第4回 したたかな千両役者
脇英世
2009/5/15
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
ジャン=ルイ・ガセー(Jean-Louis Gassee)――
アップル・フランス設立者、元Be会長
ジャン=ルイ・ガセーという名前を知っていたら、その人はもう相当のアップル通である。ジャン=ルイ・ガセーは背が低く彫りの深い顔をしているフランス人である。本人の自己紹介で最も変わっていて面白いのは、「(ジャン=ルイ・ガセーは)エイリアンに誘拐されカリフォルニアでベンチャーキャピタルに育てられたフランスの農民」というものである。皮肉と冗談が好きな面白い人だ。
ジャン=ルイ・ガセーはある意味のエンターテイナーでインタビューがとても面白い。フランス風のエスプリの効いた当意即妙の受け答えが返ってくる。だから彼のインタビュー記事は概して長い。インタビュアーがのめり込んでしまって削れない。それに何より彼の話は面白く、読ませるのだ。
ジャン=ルイ・ガセーは1944年にパリに生まれた。子ども時代はパリ郊外で過ごし、さらにローマ・カソリックの寄宿学校に入った。寄宿学校時代、友人の持っていた2巻の百科事典を端から端までむさぼり読み、その中にあった機械式の計算機の図面に魅せられた。これがジャン=ルイ・ガセーとコンピュータの出合いである。
20歳から24歳にかけてジャン=ルイ・ガセーは、次々に職を変え、薬を売ったり、大道芸人をやったり、バーテンをやったりして、放浪の人生を送った。この辺の経歴の複雑さが彼の人格の曲折した部分を形成した。尽きない魅力の根源でもある。
1968年、ジャン=ルイ・ガセーは24歳のときフランスのヒューレット・パッカード(HP)の支社に入った。まともな職歴もないえたいの知れない青年を、フランス支社とはいえ名門HPがよく採用したものだ。しかしジャン=ルイ・ガセーもしたたかであり、自分の売り込みには秘術を尽くした。
めでたくHPに採用されると、ジャン=ルイ・ガセーは一路出世街道を歩む。HPで成功したジャン=ルイ・ガセーは続いて5年間データ・ジェネラルのフランス支社に勤め、さらにEXXONのフランス支社社長兼総支配人となる。ジャン=ルイ・ガセーの人生最大の転機は、1980年12月のアップル・フランス設立の準備に参加したことにある。
1981年2月、アップルのフランス支社アップル・コンピュータ・フランスを設立すると、ジャン=ルイ・ガセーは辣腕を振るい、アップルの海外支社としては最高の成長率を記録し、また最大の収益を上げることになる。アップル・フランスの成功にはフランスの反米・反IBM傾向も手伝っているが、ジャン=ルイ・ガセーの経営手腕はたいしたものだった。
1985年、ジャン=ルイ・ガセーのアップル・フランスでの経営手腕に注目したジョン・スカリーが彼をアップル本社に引き抜く。ジョン・スカリーの引き立てもあってジャン=ルイ・ガセーは昇進を続ける。
ジャン=ルイ・ガセーのフランス風エスプリの効いた知性は抜きんでていた。当時アップルの経営を仕切っていたスティーブ・ジョブズがパソコンを「知性のための自転車」と表現したのに対し、ジャン=ルイ・ガセーは、フランス人らしいエスプリを効かせて、パソコンを「知性のための翼」と呼んだ。どちらの表現が洗練されているかは明らかだ。
ジャン=ルイ・ガセーはしたたかでもあった。ジョン・スカリーの著書『オデッセイ―ペプシからアップルへ』はこんなことが書いてある。
「ガセーはフランス人の数学者で、ほとんど独力でアップル・フランスを最大の海外支社に作り上げたのだが、カリスマ的な知識人でパソコンとロマンチックにかかわった。モデルであったこともあるし、詩人、哲学者でもあった。彼はジャン=ポール・ベルモンドとスタイルにいたるまでよく間違えられた」
これを読むと、ジャン=ルイ・ガセーとはとんでもない男だと思う。経歴を分析してみれば分かることだが、詩人や哲学者であったことはない。したたかであるはずのジョン・スカリーを完全にだましている。あるいは、ジョン・スカリーは腹心の部下についてもこの程度の知識しかなかったのかとも思う。
ジャン=ルイ・ガセーについての資料を読むと、次のような表現が至るところに出てくる。「時折、彼は話の途中で休み、眉をつり上げ、彼が投じた性的なメタファーへの反応を待って天井を見上げる」。これを見れば分かるように、ジャン=ルイ・ガセーはしたたかな千両役者なのである。
ジャン=ルイ・ガセーには、実際にソフトウェアを使っているエグゼクティブという強みもあった。ジョン・スカリーもそしてスティーブ・ジョブズもマッキントッシュのマーケティングには興味を持ったが、マッキントッシュそのものを使うことには興味がなかった。そのため、なぜ初期のマッキントッシュが売れないか理解できなかった。使ってみれば明確なようにメモリが不足していたのである。ジャン=ルイ・ガセーはメモリを増やしたマッキントッシュプラスを出してアップルの危機を救った。
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
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