第6回 大常昌文――「懇親会でしか出ない話」こそ面白い
岑康貴
2008/9/4
エンジニアにとって仲間とはどういう存在なのだろうか。極端なことをいえば、自分1人で作業が完結できてしまうエンジニアにとって、仲間とのコミュニケーションにはどんな意味があるのか。エンジニア同士のネットワークを通じて、エンジニアにとっての仲間とは何かを探る。 |
サイボウズラボの竹迫良範氏からスタートし、コミュニティで活躍するエンジニアの輪をたどってきたこの連載も、今回で6人目。前回登場したソフリットの檀上伸郎氏(檀上伸郎――「はてな」と「けもの道」)から紹介されたのは、大常昌文氏だ。
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ネット上では「otsune」というIDで有名な大常氏。彼はこれまで本連載に登場したような、いわゆる「IT系企業」に勤めているわけではなく、アニメーション制作会社でシステム管理をしている。
IT系企業ならば、技術者が多く、社内でもテクニカルな話題は事欠かないだろう。しかし、非IT系企業となると、そうもいかない。そんな大常氏にとって、コミュニティとはどのような存在なのか。
■オンラインゲームをやりたいがために、LAN環境を整備
大常昌文氏 |
大常氏のキャリアは、かなり異色だ。
「いまの会社に入る前は、とあるゲーム会社でグラフィッカーとして働いていました。それ以前からQuark XPressやAdobe PageMaker、Adobe Photoshopなどを使って印刷物を作る仕事をしていたので、そのスキルを生かした形です」
セガサターンやプレイステーションなどのハードが出始めたころだったという。グラフィックをゲーム用にコンバートするなどの仕事がメインだった。
ゲーム会社に就職したのが1997年。当時はパソコン通信から本格的にインターネットへと移行する時期であり、オンラインゲーム黎明期でもあった。
「ゲーム会社なので、そういうものもやっておかないといけないなと思ったんです。単純に遊びたかったというのもあります。シナリオライターの人とか、キャラクターデザイナーの人とか、ほかの人たちもそれぞれパソコンを持っているわけで、それらをつないで一緒にやりたいよねっていう話をしていたんです」
そこで、会社内では比較的、知識のあった大常氏が方法を調べることになった。LANを引いて、環境を整備した。「みんなでゲームをやりたいがために」と笑う。
一方で、大常氏はインターネットの面白さにものめり込んだという。まだブログという言葉すらない時代、Geocitiesを利用して個人のホームページを立ち上げた。
「Adobe PageMillでHTMLを組んで、日記を書いていました。当時も、いまのブログほどの規模ではないものの、アニメやゲームの感想をホームページで書いている人はいたんです。僕は仕事に関連して、ゲームのグラフィックの話とか、ゲーム雑誌に掲載する際のRGBとCMYKの関係などについて書いていました」
■ファイルサーバが重いから、本を買って勉強
こうしてインターネット黎明期にホームページでさまざまな持論を書きつづっていた大常氏。その読者の中に、現在の会社の取締役がいたのだという。
「オフ会を開いて飲もう、という企画があって、そこで取締役の人に会いました。とはいっても、その人もインターネットやアニメやゲームが好きな1人の個人として参加していただけなのですが。そこでグラフィックやDTPの話をいろいろとしました」
その後、大常氏の勤めていたゲーム会社が事業を畳むことになる。そのことをホームページで書いたところ、取締役から「それならうちに見学に来て」と誘われた。かくして、大常氏は現在の会社に転職することになる。
大常氏がネット上で使用する、自画像風アイコン |
「もともとメインはグラフィッカーだったので、現在の会社でも最初は印刷物とグラフィックを担当するということで入りました。ただ、それと並行して、システム周りを少しずつ見ていくようになっていったんです」
当時あったサン・マイクロシステムズのファイルサーバが非常に重く、社員から不評だった。どこかの代理店を使って結構な金額で導入したものだったという。ここでも大常氏は、この事態を解決するために一肌脱ぐことになった。
「Solarisの使い方なんてまったく分からなかったので、取りあえず検索してみました。ところが、当時役に立つドキュメントがネット上には全然なかった。サンのサイトに行ってみても、ドキュメントが整備されていることはされているのですが、初心者向けのチュートリアルはありませんでした」
仕方なく、大常氏は書店に走って入門書を購入。不要な要素を削り、かなり快適な環境に近づけることに成功した。しかしそれでも根本的なパフォーマンスは変わらなかった。さらに、当時はWebサーバやメールサーバはグループ会社のものを間借りしている状態。かといって、予算をつけて構築するなど、会社の稟議が通るわけもなかった。
「ゲリラ的にやるしかない」――そう大常氏は考えた。自分の周囲の部署だけで始めるしかない。2001年のことである。
■使い勝手が悪いから、自分でファイルサーバを構築
「当時、もうほとんど使えないAT互換機のパソコンが手元にあった。これにCD-ROMでRed Hatを入れて、Sambaとnetatalkを入れればファイルサーバができるらしいということが分かったので、試してみました。そうしたら、すんなりとうまくいったんです」
いきなり仕事のファイルを置くのはまずいだろう、ということで、最初はPhotoshopなどのアップデータを置くような使い方をしていたという。まだインターネット回線が現在ほど速くなかった時代なので、重宝された。
「共用ファイル置き場ですね。そこから、少しずつ重いファイルを置くようにして、負荷実験を進めていきました。最終的に、業務の実作業に耐えうるファイルサーバになりました」
大金を積んで導入してもらったものより、無料で入れられるLinuxと、使い物にならなくなったようなパソコンで構築したサーバの方が、パフォーマンスもよくて使える、という事実に大常氏は驚いたという。周囲の人も、公式のファイルサーバから大常氏謹製のファイルサーバへ、少しずつ移行し始めた。
大常氏自身、この体験を通じてサーバ構築のやり方がよく分かったという。かくして、大常氏は正式にシステム管理者となった。アニメーションのグラフィックや印刷物関係の仕事も並行して行っていたが、現在は完全にシステム管理に専念している。
「必要にかられて」、課題を解決するために勉強し、実践していたら、最終的にシステム管理者になってしまった大常氏。これまで登場した、いわゆるギーク的なエンジニアとは異なるキャリアといえるだろう。そんな彼にとって、コミュニティはどんな存在なのか。
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