から見えるものはいつだって同じ風景です。それは同じことを繰り返すということなのかもしれません。
その大通りを少し外れた所に、わたしの通う大学院があります。
はじめまして。“はがねのつるぎ”といいます。いつもエンジニアライフのコラムを読んでくださっている皆さま、ありがとうございます。
この記事を読んで「面白い」とか「ヘンなやつ」と思ってもらえたら、わたしのコラム「フリーなスキル」やインタビュー記事も併せてご覧ください。
わたしはシステムエンジニアを10年近く続けてきました。その後、フリーランスとなり、いまや世間的にはベテランと呼ばれるポジションにいます。2009年4月から、思うところがあって、社会人大学院に通うことにしました。今回は、なぜ“ベテラン”となったいま、社会人大学院に通うことにしたのかをお話しします。
■忙しい大学院生活の始まり
いつも使っている大通りの裏道に、情報処理系の学校があることは、ずっと前から知っていました。「いいなあ、通ってみたいなあ」。ぼんやりと思いつつ、自分には縁がないだろうと、その前を通り過ぎる毎日でした。
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そこが「社会人大学院」であることに気付いたのは、ずっと後のことでした。夜間でもOKだそうです。これなら通学できるかもしれない。そう考えました。
以前、専門学校で講師兼エンジニアをやっていました。そういえば、その専門学校も社会人大学院が併設されていました。ちょうど開設したばかりで何もない時期。空き部屋を改造して研究室を作ったり、床をめくってケーブルを這わせてネットワークを構築したりと、忙しい毎日を過ごしていました。
だから、情報処理系の大学院生がどんな人たちで、どんな「学生生活」を送ることになるのか、大体のイメージは持っていました。
忙しい大学院生活。果たして、わたしに勤まるのでしょうか。
■「理論に裏付けされたスキル」を求めて
冒頭でも触れたとおり、わたしはそれなりに長いことエンジニアをやってきました。フリーランスとして独立もしました。なぜいまさら学校に通うのでしょうか。わたしは、何を学びたいのでしょうか。
日々、仕事を続けていると「妥協しなくてはならない場面」によく出くわします。例えば、クオリティよりも、目の前の困難をいかに早く解決するかが優先される。本当にそれでいいのか――いつも、そんな問いが突き付けられます。
妥協という言葉を使うのは不適切かもしれません。限られた時間の中でモノを作る、それが仕事というものです。夢や妄想の中でシステムは完成しません。寝ている間にコードを書いてくれる“小人さん”はどこにもいないのです。「取りあえず動けばいい」の積み重ねで構築されるシステムもあります。
それは技術者にとって大きなジレンマです。技術者として完成度を高めたい自分と、技術屋としてプロの仕事をこなす自分との葛藤(かっとう)。
経験によって得られる「プロの仕事をこなす」スキルは、現場で磨いてきました。次に欲しいと思ったのは、「完成度を高める」ための、理論に裏付けされたスキルでした。
とはいえ、ダラダラと独学でやっていても仕方がありません。確かに、学業と仕事の両立は大変です。でも、独学に比べたら、学校に通う方がどれだけ効率的でしょうか。目の前に走りやすい道があるなら利用する。それがわたしの基本的なスタンスです。
その社会人大学院は2年間という期限付きでした。それでも、すべてを自分で決めて、納期を気にせず、納得のいくまでシステムというものに向き合いたい――そう思って、入学を決めました。
アカデミックな世界では、まず歴史から入ります。ネットワークの授業は無線LANからではなく、電波の話から入ります。短波とかFMとか。もちろん、コンピュータの基礎はENIACから……いえ、その前に真空管の原理がありました。
こうした、あらゆる技術の根幹を成す要素が、いままでのわたしにはありませんでした。これから、わたしの血となり肉となってくれることでしょう。
■何を作りたいのか、それを決められる自分になる
“何を”作りたいのか。それが、学生となって最初に立てた問いです。
うぬぼれかもしれませんが、「システムを作る力はすでに持っている」といい切ることはできます。しかし、技術は目的ではなく手段にすぎません。知りたいのは、そのスキルの使い方です。
わたしにだって欲はあります。どうせなら売り物になるようなソフトウェアを作りたい。不純な目的も織り交ぜて、イチからではなく、ゼロからのスタートです。
何を作ればいいのだろう。研究室で、ずっと悩んでいました。
ある日、気が付きました。答えは「作るべき何か」ではなく、「作るべき何かを見つけられる自分」であると。「テーマ探し」そのものがテーマだったのです。
「教えられた」ではなく「気付いた」です。頭から「こうだ」というような教え方を、わたしの指導教授は好みません。いつも、わたしが自分の力で見つけられるように方向を示してくれます。「気付きが大切」という、ありふれた言葉の重要性を痛感しました。
どんな状況でもゴールを設定できる技術。これもまた、モノを作る力の1つです。
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