第31回 GNOMEの開発者
脇英世
2009/7/2
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
ミゲル・ドゥ・イカザ(Miguel de Icaza)――
ジミアン社創業者・CTO
メキシコ人のミゲル・ドゥ・イカザは、Linuxの新しいデスクトップ環境であるGNOMEの開発者として知られている。彼について語るには、最初にデスクトップ環境とは何であるかということについて、いささか持って回った話をしなければならない。
Linuxにおけるウィンドウシステムは、Xウィンドウである。このXウィンドウは、どのようにして生まれたのだろうか。1983年、MIT(マサチューセッツ工科大学)は、5年間にわたるアテナ計画を発表した。アテナ計画とは、MITにあるコンピュータ資源が教育に十分活用されていないという問題に端を発した教育の改善に関する研究である。この計画では、MITのコンピュータサイエンス研究所と組み、非公式にXウィンドウの開発を始めた。Xウィンドウのことを短縮して、単にXとも呼ばれている。本来、アテナ計画とXウィンドウは、何も関係がないものだった。
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次に、なぜXウィンドウという名称なのかについてだが、Xに先行するウィンドウシステムとして、スタンフォード大学のブレイン・レイドとポール・アサンテによって開発されたWがあったからである。英語のアルファベットをAから順にたどれば分かるように、Wの次にはXが来る。ちなみにXウィンドウにはバージョンがあり、末尾に数字を付けて区別する。X1からX10までは、MITのロバート・シャイフラーとロン・ニューマン、そしてDECのジム・ゲッティスによって開発され、主にMITとDEC内で利用された。
Xウィンドウの開発は成功して、興味と関心を寄せる企業が次第に多くなっていった。1987年に始まったX11の開発では、多数の企業が参加している。アテナ計画はこの成功により、1988年に3年間の期間延長を許可された。この年、MITにXコンソーシアムが設立されている。1991年にアテナ計画は完了し、1993年には独立系の非営利団体として、Xコンソーシアムが結成された。同団体は1996年に解散し、すべての商標権や著作権を独立系団体のオープングループに移管した。Xウィンドウの開発はオープングループのXプロジェクトチームによって引き継がれることとなる。
1988年5月17日、アポロ、ブル、DEC、ヒューレット・パッカード、IBM、独ニックスドルフ、独シーメンスの7社によるOSF(Open Software Foundation:オープン・ソフトウェア・ファウンデーション)が設立され、新しい標準的なオペレーティング環境をつくり出すことを発表した。
OSFのオープン・システム構想は、POSIXとX/オープン共通アプリケーション環境に準拠し、UNIXを核に、オープンなオペレーティング環境を構築しようとした。OSより広いミドルウェアに重点を置いた構想であり、以下の4つの技術を中核としていた。
- OSF/1
- OSF/モチーフ
- DCE(分散コンピューティング環境)
- DME(分散管理環境)
OSF/モチーフは、Xウィンドウを核としたGUI(Graphical User Interface)だ。前述したように、Xウィンドウはウィンドウシステムである。このようにモチーフはもともとOSF/モチーフとして出発した。1996年2月にX/オープンとOSFが合体してオープングループになり、OSFのモチーフは、オープングループのモチーフとなった。オープングループは、モチーフをGUIとして位置付けている。
話をさらにややこしくするものとして、共通デスクトップ環境であるCDEがある。CDEはヒューレット・パッカード、IBM、ノベル、サンソフトなどが作ったCOSE(共通オープンソフトウェア環境)という組織によって開発された。
UNIXの覇権をめぐっては、1988年以来、OSFとUI(UNIXインターナショナル)という組織が衝突していたが、マイクロソフトのウィンドウズNTが強くなり、OSFもUIもマイクロソフトに敗れる危険性が出てきた。そこで1993年、OSFとUIの有力メーカーが、一転して対マイクロソフト戦略で団結してCOSE(慣例でコージと読む)という組織を作った。
合同するとなれば、OSFのモチーフとUIのオープンルック(OpenLook)というGUIの統合が図られなければならなかった。これらを統合したものがCOSEの共通デスクトップ環境CDEで、ある意味、妥協の産物である。1994年にOSFとUIの対立は終わり、UIはOSFに吸収再編された。さらにOSFは、1996年2月にX/オープンと合体し、オープングループとなった。結局CDEはオープングループに属することになったのである。オープングループの定義によれば、CDEとはオープンシステムコンピューティング用の統合化されたGUIであるという。いわば、GUIの上位概念としてデスクトップ環境の概念がある。
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
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