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パソコン創世記


決断のとき

富田倫生
2009/9/11

「逸脱への歯止め」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 「いくらいいもの作ったといったって、セールスルートがなきゃ売れるわけないだろう」

 マイクロソフトのベーシックを積み、市場に出回っているパーソナルコンピュータを大きく上回る性能を持つと、PC-8001の素晴らしさを謳う渡辺に、大内は切り返した。

 独断でマイクロソフトと契約したといっても、何億円も持ち出したわけではない。渡辺に預けた研究費で収まる程度の額である。それを問題にすることもない。

 いやむしろ、日本電気のような巨大な組織では新しいアイディアは上に伝えられていくうちにつぶされてしまう傾向が強いだけに、渡辺の示した一種の勢いは貴重というべきだろう。

 大内自身、組織的な決定に唯々諾々として従い、与えられた仕事だけをこなすタイプの人間ではない。一匹狼的傾向を、多分に備えている。

 「自分ほど社内を転々とした人間はいない」と語る大内が当初「これこそ自分の死に場所」と考えたのは、半導体ではなく、メディカルエレクトロニクス、つまり医療用の電子機器だった。

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 1942(昭和17)年9月、太平洋戦争のさ中に東京帝国大学工学部電気工学科を卒業した大内は、9月30日に住友通信工業、現在の日本電気に入社、即日休職。10月1日には海軍の技術士官となり、その後敗戦まで、音波探知器に携わることになる。

 戦後、すぐに復職することのできた大内だったがそれまで行ってきた仕事は続けることができない。ソナーと呼ばれる音波探知器は、軍事技術として研究を禁じられている。

 その後約10年間、社内のさまざまなセクションを体験していた大内が、古巣のソナーにもどったのが1954(昭和29)年。この年、保安隊が改組されて陸、海、空3軍方式の防衛庁が設置され、ソナーの研究、開発が解禁となったのである。

 ここまでには、大内に逸脱はない。

 しかしソナーの開発を数年間続けたのち、大内は日本電気が手を染めたことのない医療機器分野に、かなり強引に進出を図っている。

 多種多様な雑音のある海中に音波を発し、相手の潜水艦に当たって反射してきた信号だけを雑音の中から拾い出すソナーの技術――。この技術における水を人体に置き換えれば、海中に潜んだ潜水艦を暴き出すように、体内の状況をとらえることができる。もちろん、ソナーに使う音波の周波数はかなり低いものになるのに対し、距離の短い人体ではきわめて周波数の高い超音波を使うといった差はある。しかし両者は、技術の基礎的な部分では驚くほど以通っていたのである。

 こうした発想から、大内はソナーという軍需技術を超音波診断装置という医療用機器に転用することを目指した。そして大内のまいた新しい種は生長を続け、ついには医用電子部というセクションが新設され、その初代部長に大内はおさまることになったのである。

 これまで社内を転々としてきた大内は、このとき「これを一生の天職にしたい」と考えたという。

 その願いを、小林宏治社長の1本の電話が打ち砕いた。

 「院長が賞を受ける。是非とも表彰式に出席してくれ」との依頼を受け、四国は松山の病院に出張していた大内は、本社からの突然の電話に呼び出された。

 社長である。

「今後は集積回路というのが大事なんで、その設計本部を作る。ついては君を本部長にしようと思うがどうか」

 現職は医用電子部長。格からいえば本部長代理を飛び越しての本部長就任、二階級特進である。けれど大内には、自分の天職としたい医用電子へのこだわりの方が、二階級特進の魅力よりも大きかった。

 「どうか、というのは社長、私の意思をお聞きなんですか」

 「そうだ」

 「それなら私は、始めたばかりのメディカルエレクトロニクスを続けさせていただきたいと思います」

 小林はいかにも不気嫌そうな声で「そうか」とだけ答え、ガチャリと受話器を置いた。出張を終えて東京にもどった大内に、小林は今度は通告してきた。

 「いちいち従業員の意思を聞いてたんじゃ会社の秩序が保てない。君、やってもらうぞ」

 独走型の大内にも、それ以上の抵抗はできなかった。

 「それなら最初から、そうするぞといってくだされば。私もサラリーマンですから。それを、わざわざどうかなんて聞かれるから」

 わずかな反撃を試みて、大内は小林の言葉に従った。

 その大内淳義が、今度は渡辺和也の独走に対し断を下す立場に立たされていた。

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