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パソコン創世記
ビル・ゲイツ アルテアにベーシックを書く

波に乗りはじめたマイクロソフト

富田倫生
2009/12/10

「アルテアとS-100バス」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 パーソナルコンピュータのルーツとなったアルテアは、これ以上はないというほどのお粗末な姿で誕生した。

 そして生まれ落ちたとたん、このマシンにさまざまな連中が取りついてソフトとハードの両面から機能を拡張しはじめた。さまざまな人間たちのエネルギーを呑み込むことによって、混乱と衝突と軋轢の中で、アルテアの世界は急速に拡大していった。

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 当然のことながら、MITSもまたアルテアを進化させることをもくろんだ。エド・ロバーツは1975年の秋には、フロッピーディスクをアルテアで使えるようにしようと考えはじめていた。

 プログラムやデータを保存しようとすれば、これまではアルテアにテレタイプをつなぎ、紙テープに打ち出すしかなかった。だが紙テープでは、素早く情報を読み書きすることはできなかった。

 一方、大型コンピュータやミニコンピュータで使われているフロッピーディスクが使えれば、読み書きの効率が大きく改善できることは明らかだった。ただしそのためには単にアルテアにフロッピーディスクの駆動装置(ドライブ)がつながるようにするだけではなく、情報の読み書きの管理を受け持つソフトウエアを用意しておく必要があった。

 アレンはかねてから、フロッピーディスクドライブの管理機能をベーシックに持たせるように、ゲイツに注文を出していた。ゲイツはこの作業を延ばし延ばしにしてきたが、1976年の2月になって、管理機能を持たせたディスクベーシックの開発作業に一気にけりを付けた。

 この年の後半になって、マイクロソフトはMITS以外の新しい得意先を獲得した。ベーシックの売り込み先の開拓に取り組んでいたゲイツは、NCRとゼネラルエレクトリックへの供給契約の締結にこぎ着けた。

 マイクロソフトは波に乗りはじめていた。

 1976年11月、アレンはMITSから籍を抜き、翌1977年の1月にはゲイツがハーバード大学の中退手続きをとった。プログラミングのスタッフを雇いはじめたマイクロソフトは、ベーシック以外の言語の開発にも取り組み、8080以外のマイクロコンピュータへの言語の移植にも乗り出していった。

 ゲイツはアルバカーキーに移り、この年の春、マイクロソフトは初めて事務所を構えた。

 マイクロソフトが会社としての体裁を整えはじめた1977年の4月、サンフランシスコで開かれた第1回のWCCFは、パーソナルコンピュータ自体もまた、マシンとしての体裁を整えはじめたことを強烈にアピールする場となった。

 組み立てキット式のアルテアは、もはや過去の遺物だった。

 フェアーの主役は、買ってきたその日からすぐに使いはじめることのできる、しっかりとしたケースに収められたマシンに移り変わっていた。

 電卓で当てながら、大手の市場参入によってMITS同様窮地に追い込まれていたカナダのコモドール社は、一体型のPETと名付けたマシンの試作機をフェアーに送り込んで参加者に強い衝撃を与えた。

 ディスプレイに加えてデータやプログラムの記憶装置としてカセットデッキまで組み込み、スイッチ1つでベーシックの立ち上がるPETは、趣味の世界を超えて実用の機械を目指しているように見えた。

 スティーブ・ウォズニアックとスティーブ・ジョブズという2人の若者によって設立されたアップルコンピュータ社は、アップルIIと名付けたマシンで人気をさらった。一般のテレビ受像機につなぐ方式をとったアップルIIは、6色のカラーを表示してブースに群がる参加者の視線を釘付けにした。

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