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パソコン創世記
日本電気のセールスエンジニア、部品となったコンピュータと出合う

トレーニングキット「TK-80」

富田倫生
2009/11/20

「DECのPDP-8」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 マイクロ波を希望した後藤だったが、まわされたのは集積回路。ここでも本筋の仕事にはつけず、裏方の検査装置の担当になった。PDP-8をしゃぶりつくした経験は貴重だったが、製品を1から開発したいという願いはみたされなかった。九州日本電気に移ってからも、これが自分の道だろうかという思いは、後藤から去らなかった。 

 〈どこか遠くまで行きたい〉

 入社以来、後藤の胸の底はいつも乾いていた。

 だが後藤自身にとっては不満だらけの経歴の中で培われた、コンピュータに詳しい半導体屋という個性は、生まれたばかりで先行きの見えなかったマイクロコンピュータへの備えを、後藤の内に育てていた。

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 1976(昭和51)年2月、かつての上司だった渡辺和也は新設されたマイクロコンピュータの販売セクションの部長に就任した。後藤は渡辺に求められ、日本電気に戻って半導体集積回路販売事業部マイクロコンピュータ販売部に所属することになった。小なりといえどコンピュータの機能を持ったマイクロコンピュータを売っていくには、まずどんな使い道があるのかを顧客とともに開発していくエンジニアがいる。渡辺からそう聞かされたとき、後藤は入社以来初めて、やりたかった仕事につくチャンスがめぐってきたことを意識した。

 新しいセクションで後藤が直接担当することになったものの中に、ビットスライス型と呼ばれる当時としては最先端のマイクロコンピュータがあった。集積度のそれほど高くない、言い換えれば詰め込める部品数の限られた当時の集積回路にまとめ上げるために、マイクロコンピュータは当初4ビットという小さな処理単位のものからスタートし、ようやく8ビットへと進化したばかりだった。こうした事情を背景に開発されたビットスライス型のマイクロコンピュータは、2ビットもしくは4ビットのプロセッサーを複数個組み合わせることで、処理単位を使用目的に合わせて伸ばせるように工夫されていた。

 アメリカのAMD社の互換製品として開発されたμCOM-2900を、のちにパーソナルコンピュータのライバルとなる日立製作所、松下電器、シャープ、カシオ計算機、ヤマハといった企業に売り込みに歩きはじめて間もなく、後藤は電電公社の横須賀通信研究所のスタッフから、新人教育用の教材が作れないだろうかとの打診を受けた。

 マイクロコンピュータの概念を、技術系の新入社員につかませたい。そのための教材を工夫してみてくれないかとの求めは、日常の活動の中で後藤たちが必要性を感じていた販売促進用の仕掛けのイメージと重なり合っていた。マイクロコンピュータをまず理解してもらううえでも、使い道を決めて用途に応じたソフトウエアを書いてもらうためにも、後藤たちは最低限動かせるだけは動かせるシステムをユーザーに提供することを求められていた。講習会を開く際、これまではテレタイプをつないだシステムを運び込んでいたが、かさばってしかも高価なテレタイプでは台数が限られた。

 インテルの評価用キットに続いて、アメリカでは複数の半導体メーカーから同じようなシステムが提供されはじめていた。そんな中で、モステクノロジー社が売り出していたKIM-1と名付けられたキットには、日の字型の小さなLEDの表示装置とごく簡単な16進のキーボードが組み込まれていた。KIM-1を紹介した雑誌の写真を見た後藤は、テレタイプのいらないものを作りたいという開発者の意図にうなずいた。

 横須賀通信研究所用の教材は、KIM-1にならってそれだけで完結して動くものを作ろうと考えた。同僚の電卓用LSIの担当者に相談してみると、電卓に使っているレベルのキーボードならごくごく安いものですむという。コンピュータ用の本格的なキーボードは、キーを押したり放したりする際に生じるチャタリングと呼ばれる信号のノイズをきれいに取ってやるために、いろいろな工夫を凝らしていた。一方、厳しいコストの切り下げを求められる電卓では、ちゃちなキーボードが生じさせるチャタリングを、ソフトウエアで判定してキャンセルしてしまう工夫が進められていた。

 インテルの8080と互換性を持った日本電気製の8ビット・マイクロコンピュータ、μPD8080Aを使うことを前提に後藤が設計図を書き、必要な部品を集めた。基板の裏に突き出た集積回路を差し込むソケットの足の1本1本に配線をぐるぐる巻いていく、ラッピングと呼ばれる手間のかかる組み立て方法では、さすがに後藤自身、2台組み立てる以上の根気は続かなかった。だが実際にこれで動くことが確認できれば、あとは気の毒な電電公社の新人たちに、回路図と配線のやり方を示した布線表を与え、あてがった部品をラッピングで組み立ててもらえばいい。

 だが4月からの新人の研修用に、キットとも呼べない部品のまとまりを準備する一方で、後藤はこのセットにもう少し磨きをかけ、より組み立てやすい教材を提供したいと考えはじめていた。

 部長の渡辺に諮って合意を取り付けた後藤は、同僚の加藤明と協力して、キット教材の設計に取りかかった。横須賀通信研究所向けのものは、ラッピングによる配線ですませたが、今回は配線のパターンをあらかじめ焼き込んだプリント基板を起こすことにした。プリント基板が用意されていれば、所定の位置に部品を差し込んではんだ付けしていくことで、組み立てを大幅に簡略化できるはずだった。

 μPD8080Aを使った組み立てキットは、トレーニングキットを略してTK-80と名付けた。釣り道具の店で見た中身の見える真空パックを採用してはという同僚の意見を入れ、ラミネート包装を引き受けてくれる業者をかけずり回って探し、ボール箱のケースにいたるまですべて後藤たち自身が用意した。

 回路図と首っ引きになってDECのPDP-8をしゃぶりつくした経験を持っていた後藤は、システムを理解してもらううえで情報の公開がいかに大きな意味を持つかを痛感していた。さらにDECはユーザー自身が書き起こしたプログラムを集め、開発者の希望に沿って有償もしくは無償で、ソフトウエアを流通させるという手段によって、自社のマシンの使用環境を他力によっても耕そうと努めていた。

 こうしたDECの流儀が、コンピュータをどれだけ使いやすくしてくれるかを体験していた後藤は、マイクロコンピュータを理解してもらうのが目的のTK-80ならなおさら、徹底して情報を公開するべきだと考えた。回路図を付けたうえで、ROM★に記憶させておくモニターと呼ばれる基本ソフトのプログラムリストも公開するという方針には、品質管理の担当者から「公開した情報にもとづいてユーザーが何か手を加え、そこで問題が起きたらどう責任をとるのか」とクレームがついた。だが「これはあくまでマイクロコンピュータを知ってもらうための教材で、そのことははっきりと断っておく。理解を助けるうえでは、情報の公開はどうしても欠かせないのだ」と説得し、ようやく同意を取り付けた。

 ★Read Only Memoryの略。コンピュータの回路上に置かれる記憶用の半導体素子のうち、書き込んである情報を読みだすだけのものを指す。これに対して、情報の書き込みと読み取りの両方ができるものをRandom Access Memoryと呼び、RAMと略す。手帳にたとえれば、汎用的に誰もが繰り返し使う情報を印刷した部分がROM。もう一方、使う側が自分の都合でいろいろな情報を書いたり消したりできる白紙の部分がRAMに相当する。

 汎用的に繰り返し使うソフトウエアは、ROMに焼き込んで本体に組み込んでおけば、読み込みの手間を省いてマシンの使い勝手をよくすることができる。ベーシックで使うことが常識となった初期のパーソナルコンピュータでは、モニターやベーシックの翻訳ソフトがROMに焼き込んだ形で搭載されるようになった。

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