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企業ストーリー 〜ITエンジニアから経営者へ

第1回 起業の土台をつくったエンジニア時代

語り手 鈴井広己(仮名)
聞き手 渡辺知樹(ランディングポイント ジャパン)
2008/11/21

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エンジニアから経営者への転身を果たした鈴井広己氏(仮名)が、起業エピソードを語る。聞き手・解説は、自身も企業の代表を務める渡辺知樹氏。

 エンジニアの中には、いずれは起業したいと考えている人が少なからずいるだろう。「自分の実力を試してみたい」「自分の思う形で納得のいく仕事がしたい」「組織に縛られたくない」「サラリーマンでは得られない多額の収入を得たい」など、その動機はさまざまだろう。

 しかし、経営者には、人に使われる立場とはまったく異なる考え方が必要だ。サラリーマンにはないリスクも予想される。何となく「起業したい」と思うことはあっても、それ以上深く考えることをあきらめてしまう人は多いのではないだろうか。

 そこで、大手外資系ベンダの売れっ子エンジニアから起業を果たした、鈴井広己氏のストーリーを紹介したい。サラリーマン時代には予想もできなかったことが次々と発生する中、鈴井氏はどう考え、どう乗り切ったのか……。起業を志す人にはもちろん、サラリーマン社会を生き抜こうとする人にも役立つノウハウや教訓をお届けする。

◇◇◇

<渡辺の解説>
 鈴井氏は現在33歳。20代、そして30代の最初の2年間はサラリーマンであった。独立志向はあったものの、最初から「何が何でも起業する」という情念があったわけではない。だが、起業の土台となったスキルやマインドが、この10年間で培われたことは明白である。まずは“起業前夜”の話を聞いてみたい。

■何となくIT業界へ

鈴井氏 私が就職活動をしていた90年代中盤は、“超”が付くほどの就職氷河期で、恐ろしいほど求人がない時代でした。

 学生時代の私は、「いつか会社を興したい」といった気持ちが漠然とあったものの、具体的にやりたいことはなかったので、何となく就職活動をしている学生でした。とある中堅ITベンダの若干名募集に、当てもなく応募したところ、たまたま採用され、入社したという感じです。

 学生時代の専攻は電気工学でしたが、特にコンピュータの勉強はしていませんでした。入社後、社内教育プログラムや実地業務の中で覚えていきました。最初は何も分からない状態でしたが、自分の作ったプログラムが思うように動いた感動や、それが世に出て多くの人に役立っている様子を見ているうちに、開発という仕事の面白さや喜びに目覚めていきました。

 開発の仕事を一通り覚えたころ、当時の会社の最大の顧客であった、某国内最大手IT総合ベンダのストレージ開発プロジェクトにアサインされました。当時はインターネット黎明期でストレージ市場が急速に拡大しているときでした。高機能ストレージ開発に関しての知名度もノウハウもまだ確立されていない状況でしたが、すでに普及し始めていた海外メーカーに追い付くことという目標と、期限だけが決まっていました。具体的な実現方法などまったく見えずに始まった開発プロジェクトでした。

 このとき私は、主にC言語をアセンブラ言語のように使ってストレージを制御する、ファームウェアのプログラムを書きました。あいまいな仕様や急な仕様変更のお陰で、何日も徹夜や泊り込みをする羽目になりました。この世界では誰もが経験のあることと思いますが(苦笑)。

■エンジニア時代に心掛けていた3つのこと

鈴井氏 ITエンジニアとして一通りの仕事を覚えた2〜3年目。このころから、仕事を進めるうえで注意していたのは次の3点です。1つ目は、引き受けた仕事は何が何でも期日までに終わらせる。2つ目は、ミスをしたら、その原因を論理的に分析し、同じミスを繰り返さない方法を考える。3つ目は、毎日1つ新しい技術(IT用語や概念、仕組みや関数など何でもいい)を覚える、ということです。経営者になったいまでは、技術だけでなく、経営やビジネスに関することもターゲットにしています。

 1つ目の「納期を守る」は、上司をはじめ周囲の仕事仲間や、お客さまとの信頼関係を構築するためには欠かせません。信頼を得ることができなくてはいい仕事を任せてもらえないし、いい仕事を任せてもらえなければ売れる(つまりは独立を可能にする)スキルを身に付ける機会も得られません。

 2つ目の「ミスは徹底的に原因を分析する」のは、机上の勉強や資格取得だけでは得られない、現場でしか吸収することのできないノウハウを吸収するためです。できなかったことに対し、「もっと頑張る」的な精神論で終わらせず、ミスの原因を論理的に明確化したうえで、同じミスを再発させない方法を考えていました。例えば、仕事の進め方に問題があればプロセスを変えたり、ヒューマンエラーに起因するミスならば処理を自動化や簡略化できるツールがないかを調べたりしました。

 物事を一歩引いて見る、一段上のクオリティを視野に入れて日々取り組むことが、自分の企画力や設計力を向上させ、仕事やプロジェクト全体を見渡すトレーニングになっていたように思います。

 また、他人のミスで発生したトラブルにも、なるべく首を突っ込んでいきました。トラブルはノウハウの宝庫、多くの知恵を得ることができます。逆に、トラブルや問題に発展しないのは、その人の経験値がその業務では十分であり、ノウハウを得ているのではなく、ノウハウを提供しているということになると思います。自分の知識や能力の限界を超えることをしなければ、スキルアップやキャリアアップは望むべくもありません。

 ミスから得たノウハウは、本で読んだりお金で買ったりすることができないものでした。試行錯誤しながら、自然に問題解決力が鍛えられたように感じます。1つ1つが非常に貴重な経験であり、私自身の武器になっているように思います。

 3つ目の「毎日1つ新しい技術を得る」では、業務と直接結び付かない技術や仕組みでも積極的に調べたり、自腹で本を買って読んだり、トレーニングを受けたりしていました。いま振り返ると、これがすごく重要だったように思います。

 例えば、私のいたチームで、ストレージとデータベースとを連携するシステムの開発をすることになりました。ところが、その部署にはストレージの開発エンジニアしかおらず、どうしていいか困ってしまいました。私は当時、個人的にデータベースの勉強をしていたので、そのことをアピールし、メイン担当にしてもらいました。こうして、ストレージとデータベース両方に関する知識に加え、実務経験を得ることができたのです。

 いつやってくるか分からないチャンスをつかむためには、事前に広く浅く種をまいて準備しておくことが重要です。キャリアアップに資格を活用する場合は、自分の専門分野で取っておくことも重要ですが、専門とは少し異なる分野の資格も取って、将来のチャンスへ備えることは、キャリア構築のためには非常に有効だと思います。

<渡辺の解説>
 プロジェクトの納期に対するまじめな取り組み、トラブルとの格闘、そして地道な勉強や研究。ITエンジニア、そして経営者としての土台となった20代の生き方を一言で表すと、「プロフェッショナルとしての信頼づくり」といえるだろう。周囲、特に影響力の大きい上司や顧客からプロフェッショナルと認められることで、一層ハードルの高い、チャンスとなる仕事が与えられ、それがまた鈴井氏をITエンジニアとして成長させ、ビジネスマンとしてのステップアップにつながるという、プラスのスパイラルができていたといえるだろう。

  ところが、順調にITエンジニアとして成長しているように見えた鈴井氏だが、30歳になる直前、急に転職してしまう。転職先は外資系大手ITハードウェアベンダの発足間もないITコンサルティング部門。しかも、開発者だった鈴井氏がなぜか、ソースコードとはあまり縁のないインフラ構築系のエンジニアになってしまった。


  どのような理由で転職したのか。どうしてITエンジニアとしての方向性を変えたのか。私には、その中に起業への萌芽があるように思える。また、起業への思いはあるが、まだ時期ではないと判断した、鈴井氏の冷静な自己評価が垣間見られる。いずれは起業したいが時期尚早と考えている読者にとっては、オーバーラップする部分かもしれない。

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