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パソコン創世記


テクノロジーよ、人に向きなさい

富田倫生
2009/10/30

「タケシ、ソフト開発の仕事を始める」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

第1部 おわりに

 この本の冒頭で、次のように書きました。

 「裏返していえば、挫折と沈滞を余儀なくされていた1つの時代精神が、パーソナルコンピュータという革命児を生み出したのではないか。少なくとも、生み出す一因となったのではないか」

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 こうした思いを抱くようになったきっかけは、1つではありません。何人かの友人の生き方や目にした記事、耳にしたエピソード――。そうしたものの中から1つ、代表的なパーソナルコンピュータメーカーであるアップルを友人のスティーブン・ウォズニアックと創設し現在は同社の会長におさまっている、スティーブン・ジョブズがこの革命児に出会うまでの道のりを紹介しましょう。

 彼も、タケシ君と同じく1954年生まれです。

 「ジョブズも、もうこの頃には、ウォズと同じように、エレクトロニクスといたずらが何よりも好きになっていたのだ。だが、天性の陽気さを持つウォズと違い、そのいたずらはときとして、手のつけられない反抗となることもあったようだ。ナイーブな感性は、強烈な個性とともに、激しい敵愾心をさらけ出すこともあった。1972年、ジョブズはホームステッド高校を卒業した。過去を語りたがらないジョブズではあるが、その夏、彼はサンタクルーズの小さな山荘でガールフレンドと共同生活をしたことを告白している。彼にとっては、かなり真剣なものだったようだが、結局、若い2人は夏の終わりとともに別れてしまう。ナイーブな内面を持つジョブズにとって、このときの精神状況がその後の人生に少なからぬ影響を与えているように思える。

 秋になって、ジョブズはオレゴン州のリード大学に進んだ。彼は、リード大学以外どこへも行きたくないと言っていたが、結局は一学期間しか通わなかった。彼もまた、アカデミズムを嫌い、1970年代のアメリカ社会に対してある種の疑問を抱いていたのだろうか。それから約3年の間、ジョブズの放浪が続く。

 彼はエレクトロニクスを忘れ、キャンパスをさまよいながら、1970年代の始めの社会的混乱と1960年代の高揚した若者のエネルギーの頂点といえるウッドストックのコンサート以降、急速に衰退していた若者文化の迷路の中で、タオイズムに傾倒したり、暝想にふけったり、果てはLSDにも手を出し、ヒッピーまがいの暮らしに浸っていた。1974年、ジョブズはロスアルトスに帰り、当時シリコンバレーでは注目されていたアタリ社に入社する。何か心をつき動かすものが欲しかったのだろう。アタリ社は活気にあふれ、かなり自由な会社だったが、ジョブズはここでも周囲の環境にあまり馴染めなかった。

 『エンジニアたちはジョブズを生意気な男だ、と思って嫌っていたようだ。そして昼間一緒に仕事をするのはご免だから、夜遅く来るように、などと言っていた』と、当時を知る元同僚は語っている。ジョブズは、アタリ社でやっている単なるビデオゲームには飽き足らぬものを感じていた。自分が打ちこむのはこれじゃない。だが、ジョブズが確実につかみとっていたものがある。アタリ社の創設者、ブッシュネルのシャープなビジネス感覚と、マイクロコンピュータの可能性だ。わずか数カ月間しか在職しなかったが、ジョブズの中にはある種の手応えがあった。彼の中では、何かが起こり始めていた」(『Two Steves & Apple』、旺文社)

 パーソナルコンピュータとは何の関係もないと思われるのであろう、山岸会について長々と書きました。

 それは、スティーブン・ジョブズをタオイズムや暝想、LSDへ接近させたものとタケシ君をヤマギシズムへ接近させたもの、そして彼ら2人をパーソナルコンピュータへと向かわせたものが、根において1つなのではないかと考えたからです。

 今現在は実現されていない世界、言い換えれば彼岸にいたる道を自前で切り拓こうとする根本の精神において、彼らを動かしていたものは同じだったと思います。

 けれど見方を変えれば、そうした彼岸への希求を強く備えた人物は、現在の社会にとっては逸脱者です。現在の社会の枠組みからこぼれ落ちようとする、あるいはこぼれ落ちてしまった人間です。

 1960年代後半から1970年代前半にかけて、アメリカやヨーロッパ、そして日本で巻き起こったスチューデントパワーの動きは一面でこうした逸脱者を大量に用意する機能を果たしたのではないでしょうか。社会の枠組みを大きく揺さぶり、潜在的にはかなりの可能性を秘めた一群の逸脱者たちを用意しておく。そうした逸脱者の畑に、革命の種が落ちる。この畑が豊かであれば、種は急速に生長し、大きな花を開かせることになるのかもしれません。

 何やらわけの分からない、海の物とも山の物とも知れぬ存在に飛びついていくのは、退路を断たれ、行くあてのない決死の人たちだけでしょう。

 しかし1人ひとりの逸脱者たちにとって、その道のいかに険しいことか。もちろん私は、パーソナルコンピュータだけが彼らのリターンマッチの戦場であったなどというつもりはありません。リングはいろいろなところに用意されているのでしょう。しかしそれにしても、そうした逸脱組の中で自らのリターンマッチのリングを発見したものがどれくらいいるのでしょうか。

 不断に逸脱組を生み出し、そうした連中をかなりの割合でもう1度取り込んでいく。その取り込みによって社会自体も変化していく。そうした回路が機能しているとき、社会はかなり柔軟で強力たりうると思うのですが、現実には逸脱組の多くはついにリターンマッチのリングを発見しえない場合の方が多いに違いありません。退路を断たれたままの、憤死です。

 これも冒頭で、「パーソナルコンピュータの誕生は1つの革命だった」と書きました。

 現在まだ進行中の革命の本質を見抜き、それに言葉を与えるほどの力は私にはありません。ただ思いつきを述べることを許していただけば、これはコンピュータ技術に対する人間性の主体性獲得運動なのではないか、という予感はあります。

 パーソナルコンピュータ誕生のための基礎技術として、マイクロコンピュータは不可欠です。しかし、マイクロコンピュータが作られたことによって、トコロテンでも押し出すようにパーソナルコンピュータが生まれたわけではありません。もともとは別の用途のために作られていたものと、すでにあった技術を組み合わせ、パーソナルコンピュータは超貧弱マシンとして誕生し、そこから発展してきました。

 パーソナルコンピュータの革命は、技術の革命というよりは発想の革命、テクノロジーに向き合う態度の革命だったのでしょう。

 それまでもっぱら工業的な側面で使われてきたコンピュータ技術を、全体性を持った人間に奉仕する存在に変革する。文化に奉仕する存在に変革する。

 そのためにパーソナルコンピュータにかかわったすべての人が、コンピュータ技術に一鞭くれたのだと思います。

 ただし新しい発想の芽が社会に花開く過程は社会への取り込みの過程であり、スタート時点で備わっていた印象が色あせていく過程でもあります。

 大型コンピュータのメーカー、特にその中でも世界市場を独占的に押さえていたIBMなどでは、最初は歯牙にもかけなかったパーソナルコンピュータが急成長していくのを見て大変な危機意識を持ったのではないかなどと、私はついいらぬ邪推をしてしまいます。ところが今、そのIBMが、パーソナルコンピュータの分野でも大きなシェアを占めている。そしてIBMがパソコン市場への参入を狙って打ち出してきた機械では、まず大型コンピュータの端末として使える、要するにシステムに奉仕できるという点が、他機種との差別化のポイントとしてアピールされた。さらにIBMはパーソナルコンピュータに関しても幅広いラインナップを固めつつあり、この領域でも大型機ばりの独占に向かって着実に前進しつつあるように見えます。

 けれどもう一方からいえば、あのIBMがパーソナルコンピュータを作らざるをえないこと、1台売れば莫大な利益を生む大型機の世界だけにとどまっておれず、利幅のちっぽけなパーソナルの世界に踏み出さざるをえないことにも注目すべきでしょう。確かにパーソナルコンピュータの領域でもIBMの独占が進むことには大きな危惧を感じます。これまでのところ、IBMは私から見れば、パソコンの文化に何ら新しい寄与をしていないように見えますし、そうした企業が強力な資本力と販売力を武器にこの領域を独占してしまえば、また新たなる壁が生まれてくるでしょう。ただし、もう、コンピュータ技術の独占時代は去ったのです。

 また、文化に奉仕するコンピュータの側でもいくつか成果が生まれています。

 ゲームや音楽へのコンピュータの利用、これはもっともっと、歴史的に見て評価されるべきではないでしょうか。私自身はスペースインベーダー以来はそれほどゲームに入れあげているわけではありませんが、ゼビウスというゲームの造形的な美しさには本当に感心します。コンピュータを使ったゲームは、おそらくは新しい芸術分野、ストーリーと造形、そして音楽とがミックスされた新領域として発展していくでしょう。

 また、アップルのマッキントッシュと名付けられたパーソナルコンピュータにも個人に奉仕するためには何が必要かという哲学(そのルーツはゼロックス社のパロアルト研究所にありますが)が現われています。

 また、こんなことも言えるでしょう。

 鶴見俊輔さんは『本の雑誌』第38号で行われたアンケート、「なぜか怒りの秋なのだ」に実に鋭く答えられています。このアンケートは、活字とその周辺について何か腹の立つことはないかと問うたものなのですが、それに鶴見さんは「他人の頭をなぐる道具として本を用いることには腹が立ちます」と答えておられるのです。

 「頭をなぐる道具としての本」とは、いったいどんなものでしょう。鶴見さんは、そうした本の使い方をこうおっしゃいます。

 誰かの本、たいていは欧米人の著作を読んで、

  1. 何かに感心する

  2. 次に、それに感心しないものはバカだと考えてそう言う

  3. 自分の感心した本の感心したところとちがう思想の持ち主を、非難する

 これが、人の頭をなぐる本の使い方です。

 鶴見さんにならって最近腹の立つことをあげさせてもらえば、他人の頭をなぐる道具としてコンピュータを使うこと、いやさらに、人を脅す道具としてコンピュータを使うことには腹が立ちます。

 こうしたコンピュータの使い方は、残念ながらパーソナルコンピュータが急速に普及していく過程でもずいぶん見られました。ベーシックを覚えなければ、これからはサラリーマンとしてやっていけないといった脅しは、ほこりをかぶったままのパーソナルコンピュータを生み出すのに、かなり役に立ったことでしょう。

 最近のテレビコマーシャルで、竹村健一さんが登場して、これからの企業はD3Cが重要であり、そのなかでも特にコンピュータがポイントとなる旨を宣言なすってから、「分かる?」といかにも人を脅すように(被害妄想といわれるかもしれませんが、私にはそう聞こえます)付け加えられるものがあります。

 私はこのコマーシャルを見るたび、かなり目にしているにもかかわらず、画面にスリッパを投げつけたくなります。

 脅されて、強いられて踏み込まざるをえないコンピュータの世界など、当人に何の喜びも与えることはないでしょう。そんな世界からは、逃げまくるに越したことはありますまい。

 ただしコンピュータ技術に関しては素人の私が、大変大ざっぱにではあってもコンピュータをめぐる環境が進んでいってほしい方向に口をはさめるということは、そのピントが合っているかいないかは別にしても、やはりパーソナルコンピュータの革命による成果の1つなのではないでしょうか。もしも、超貧弱マシンを原点とした革命が存在しなければ、コンピュータを他人の頭をなぐる道具に使うという行為は、もっともっと効果的に、巧妙に、そしてコンピュータ技術の独占者たち自身もそうとは意識しないうちに行われていたに違いありません。

 そして、パーソナルコンピュータの革命に関して学ぶべき最大のポイントは、テクノロジーなり科学なりに対し、それが何に対して奉仕するものなのかを検証し、地球に生きる1人ひとりの人間にとってプラスとなる方向に、鞭をくれてやるという態度ではないでしょうか。

 「テクノロジーよ、人に向きなさい」

 科学技術がかつてない勢いで急速に進歩している現在、我々は何度でもこの言葉を繰り返す覚悟を固めるべきなのだと私は今、考えています。

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