第25回 ゾークに魅せられた学生たち
脇英世
2009/6/18
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
MITの学生たち(Students of MIT)――
ゾーク開発者
コンピュータ・ゲームの原型としての「アドベンチャー」は、ウィル・クローサーとドン・ウッズによって作られた。画面に字ばかり出てくるゲームである。
「あなたはドアがついた白い家の西側の空き地に立っています。そこには小さな郵便箱があります」
ユーザーは文字を読んで想像力をたくましくする。
「北へ行きなさい(GO NORTH)」とコマンド入力すると、画面にはまた文字が現れる。
「家の北側です。あなたは白い家の北側に向かって立っています。こちら側にはドアがありません。すべての窓には鍵が掛かっています」
ユーザーはまた入力する。
「東へ行きなさい(GO EAST)」
こうしてゲームは進行していく。このゲームには、2つほど明確な改良すべき点があるのに気が付くだろう。1つは想像力でなくグラフィックスによって場面を展開していくことだ。これはシエラ・オンラインのケン・ウィリアムズとロバータ・ウィリアムズによって実現された。
もう1つ改善したいのは、コマンドがGO NORTHやGO EAST、GO INなど、2語の単純な命令口調のものに限られている点だ。もし2語でなく3語以上の文章を使えたらゲームはもっと人間的なものになる。例えば次のように。
「LIGHT CANDLES WITH TORCH(たいまつでろうそくに火を付けて)」
「LOOK UNDER RUG(じゅうたんの下を探す)」
「TURN ON LAMP(ランプを付けて)」
「KILL TROLL WITH SWORD」(怪物トロールを短剣で殺せ)」
こういう自然言語理解はいまだに一般的には可能になっていない。しかし限定された範囲では可能である。入力された文章を解析するプログラムをパーサという。1977年「アドベンチャー」が西海岸のスタンフォード大学のドン・ウッズによって開発されると、東海岸にあるMITのコンピュータ科学研究所のダイナミックモデリンググループ(略称DM)の大学院の学生たちはARPANETを使ってこれを取り寄せて夢中になった。
彼らの属するMITの人工知能研究室では1970年ごろ、LISP言語に続いてMUDDLE言語(後にMDLと改称)を開発した。癖の強い言語で一般には広がらなかったが、人工知能研究には向いた言語であり、人工知能研究室では熱心な研究が続けられていた。
ひとわたり「アドベンチャー」に親しむと、MITの学生たちは「アドベンチャー」の改良に取り組むことになった。むろん彼らの得意なパーサの技術を使うことになった。
MITの人工知能研究室で「アドベンチャー」に魅せられた学生たちの顔ぶれは実に多彩である。まずマーク・ブランクがいる。彼はMITの生物学の学士号を持ち、アルバート・アインシュタイン医科大学卒、当時MITコンピュータ科学研究所の補助員であった。当時しばらく人工知能研究室に身を寄せていた。
次にデイブ・レブリング(Dave Lebling)。彼はMITの政治科学科の学士、修士号を持つ。当時モールス信号に夢中になっていた。後にプランニングシステムとメールシステムの研究に従事した。彼もMITコンピュータ科学研究所の補助員であった。
この2人が中心になっているが、実は注意深く経歴を見てみると、この2人はMITのコンピュータ科学科の学生ではない。むしろよそ者の手伝いの学生である。
MITのコンピュータ科学科の学生ということでは、まずティモシー・アンダーソン(Timothy Anderson)がいる。彼はMITのコンピュータ科学科の学士、修士号を持つ。当時MITコンピュータ科学研究所の大学院生で研究員であった。補助員ではない。次にブルース・ダニエルズ(Bruce Daniels)がいる。彼は博士課程の研究に少し疲れていた。ブルース・ダニエルズは「アドベンチャー」の解析に機械語のデバッガを使った。
デイブ・レブリングがまずMUDDLE言語を使ってコマンドのパーサを書いた。続いてマーク・ブランクとティモシー・アンダーソンがゲームのプロトタイプを作った。このゲームに磨きをかけるのにはブルース・ダニエルズも参加した。出来上がったゲームにはゾーク(Zork)と名前が付けられた。ゾークはMUDDLE言語で書かれ、PDP-10上でしか動かなかった。ゾークは公開されたわけではないがARPANET経由で評判になっていった。
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
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