
第2回 成功者の憂鬱
脇英世
2009/5/13
| 本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
| 本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
スティーブ・ウォズニアック(Stephen Wozniak)――
アップル創業者、アップルI開発者
スティーブ・ウォズニアックは、名機アップルIの設計者である。ウォズと短く呼ばれることもある。ウィザード・オブ・オズ(オズの魔法使い)にひっかけて、ウィザード・オブ・ウォズともいわれる。回路を簡素に作ることにかけてはかなう者のないハードウェアの魔術師だ。
スティーブ・ウォズニアックは1950年8月11日に生まれた。
スティーブ・ウォズニアックの父親はロッキード社の技術者で、衛星の設計に従事していた。スティーブ・ウォズニアックはシリコンバレーのサニーベールで育った。スティーブ・ウォズニアックが技術や科学に興味を持ったのは9歳のときで、トム・スイフトの空想科学小説シリーズを読んでからだという。回路工作には抜群に秀でており、10歳でコンピュータらしきものを作り、11歳で○×ゲームをするコンピュータを作った。また、この同じ年、アマチュア無線の免許を取った。年を追うごとに、一層複雑で凝ったコンピュータを作るようになっていった。
スティーブ・ウォズニアックは、これらの回路工作は「すべて自分でやった。授業で習ったわけではないし、本を買ったわけでもない」といっている。また「人生のある局面、つまり数学と科学において、自分は天才であった」といっている。
しかしそれだけ早熟な子どもにしたのは父親の努力と感化が大きかったろうし、本人も認めているように高校の先生も大きな影響を与えている。またシリコンバレー独特のサニーベール・エレクトロニクスという電気部品屋や、余剰部品を放出したインテルやヒューレット・パッカードといったメーカーの存在など、環境の影響も少なくなかったはずである。
スティーブ・ウォズニアックは近所に住んでいた子ども、スティーブ・ジョブズと親しくなった。
スティーブ・ウォズニアックは最近少し宗教的になっていて次のように語っている。「わたしは真実、健康で純粋な人間だ。わたしはいかなるドラッグもやったことはないし、マリファナやそのほかのものを吸引したことはない。30歳になるまでワインも飲まなかった」
純粋無垢(じゅんすいむく)で何の罪も犯したことがないかのようだが、そうでもない。スティーブ・ウォズニアックが少年時代スティーブ・ジョブズとやったいたずらは無数にある。
一番有名なのは、ジョン・ドレイパーという伝説的な人物が作ったブルーボックスの模倣である。原理は簡単で、電話機の使っている発振周波数の組み合わせで長距離電話がかかるようにするだけだ。回路の天才スティーブ・ウォズニアックにとっては造作もないことで、たちまち同じものを作り上げた。スティーブ・ウォズニアックがブルーボックスで最初に試みた通話はバチカンのローマ法王あてだったという。さらにスティーブ・ジョブズにブルーボックスを売るのを許可した。これは仮に犯罪として取り締まられなくても、道徳的には罪である。
スティーブ・ウォズニアックは、UCバークレーに入学した。3年生の夏、ヒューレット・パッカードでアルバイトしたところ、そこの研究環境に病み付きになり、そのままUCバークレーをドロップアウトして入社してしまった。親は泣いたであろう。
彼は手作りコンピュータを手掛けていたものの、注目されるようになるのはもう少し後だ。1976年3月にアップルIという基板だけのコンピュータを作ってホームブリュー・コンピュータ・クラブに持っていってからである。これをスティーブ・ジョブズが売ろうといい出し、4月1日、アップルコンピュータが設立された。スティーブ・ジョブズはフォルクスワーゲンを売り、スティーブ・ウォズニアックはヒューレット・パッカードの科学技術計算用電卓を売り払って1300ドルの資本を作った。アップルIの製作が、スティーブ・ジョブズの家のガレージで行われたことから、パソコン産業をガレージ産業と呼ぶようになった。アップルの事業に専念するため、スティーブ・ウォズニアックはヒューレット・パッカードを辞めた。同社に在籍したのは、1973年から1976年であった。
スティーブ・ウォズニアックは次のように語っている。「アップルIの設計とソフトウェアはわたしのアイデアだ。いくつのチップが何をして、から始まって、いくつスロットがあるか、まですべてわたしの選択だ。コンピュータの外観をどうするか。どのように売るか、どのように人々の前に提示するかはスティーブ・ジョブズの仕事だ」
つまりコンピュータとしてのアップルIの本質的な部分はすべてスティーブ・ウォズニアックが設計したという主張で、アップルのスターとしてスティーブ・ジョブズが強く出過ぎてしまったことへの反発だと思う。それ自体はもっともなことだ。しかし、スミソニアン博物館に保存されている木製の箱に入ったアップルIの写真を見ると、やはりこれは商品にはならなかったと思う。洗練されたデザインで、プラスチックの一体成形のケースに収めるというスティーブ・ジョブズのアイデアがなければ商品にはなり得なかった。
アップルが会社として成功すると、スティーブ・ウォズニアックの出番は減ってしまった。スティーブ・ウォズニアックは典型的な技術者で、会社の経営には向いていなかった。興味すらもなかった。1980年、アップルは上場を果たし、スティーブ・ウォズニアックは億万長者になった。
| 本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
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IT業界の冒険者たち バックナンバー
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