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組み込みエンジニアは何を見るか

第5回 組み込み開発にオブジェクト指向を

三浦優子
2007/7/27

最近注目されている組み込みエンジニア。彼ら、彼女らは、どんな製品にかかわっているのだろうか。

成り行きでかかわった組み込みソフト開発

 現在はさまざまな方面から注目される組み込みソフト開発だが、豆蔵の執行役員で、ES事業部長の福富三雄氏が最初に組み込みソフト開発に取り組んだ当時は、まだ「組み込みソフト」という言葉は一般的ではなかった。

 「そのころ、私は複写機メーカー系のソフト開発会社に所属していました。複写機に搭載されるソフトウェア、ファームウェアを開発することになったのが、いまにしてみると組み込みソフトに取り組んだ最初です」

 福富氏は大学時代、無機化学を専攻した。そして卒業後、入社したのは無機材料系の会社だった。ところが、X線などによる材料の物性解析のためパソコンのプログラムを作るうちに、材料研究の仕事よりも、ソフト開発に興味がいってしまった。「自分も本格的にソフトウェアを作ってみたい」と考えた福富氏が転職を決意したのは、1990年、28歳のときだった。

オブジェクト指向のシステム開発を望む

 転職先として選んだソフト開発会社は、オブジェクト指向を使ったシステム開発に積極的だった。

豆蔵の執行役員で、ES事業部長の福富三雄氏。もともと組み込み開発に携わるようになったのは、「配属の偶然」によると語る

 「実をいうと、自分で進んで組み込みソフト開発をしたいと考えたわけではないのです。オブジェクト指向によるシステム開発に携わりたいとは考えていたのですが、配属されたのは、なぜかシステム開発をする部署ではなく、複写機の内蔵ソフトを開発する部署だったのです」

 自分が望む部署には配属されなかったものの、福富氏は決して腐らなかった。

 「自分の望む配属先ではなかったけれど、会社自体がオブジェクト指向技術に関しては積極的に取り組んでいました。海外のオブジェクト指向方法論者を招いたセミナーが開催されるなど、オブジェクト指向を勉強しやすい環境ではありました。当時の私の上司も協力的で、セミナーに出席したいといえば出席させてくれましたし、オブジェクト指向技術に取り組んでいた他部署のメンバーと交流することで、勉強をすることも可能でした」

 なぜ、上司が福富氏に業務とは直接関係のない勉強をすることを認めたのだろうか。現在マネジメントを行う立場で福富氏は当時を振り返り、「楽しく仕事をするも、しないも本人次第。自分がどんなことをできるのか、その追求なしに他人に責任を転嫁する人は誰も支持してくれない。与えられた仕事を、最初から嫌だといっているだけでは駄目でしょう。やるべき仕事をきちんとしたうえでなら、『こんなことをやりたい』という希望を上司も聞いてくれると思います」と話す。

 意欲的に勉強する中で、仕事においても大きなプラスとなる友人もできた。

 「この友人とは現在でも付き合っていますが、仕事のうえでも欠かせないパートナーとなりました。私は地道に1つの技術を追求するのが得意でしたが、この友人はアイデアマンで、1つの技術がどのように発展していくのか、将来を見通すのが得意でした。2人でいろいろと話し合っていくと、お互いのモチベーションは上がるし、考えていたことの整理もできました。会社の中で、さまざまな人と話し合うことで得られるプラスのメリットというのは大きいと思います」

オブジェクト指向を組み込みソフトに

 勉強の成果は、自分の業務にとってもプラスとなる形で表れた。福富氏は組み込みソフト開発にオブジェクト指向技術を取り入れたのだ。

 「オブジェクト指向と組み込みソフトは、相性が良かったのです。組み込みソフトは、差分開発が主で、それに対してオブジェクト指向は仕様変更や機能拡張がしやすいというメリットがありましたから。ただ、当時はオブジェクト指向を使って組み込みソフトを開発する環境はまったくそろっていませんでした。コンパイラはどうするかなど、基本的な開発環境から自分で用意しなければなりませんでした。コンパイラ、デバッガについては半導体ベンダに依頼して開発してもらいましたが、当初不具合が多く、すごく苦労しました。モデリングツールなんかも苦労した記憶があります」

 現在が舗装された道をどうやって車を走らせるのか、ドライビングテクニックに注力すればいい状況だとすれば、当時は道がないところに道をつくるところから始めなければならない環境だった。

 目的にたどり着くため、かなり回り道をする必要があったわけだが、「いまにして思うと、組み込みソフトを開発するうえでの原理原則はよく理解できた。例えば、コンパイラの不具合を切り分けるために、コンパイラの生成したアセンブラコードを解析した結果、C++というのはアセンブラに落ちるとどういうコードになるのかといったことも理解できました。ほかにも環境の不十分さが幸いして、マイコンの知識やOSの知識も理解できました。苦労は多かったが、基礎から勉強ができたという点では、組み込みソフト開発といってもハードウェアにほとんど触れずに作業ができる現在の開発者に比べると、幸運だったかもしれませんね」と振り返る。

 当時はまったく知らなかったが、競合メーカーのソフト開発者も同じように組み込みソフト開発にオブジェクト指向技術を取り入れていたことが後から分かった。当時はファームウェアと呼ばれていた組み込みソフトがデジタル技術の進歩により重要性を増し、さまざまなエンジニアが苦闘しながら、同じような課題に取り組んでいたのだ。

 その後、福富氏が選んだキャリアは? そして、そこではどんな経験を積んだのだろうか?

   

 

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