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IT業界の冒険者たち

第1回 よみがえったアップルの顔

脇英世
2009/5/12

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

スティーブ・ジョブズ(Steven Jobs)――
アップル創業者、最高経営責任者

 1984年、米国のスーパーボウル中継の際、1回だけ放映されたマッキントッシュのテレビコマーシャルは、パソコン業界だけではなく、いまでもテレビ業界の語り草となっている。それはジョージ・オーウェルの小説『一九八四年』(新庄哲夫訳、ハヤカワ文庫刊)をモチーフにしたもので、ハンマーを手にした女性が支配者ビッグブラザー(IBMの大型コンピュータ)を打ち砕くというものだった。このCMに象徴されるように、マッキントッシュでビッグブラザーならぬビッグビジネスであるIBMに挑んだ男が、スティーブ・ジョブズである。

 パソコン業界は実に変化の激しい業界だと思う。1984年に書かれた『ザ・コンピュータ・アントルプルーヌル』(邦題『コンピュータ・ウォリアーズ』、レベリングロバート著、根岸修子編著/鶴岡雄二訳、アスキー刊)という本がある。この本に登場する65人の有名人たちは、ほとんど消えてしまった。ハードウェア関係だけで14人いるが、いまの人はほとんど知らないだろう。その中でわずかに伝説として残っているのがスティーブ・ジョブズである。

 スティーブ・ジョブズ物としては、次のような本がある(*1)。どれを読んでも面白い。『スティーブ・ジョブズ パーソナル・コンピュータを創った男』(ジェフリー・S・ヤング著、日暮雅通訳、JICC出版局刊)、『エデンの西』(フランク・ローズ著、渡辺敏訳、サイマル出版会刊)、『スカリー』(ジョン・スカリー/ジョン・A・バーン著、会津泉訳、早川書房刊)。

*1)ほかに、次の2冊が良い。『スティーブ・ジョブズの道』(ランドール・ストロス著、斉藤弘毅/エーアイ出版編集部訳、エーアイ出版刊)、『アップル薄氷の500日』(ギル・アメリオ/ウィリアム・L・サイモン著、中山宥訳、ソフトバンク刊)

 これらの本は1988年から1989年ごろに出版されている。スティーブ・ジョブズの理想を実現したNeXTコンピュータが1988年10月に発表され、かなりの期待を集めたからである。同機を発売したNeXTコンピュータという会社はかなり期待された。NeXTコンピュータに盛り込まれたNeXTSTEPという技術は、IBMにライセンス供与された。しかしIBMはそれを商品化することなく終わった。また、NeXTコンピュータも失敗に終わった。ジョブズの消息はたまに聞くが、いまやもう昔ほど話題を集めるカリスマではなくなってしまった。

 スティーブ・ジョブズは、1955年2月24日、サンフランシスコに生まれた。少年時代の最良のパートナーは、ハードウェアの天才スティーブ・ウォズニアックだった。ウォズニアックはカリフォルニア州立大学バークレー校に入学後、ブルーボックスという電話を無料でかけられる電子装置を作った。当時まだ高校生だったジョブズはそれを売って回った。ハードの天才とマーケティングの天才の組み合わせだったわけである。

 ジョブズは、大学をあっさり中退し、ビデオゲームで有名なアタリに入社する。そして、1970年代のLSDに代表されるヒッピー文化と東洋の神秘主義に強く影響されたジョブズは、インドに放浪の旅に出る。真理の追究には失敗したが、帰国しても禅には強い関心を寄せている。こうした経歴によって、ジョブズのカリスマ性が増している。

 1976年、ジョブズはウォズニアックを口説いて、アップルIを作らせる。これはむき出しの基板だけの機械だった。資金がないので、ジョブズはフォルクスワーゲンのバスを売り払い、ウォズニアックはヒューレット・パッカードの電卓HP-65を売り払った。その程度の資金の会社だったわけである。出来上がったアップルIをジョブズが強引に売りにいく。退却せずに済むくらいの、そこそこの成功だった。

 1977年、アップルIIが出る。これはウォズニアックの天才的技量が余すところなく発揮された機械であったが、ジョブズの考えもかなり入っていた。ケースが美しいこと、基板が美学的であることが要求された。このマシンは爆発的大成功を収めた。会社もどんどん大きくなっていった。それとともに会社の経営権は創業者の2人の手から次第に離れていく。

 アップルIIがあまりに成功しすぎたため、後継機は難しかった。アップルIIIやLISAも難航した。1980年、ジョブズは自分の娘の名前を冠したLISA開発計画から外されることになる。しかし翌年ジョブズは、マッキントッシュ開発計画をぶんどってしまう。実のところアップルの経営陣としては、厄介者のジョブズを後継機の本命アップルIII、LISAから追い払えるため、これを歓迎した感がある。

 マッキントッシュ開発計画は、ジョブズのカリスマ性が発揮され、海賊旗に象徴される反体制的な雰囲気と無限にお金を使うことで有名だった。

 1984年1月に発表されたマッキントッシュは、マスコミ向けには大成功だった。最初の新聞広告にはどくろの海賊マークのTシャツを着た開発スタッフが写っていた。変わった広告だなあと思ったのを覚えている。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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