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パソコン創世記
嚆矢アルテア アメリカに生まれる

デイジー

富田倫生
2009/12/2

「MITSの頼りない実在」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 2週間後にスタンフォード大学の人工知能研究所で開かれた2度目の集まりで、クラブにはホームブルー(自家醸造)・コンピュータ・クラブという名前が付けられた。

 ドンピアは4月に入って間もなく、郵送されてきたアルテアのキットをようやく受け取った。

 興奮がしなやかさを奪った指でかさばる箱を開け、部品を引っ張り出したドンピアは、ただちに組み立てにかかって、30時間後には電源を入れる段階にまでこぎ着けた。だがランプは点灯したものの、スイッチを上下させてプログラムを送り込もうとすると、アルテアの動作がおかしくなった。そこからさらに6時間を費やして、ドンピアはプリント基板の引っかき傷が原因となってメモリーがうまく機能していないことを発見し、修理ののち、ついに自分のコンピュータを完成させた。

 ドンピアはマシンに取りついたまま、フロントパネルのスイッチを上下させて機械語の命令を送り込み、8080の持っている機能をすべて確認していった。周辺機器を何ひとつ接続できない現状では、アルテアが確かに命令に従って動いていることを確かめる以上のことはできなかったが、ドンピアは指にたこを作りながら嬉々として作業に没頭した。

 アマチュアのパイロットの資格を持っていたドンピアは、低い周波数の電波を受信できる小さなトランジスターラジオで天気情報を聞きながら、入力した数値を大小の順に従って並べ替える、ソートと呼ばれる作業のためのプログラムをスイッチから入れていった。最後の入力をスイッチから送り込んでプログラムを走らせた瞬間、アルテアの横に置いていたラジオが奇妙な音を立てはじめた。

 マシンが数値をソートするたびに、ラジオはジーッ、ジーッと鳴った。

 ソートプログラムを何度か走らせて、間違いなくアルテアがラジオを鳴らしていることを確認している最中、ドンピアの脳裏に稲妻のようにアイディアが走った。

 インターフェイス回路をまったく持っていない現状では、アルテアにはどんな周辺機器もつなげない。だがこのラジオは、もしかするとアルテアから情報を引き出す道具として使えるのではないか。このラジオは、アルテアのスイッチングノイズを拾っているのだ。

 他のプログラムではどんな音が出るのかを1つ1つ確かめはじめたドンピアは、8時間の奮闘ののちにどの数値が音階上のどの音に対応したノイズを生じさせるかを対照表にまとめ、かろうじて音楽の範疇に収まる音の連なりを再現するソフトウエア技術を確立した。

 手元ですぐに見つかった楽譜は、ビートルズの「フール・オン・ザ・ヒル」だった。ドンピアは楽譜の音を対照表にもとづいて8進数に置き換え、ポール・マッカートニーが「マジカル・ミステリー・ツアー」の中でフランスのニースの丘の上に立って気持ちよさそうに歌ったこのバラードを、アルテアに再現させることに成功した。

 ホームブルー・コンピュータ・クラブという正式な名前が付いてから3度目のミーティングは、4月16日にメンローパークのペニンスラスクールで開かれた。

 古い木造校舎の2階の教室に集まった仲間たちの前で、ドンピアはアルテアの初めてのリサイタルを催そうと考えた。ところがコンセントに差し込んでも、アルテアはまったく反応を見せない。仲間のテープレコーダーは動いているにもかかわらずアルテアが反応しないという謎は、コンセントはじつはみんな死んでおり、レコーダーは電池が動かしていたと気付いてようやく解けた。40フィートの延長コードで1階のコンセントから電源をとり、ドンピアは8進数の「フール・オン・ザ・ヒル」をスイッチを上下して入力していった。廊下で遊んでいた子供がコードにつまずいてせっかく入力したデータが一瞬で飛んでしまうトラブルはあったが、30分後には準備を完了した。

 ドンピアはコンサートの開演を告げ、アルテアにプログラムを走らせる指示を与えた。百科事典を数冊重ねたほどの箱形のアルテアの上に載せられたトランジスターラジオが、その瞬間、うなるような歪んだ音を立てはじめた。

 上下する音を耳で追っていた聴衆は、やがてアルテアがビートルズのナンバーを演奏していることに気づいた。そこここでさまざまな話題が吹き出し、幾重にも折り重なったメンバーの声がにぎやかなつづれ織りをなすのが常のクラブから、人の声がきれいに消え去った。しわぶき1つない会場に、アルテアの奏でるソートの音楽が響き渡った。アルテアの演奏は、完璧だった。「フール・オン・ザ・ヒル」の演奏を終えたあと、アンコールの声を充分待ちきることなくアルテアが次の演奏に移った点には不満が残ったが、耳を澄ませてラジオからの音を追う聴衆の視線の熱に、ドンピアはくすぐられるような喜びが湧き上がるのを抑えられなかった。

 ドンピアはアンコールに、コンピュータが奏でるにふさわしい「デイジー」を用意していた。アンコールが始まると、大半のメンバーの脳裏にスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」の印象的な場面がよみがえった。

 宇宙船を管理する人工知能コンピュータHAL9000は〈精神〉に異常をきたし、船長に回路モジュールをつぎつぎと引き抜かれ〈死〉に追いやられる。瀕死のHALが低い声でとぎれとぎれに歌った「デイジー」は、1957年にベル研究所で初めてコンピュータによって演奏された曲だった。

 アルテアがアンコールを終えると、会場には歓声と口笛と拍手が湧き起こった。

 アルテアは早くも、しかも予想もできなかった周辺機器を獲得し、自らの世界を大きく広げて見せた。

 喝采に包まれたドンピアは、アルテアが歌いだすにいたった経緯を語りはじめた。ドンピアはさらにMITSを訪ねたことに触れ、すでにアルテアが4000台に上る注文を集めていることを報告した。

 アルテアに突き動かされたのは、彼らだけではなかった。

 ピープルズ・コンピュータ・カンパニーの会報にアルテアのコンサートの顛末を書き、8進数と音階との対照表に2曲のデジタル楽譜を添えて発表したドンピアは、その後繰り返しアルテアとともに旅立ったのが自分たちだけでないことに直面させられた。記事を読んでアルテアを歌わせることを試みた連中は、次から次へとドンピアに電話を入れては、さまざまな曲を「ソートの音楽★」の創始者である彼に聞かせようとした。

 ★この日のコンサートにいたる経緯は、1975年5月号のピープルズ・コンピュータ・カンパニーの会報に、スティーブ・ドンピア自身によって「MUSIC OF A SORT」のタイトルでまとめられている。『ハッカーズ』の執筆にあたって、スティーブン・レビーは、この記事をもとにして当日の情景を描写しており、日本語版でもそのくだりを読むことができる。

  なお「ソートの音楽」に関しては、TK-80の開発中に後藤富雄氏もまったく同じ経験をしたという。スケジュールに追われて、休日、自宅でオシロスコープを睨みながら試作機の回路をいじっていたとき、後藤氏もまたラジオを聞いていた。試作機の電源を入れなおしたとき、ラジオに雑音が入るのに気付いた後藤氏は、モニタープログラムが起動されてCPUが動くことで雑音が生じていることを直感した。このときの発見以来、後藤氏はトランジスターからの雑音をCPUの動作を確認するための指標として使いはじめた。さらにTK-80から引っ張ってきた信号線をコンデンサーを1つはさんでオーディオアンプにつなぐ方法を、電子オルガンとして動かすためのプログラムとともにマニュアルに記載し、コンピュータ音楽の畑を掘り起こす作業に努めた。

 アルテアは確実にドミノの最初の1枚を倒した。

 その先には、どんな夢想家にも思い描くことのできなかったほどの、おびただしいドミノの列がえんえんと連なっていた。

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