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パソコン創世記


失われたユートピアを求めて

富田倫生
2009/10/2

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 1972(昭和47)年秋、タケシが警察学校を続けることを迷いはじめたころ、中国研究者で早稲田大学教授の新島淳良は心の虫に応え、ある決意を固めていた。

 11月20日付けの毎日新聞は、「中国研究の新島教授/突然の転身/早大を去り『山岸会』へ」の見出しで彼の決意をこう伝えている。

 「リンチ事件で揺れ動く早稲田大学で、政経学部の新島淳良教授(44)=東京杉並区永福4の12の18=が、このほど突然辞表を出した。といっても革マル派騒動とは関係ない。気鋭の中国研究者として知られた同教授は、三重県に本部のある『山岸会』へ行き『共同生活実践の中で中国研究を続ける』という」

 1928(昭和3)年、中華民国の政治家、張作霖が日本の関東軍によって爆殺された年、新島淳良は生まれた。中学時代から中国に興味を持ちはじめ、その後一貫して中国研究者としての道を歩み続けた。

 新島にとって中国とは、希望の代名詞だったようだ。

 「私にとって、中国とはなんであったか。それは私のユートピアでありました。魯迅と毛沢東を結ぶ革命の思想にみちびかれ、10億にちかい人間たちが人類の未来の社会をもとめて、巨人の足どりのようにあゆんでいる。地上に存在する理想社会だと、しんそこ思っていたのです」(『阿Qのユートピア あるコミューンの暦』晶文社、以下引用は同書)

 その中国で、1966(昭和41)年5月、文化大革命が始まる。新島はあくまで、中国で開始されたこの新しい革命を支持するという立場を守りながらも、「巨人の足どりのようにあゆんでいる」はずの中国で、なぜそのとき新しい革命が求められるのかに悩んでいた。

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 ヤマギシでは、何らかの意思決定が必要となったときに開く話し合いの会を、研鑽会と呼ぶ。意見が異なったときは、全員の意見が一致するまで徹底して話し合いが続けられる。だが、もしも研鑽会が単なる話し合いの会であるなら、どこまで議論を続けたところで全員の意思の一致などそうたやすく得られるものではあるまい。

 会議とも打ち合わせとも呼ばずに研鑽会と呼ぶ――。

 そこには、はなすに「放」の字を当てたと同じ、意思をまとめていく作業に対する検証が込められている。

 研鑽会では、自分の意見を主張しながら、同時にその意見をも相対化する機能が働いている。ヤマギシの人は、そうした機能を実現するための個人の態度を「零位に立つ」と表現する。

 自らの意見に無意識にさまざまな偏見や固定観念が入り込んでくる可能性を自覚し、あらゆる前提をいったん棚上げにして自らも調べなおす。そうした、主張しながらそれ自体をも相対化していく「零位に立つ」という態度を取り込むことで、研鑽会は全員の意見の一致を実現しようとする。

 行動の規範なり基準を固定化してしまうのではなく、絶えることのない研鑽によってその時点時点での最良の道を探し求めていこうとする意思を、ヤマギシでは無固定・前進という言葉で表わす。

 ヤマギシズムと初めて出会う人のために用意された特別の研鑽会、それがヤマギシズム特別講習研鑽会、特講である。

 特講では8日間の合宿生活を通じた連続的な研鑽により、それまでの自分を調べなおしてみることが目指される。毎日テーマを変え、さまざまな角度から調べなおしてみる。そして自分の考え方や感じ方の前提になっていた思いもかけない無意識の存在に気付いていく場、それが特講である。

 第1回の特講開催は、1956(昭和31)年1月12日から。ヤマギシズム普及のための具体的な方法が明らかにされたことにより、山岸会はさらに養鶏から世界革命の側に活動の目的をシフトさせていく。

 ヤマギシズムにのっとった理想社会の実現、その目的に近づくために理想社会のヒナ型となるものを作り、そこでヤマギシでいう一体生活という名の理想的生活を送ることを試みてみる。同時にもう一方で、できうる限り多くの人を特講に送り込み、ヤマギシズムと出会ってもらう。

 特講によってヤマギシズムと出会った人は会員ということになる。

 山岸会でいう正会員とは「絶対に腹の立たない人」である。腹を立てないのではなく、腹の立たない人――。怒りによって自己を絶対化するのではなく、常に自分を相対化する、要するに研鑽の態度が身に付いている人という意味であろう。会員には、正会員以外にもう1種類、準会員がある。準会員とは、「怒らないで研鑽しようと心がけているが、それがいまだ十分にはできない人」であるという。

 この会員の資格についても、何か審査のようなものがあるわけではない。むしろ資格というよりも、常に自己点検を行っていくための一種の目安と理解すべきか。

 そして山岸会の会員は、大別すれば二筋の道からヤマギシズムによる理想社会の実現を目指す。

 1つは、現在ある社会の中での道である。学校に通ったり会社で働いたりと、既存の組織、既存の社会の中にあって、Z革命を目指す。まず第一に組織なり社会なりの直接的な変革を目指すのではなく、その内部に革命の主体となりうるヤマギシズムへの賛同者を作っていく。そして既存の社会の中にいる会員はできるだけ多くの人を特講に送り込むように努め、ヤマギシズムによる個人の変革を連鎖反応的に起こしていくことで、実体的に組織、社会を変革してしまおうとする道である。

 そしてもう1つは、既存の社会での生活から離れ、ヤマギシズム社会のモデルを作り、即座に一体生活を始めようとする道である。こうしたモデルを山岸会では、ヤマギシズムを実際に表わすという意味と理想社会を実現するための実験を行うという意味を込めて「実顕地」と呼ぶ。

 「よかったよ、あなたも行ってみたら」

 8日間の特講を終えたヨーコは、特講体験を細かく語ろうとはしなかった。ただ「ともかく行ってみた方がよい」とタケシに勧める口ぶりには、いつもの淡々とした口調にはない力強さが込められていた。

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