第17回 バイアコムを買い取った男
脇英世
2009/6/8
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
サムナー・レッドストーン (Sumner M. Redstone)――
バイアコムCEO
2001年1月、ヤフーの株が全世界的に暴騰した。なぜ株価が上がったのかは株の常でよく分からないのだが、世界中に広まったうわさは「AOLによるタイムワーナーの買収がやっと実現したため、これによってCATV業界で第3位に転落したバイアコムが、ヤフーを買収して対抗手段を講じるだろう」というものであった。「風が吹けばおけ屋がもうかる」式の話である。うわさはともかくとして、バイアコムという会社を動かしているサムナー・レッドストーンについて見ていくことにしよう。
20世紀の初め、東欧系ユダヤ人のミッキー・ロスステインという男が、ボストンに生まれ育った。当時のボストンでは遅れてやってきたアイルランド系や東欧系の移民の子孫が、必死の努力を続けていた。これは、社会的地位の向上を求めて、というよりむしろ、のし上がろうとしてのことである。ミッキーもそのうちの1人で、高校を中退した後、事業を起こし、元ボストン市長のジョン・フィッツジェラルドと知り合いになった。このジョン・フィッツジェラルドという人物は、後の合衆国大統領ジョン・F・ケネディの祖父に当たる。昔の政治家というのは洋の東西を問わず、純粋な人ばかりではなかったようである。
さて、ミッキーは結婚して、奥さんのベル・オストロフスキー・ロスステインとの間に、長男のサムナー・ムレイ・ロスステインを授かった。1923年に生まれたこの子こそが、後のサムナー・レッドストーンである。名字がロスステインからレッドストーンに変わった経緯については、後で説明しよう。1934年、ミッキーはロングアイランドに自動車で見に行けるドライブイン形式の映画館を作った。競馬、飲み屋から借りるなどして、資金を用意したという。さらに、ナイトクラブの経営にも手を出した。20世紀初めのボストンの成功者は、大抵そういうふうであったらしい。
息子のサムナーはボストンのラテン学校に通ったが、両親を喜ばせたことに成績は抜群で主席となった。またこのころ、将来の妻となるフィリス・グロリア・ラファエルに出会っている。彼女は裕福な家庭の娘であった。1940年、サムナーはハーバード大学に奨学生として入学した。このころ一家は、名字をロスステインからレッドストーンに変えた。そんなことが可能なのかと思うが、ニューヨークの有名なギャング「ロスステイン」と間違われないためだったという。
太平洋戦争が激化したハーバード大学3年生のときには、陸軍情報部で日本暗号の解読部隊に配属された。かなり良い成績を残し、陸軍から感謝状をもらっている。一方、サムナーとの仲を引き離さんがため、フィリスは西海岸のUCLAへ送られた。しかし、1947年にフィリスがボストンに戻ってくると、2人は結婚した。同年、ハーバード大学の法学士号を取得していたサムナーは、サンフランシスコ、ワシントンDCと転勤しながら、控訴院の司法書記、検事総長の特別補佐官などを務めた。その後、ワシントンDCにあるフォード・ベルグソン・アダムス・ボークランド・レッドストーン法律事務所に移っている。
しかし、法律家の仕事は肌に合わなかったらしく、1954年にはボストンへ戻り、父親の会社であるノースウエスト・シアター・コーポレーション(後にナショナル・アミューズメントへ社名変更)に入社して精力的に活動し、傘下の映画館を59館まで増やした。そして、1967年にはナショナル・アミューズメントの社長兼最高経営責任者(CEO)に就任している。ちなみに、弟は早くから家業に入っていたのだが、最終的には追い出してしまった。サムナーは法律家になるのを嫌ったが、法律的な知識は豊富に持っており、ハリウッドの映画会社と度々法廷闘争をして勝っている。
1977年、ナショナル・アミューズメントは本業である映画館のチェーン展開から抜け出して、20世紀フォックスの株式を5%購入した。1981年にマービン・デイビスが20世紀フォックスを8億ドルで買収すると、ナショナル・アミューズメントは20世紀フォックスの持ち株を3000万ドルで売却し、かなりの利益を得た。同社は同じような株の売買をコロンビア映画、MGM/UA、タイム、バリー、ローズ、ワーナー・コミュニケーションズなどに対して繰り返し行うことで、次々にもうけていった。
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
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