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パソコン創世記


TK-80への不満

富田倫生
2009/8/28

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 すさまじい勢いで売れはじめたTK-80。だがTK-80は、けっして好評だけをもって迎えられたわけではない。いやむしろ、TK-80を買い求めたアマチュアの多くは、胸をときめかせてプラモデルめいたキットを持ち帰り、目を輝かせてはんだごて片手に組み立て、それから絶望を味わって8万8500円のむだ遣いを悔いていた。

 TK-80を求めたユーザーが、まず失望を味わうのは、電源の問題だった。TK-80のキットには電源部は付いていなかった。ユーザーは自分で、5ボルトと12ボルトの電源を用意する必要があった。たとえば家電製品を買い求めて、いざ使おうとして「電源はそちらで用意して下さい」などという但し書きを発見したユーザーは果たして怒りだすのだろうか。それともただただあきれかえるのだろうか。

 もちろん、TK-80のユーザーのすべてが、こうした家電感覚をもってキットを求めたわけではない。技術的にも難なく電源を用意することができ、精神的にもそのことにこだわりを持たなかったプロ、あるいはセミプロも多かったろう。

 しかし家電感覚を多少なりとも引きずったアマチュアにとってみれば、電源のないことは失望の対象以外の何ものでもない。

 さらに、電源の問題をクリアーしたとしても不満の種はいくらでもある。

 まず、記憶容量の貧弱さ。

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 TK-80に標準装備されていた記憶装置のうち、ユーザーがプログラムを記憶させることのできる部分の容量は、わずか512バイト。カタカナや数字、アルファベットなら500文字ほどしか記憶させることができない。この記憶容量の貧弱さのために、TK-80ではほんの小さなプログラムしか使用できない。要するに、ろくろく役に立たないのである。10万円を切ったとはいっても、そこそこの大枚をはたいたユーザーは、ここでも失望を味わうことになる。

 「こんなことなら、同じお金を払って関数電卓でも買っておいた方が、よほど役に立ったのに」と、思わず愚痴りたくなった人も多かったろう。

 しかし、このレベルまで到達した人は、まだしも幸福だったというべきなのかもしれない。記憶容量の壁にぶつかる前に、多くのユーザーは言語の壁にぶち当たったのである。標準的なTK-80のアマチュアユーザーのたどった道を再現してみよう。

 まず、マニュアルに従って組み立てを終わる。

 次に、プログラムのリストを見つけてくる。たとえば、デジタル時計のプログラム。プログラムのリストを見ながら、間違わないように注意深くキーを押し、プログラムを記憶させていく。プログラムが間違いなく入力されたとして、今度はそのプログラムを走らせてみる。確かに、赤いLEDの上に、時、分、秒が表示された。その瞬間は嬉しい。達成感がある。

 ところが、次に進めない。

 自分がキーを叩きながら入力していったプログラムの、どこが何を表わしているのか、さっばり分からないのである。

 コンピュータが直接に取り扱うことのできるのは、0と1の組み合わせでできた機械語でしかない。通常、機械語は、人間に理解しやすいようにと16進数で表記される。しかしそれとて、人間の目に映るのは0から9までの数字と10から15までを表わすAからFまでのアルファベットの羅列である。そしてこの事情は、大型のコンピュータに関しても、TK-80のようなマイクロコンピュータに関しても同様である。

 ごく一部の特殊な専門家だけによって操作されていた誕生初期のコンピュータは、機械語だけでプログラムされていた。機械語でプログラムを組んでいくためには、ハードウエアに関するくわしい知識が求められるが、コンピュータを扱う人間がごく一部の専門家に限られているうちは、それですまされていたのである。

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