第26回 山奥の桃源郷でゲームを作る夫婦
脇英世
2009/6/19
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
ケン・ウィリアムズ(Ken Williams)
ロバータ・ウィリアムズ(Roberta Williams)――
シエラ・オンラインCEO
ケン・ウィリアムズは1954年カリフォルニア州のポモナで生まれた。ポモナを地図で探してみると、ロサンゼルスの東の方にある。チノという町の北西だ。大きい地図でないと探せないかもしれない。AAA(全米自動車協会)でもらった地図に載っていた。脱線になるが、チノの飛行場には航空博物館があって旧日本軍の航空機も多数良好な状態で修理保存されている(*1)。飛べる状態で保存されているのを見てびっくりしたことがある。
(*1)いまでも飛べる零戦や、人間爆弾の桜花まで展示してあった。 |
ケン・ウィリアムズの父親は、ケンタッキーのカンバーランド郡からカリフォルニアに移ってきたシアーズ社のテレビの修理工だった。電気の技術は父から引き継いだのかもしれない。9歳のときケン・ウィリアムズはアマチュア無線の免許を取っている。ポモナでの暮らしは楽な方ではなかったらしく、ケン・ウィリアムズは新聞やピザの配達などをして家計を助けた。少年時代のハングリーさが彼の力の源泉かもしれない。ジョージ・ペパードが主演した映画の原作『大いなる野望』が彼の愛読書であったという。手短にいえばハワード・ヒューズを尊敬していたのだ。16歳になったケン・ウィリアムズはカリフォルニア・ポリテクニック・ポモナ校に入った。専門学校のようである。物理専攻であった。ケンは飲酒と遊びに専念した。あまり褒められた成績ではなかったらしく、成績不良で退学になっている。
専門学校時代、ケン・ウィリアムズはロバータ・ヒューアという1つ年上の少女と知り合いになる。ロバータはヨセミテの南、オークハーストの農業検査官の娘として生まれ育った。オークハーストはすごい山の中で、地図を見れば分かるがルート99のフレスノという町から北へルート41を60キロメートルくらい行った所にある。少しは米国の道を走った経験があるから、こういう書き方でわたしは納得するが、経験のない人にはまったく分からないかもしれない。要するに国立公園になれるくらい、自然だけしかない田舎なのだ。
ロバータは一見平凡で内向的な少女で、勉強はあまり好きでなかった。自分だけの空想の世界に閉じこもる傾向があった。
ケンとロバータは19歳で結婚し、すぐに子どもができた。当時ケン・ウィリアムズは深夜放送のアルバイトなどをしていたらしいが、妻子ができたため手に職をつけるべくコントロール・データ・インスティチュートというCDC(コントロール・データ・コーポレーション)の訓練学校へと進学する。これは実際には9カ月のプログラミングコースだったらしい。
その間、妻のロバータは高騰を続ける不動産の投機に精を出した。どうやったのか分からないが最初に1軒の家を買うと、たちまちペンキを塗り、壁紙を張り、庭の手入れをし、前より高く売った。これを5年間に12回繰り返し、もうけ続けた。ロバータはただの女の子ではなかったのである。
ケンは持ち前のバイタリティでコンピュータ業界に入り、猛烈に働いた。数々の仕事を経てインフォーマティクス社に勤めたが、社内の仕事だけでなく社外の仕事にも精を出し、1979年に独立、フリーのコンサルタントになった。
ケンとロバータの夫婦の面白いところは「もっと稼げたらすてきじゃない?」という有名なロバータのセリフに代表されるように、お金もうけと浪費が好きということで意見が一致していたことである。
1980年1月、ケン・ウィリアムズは有り金すべてをはたいてアップルII を買った。このときロバータがケンにいったという。
「そんなにアップルII が欲しいなら、それでお金をもうけなくちゃ駄目よ」
同じころケンはコンピュータ端末を家に持って帰ってきてメインフレームコンピュータに接続し「アドベンチャー」ゲームをロバータに見せた。ロバータは「アドベンチャー」にはまってしまい、1カ月かけて「アドベンチャー」を解いてしまった。ここで驚くべきことが起こった。コンピュータについては何も知らないロバータが、自分で「ミステリーハウス」というゲームの筋書きを書いてみようと思い立ったのである。2週間でロバータは筋書きを完成させ、ケンに熱心に話した。
ケンはロバータにいわれたように、アップルII 用のFORTRANコンパイラを作って一山当てようとしていたが、ロバータに引きずられる形でアップルII 用の「ミステリーハウス」の制作にのめり込んだ。
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
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