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パソコン創世記
電算本流、パソコンに名乗りを上げる

アストラの行く手を阻むもの

富田倫生
2010/2/12

「新日本電気」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 だがPC-8001の周りで何が起こりつつあるかを認識した小林は、「もう専門の事業部に格上げして、ここから逃げられないようにしたほうがいいんじゃないか」と大内の決断を促した。

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 社内の認知が急速に高まっていく中で、新日本電気とマイクロコンピュータ販売部の意見調整を持ち越してきた大内は、今後パーソナルコンピュータ事業を日本電気グループ全体としてどう進めていくか、トップの参加する会議で方向付けを行おうと考えた。

 1981(昭和56)年が明けてそうそうに開いた会議には、争点を抱える2つのグループに加えて、コンピュータ事業の専門セクションである情報処理事業グループのスタッフも顔をそろえていた。

 幹部相手のパーソナルコンピュータ研修の開催を指示し、大内に担当セクションの独立を促したちょうどそのころ、小林は情報処理担当役員の石井善昭に声をかけた。

 「石井君、情処はパソコンをどうするつもりなんだ。このまま半導体に任せっぱなしにしておくのか」

 とっさに「いえ」と打ち消す言葉が、石井の口をついて出た。

 そう答えたとたん、石井の脳裏に浜田俊三からの報告の言葉が重なり合って響きはじめた。

 石井の率いる情報処理企画室の計画部長となって以来、浜田はアメリカ市場へのオフィスコンピュータの売り込みにあたってきた。だがアストラが立ち上がりのきっかけをつかめないでいるうちに、小規模なビジネス現場のコンピュータ需要というまさにこのプロジェクトが狙っていた市場を、パーソナルコンピュータが急速に切り開きはじめていた。

 〈オフィスコンピュータよりもさらに下位のマシンが、アメリカ市場ではアストラの行く手を阻んでいる。そしてすでにマイクロコンピュータ自体には16ビット化されて、機能と速度を大幅に高めたものが現われている。現在は8ビットのみのパーソナルコンピュータが早晩16ビット化されて、より強力なマシンに化けることには疑問の余地がない。この動きがいずれ日本にも及ぶとすれば、情報処理事業グループにとって虎の子のオフィスコンピュータが脅かされるのではないか。こうした事態に備えるためには、我々もさらに小型化と低価格化を推し進めた機種を開発するべきだろう。パーソナルコンピュータに相当する我々自身の超小型機を、準備する必要があるだろう〉

 石井の脳裏を、浜田からの報告の言葉がよぎった。

 「情処としても、もちろんちゃんとやっていくつもりです」

 耳の奥でこだまし続ける浜田の報告をなぞりながら、石井はそう言葉を継いだ。

 かつてコンピュータへの着手に断を下し、えんえんと悪戦苦闘を続けるこの事業にそれでも確信を抱き続けてきた小林は、無言のまま、1つ大きくうなずいて石井の言葉を受けとめた。

 〈コンピュータでさんざん苦労し、この事業の本質を骨身に染みて理解してきたのは我々だ。経験、人材、生産設備、どれをとっても圧倒的な力を持っている我々が、半導体に足下をすくわれるわけにはいかない〉

 日本電気のコンピュータの立ち上げからこれに携わり、事業の方向付けに深くかかわり続けてきた石井には、本家としての強い誇りと自負があった。

 情報処理事業グループがコンピュータ事業のすべての領域をになうことは、石井には当然すぎるほど当然に思えた。

 従来の超小型機であるオフィスコンピュータのさらに下位に生まれつつあるパーソナルコンピュータがおもちゃで片付けられないとすれば、我々は当然その分野にも対抗する商品を用意する。半導体の余技に足下をすくわれるわけにはいかないのだ。

 アメリカで起こりつつある地殻変動に関する浜田からの報告と、小林宏治の「どうするのだ」との一言は、足下を洗いはじめた小さな波を見守っていた石井の背を押した。

 〈情報処理事業グループは、パーソナルコンピュータを用意する〉

 石井はそう決意した。

 ではパーソナルコンピュータとは、果たして何なのか。

 本家のコンピュータ部隊は、これ以降このあらたな問いと向き合うことになった。
 
  今後はパーソナルコンピュータ事業を3本の柱を据えて進めていくとの決定を受けて、大内は1981(昭和56)年4月、この方針に沿って組織の再編を行った。

 渡辺の部隊はパーソナルコンピュータ事業部となって、専門セクションとしての独立を果たした。さらに情報処理と電子デバイス、新日本電気グループという3つの開発主体の連絡・調整機関として、いずれの組織にも属さない特別プロジェクトとの位置づけで、パーソナルコンピュータ販売推進本部とパーソナルコンピュータ企画室が設けられた。

 この新体制の発足と同時に、浜田俊三は「パーソナルコンピュータとは何か」との問いへの答えをたずさえて、渡辺和也と向かい合うことになった。

 「16ビットの事務用機は情報処理事業グループ」とのトップの示した方向付けにもとづいて、コンピュータ部隊では2つの開発計画が進行しつつあった。

 この2つの流れを整理するために、情報処理企画室の浜田を中心に、これまでこの分野を切り開いてきた渡辺和也を加えて、ビジネス用パーソナルコンピュータの検討プロジェクトが組織された。

 検討プロジェクトで2つのプランを示された渡辺は、あらためて大内の下した決断を呪った。

 〈このようなものが、パーソナルコンピュータとして受け入れられるわけはない〉

 新機種の概要を示したレジュメをざっと目で追って、渡辺は即座にそう断じた。

 第一の計画は、端末担当のグループによるインテリジェント端末の低価格版だった。N6300と名付けた端末で、かつて日本電気としては初めてマイクロコンピュータを中心にシステムを組んだグループは、これをいっそう高機能化し、同時に低価格化した後継機の開発を進めつつあった。

 16ビットのマイクロコンピュータにはインテルの8086を使用し、OSはPTOSと名付けた専用のものを用意する。端末はこれまでなかなか1人1台とはいかなかったが、小型化と低価格化を推し進めてパーソナル化を実現すれば、オフィスの作業効率をいっそう高めることができるだろう。さらにこのマシンでは、大型コンピュータへの窓口という端末本来の役割に加えて、それ自体での完結した処理能力をより高めてやる。大型コンピュータで主に事務処理用に使われてきたコボルに加えて、表計算機能を持つソフトウエアを簡易言語と名付けて用意し、パーソナルコンピュータで広く使われているベーシックも利用できるようにしておく。さらに漢字の字形を記憶させた漢字ROMに、JIS第一水準に区分される基本的な文字を持たせておき、オプションでこれを使えるように準備する。

 端末グループは、こうした仕様にもとづいてすでに開発に着手していたN6300の後継機を、情報処理のパーソナルコンピュータの候補として押し出してきた。

 一方、かつて浜田が推進役となって立ち上げたオフィスコンピュータのグループからは、これも自らの領域のマシンをよりいっそう小型、低価格化させるというプランが寄せられた。

 あらかじめさまざまなアプリケーションをコンピュータメーカーが用意しておき、さらに製品の販売にあたるディーラーがユーザーの細かな注文に応じてソフトウエアをあつらえるという手取り足取りの流儀で市場を開拓してきた従来の流れに沿って、このマシンはこれまで積み重ねてきたプログラム資産を売り物にしようと狙っていた。

 16ビットのマイクロコンピュータには、システム100の全面LSI化にあたって採用された日本電気オリジナルのμCOM1600を再び用いる。

 システム100の面目一新にあたって採用された対話型の操作環境を支えるITOSは、当初は問題点を数多く残したまま出荷されたために全国でトラブルを引き起こした。だが改良にあたったチームの奮闘により、その後、安定した動作を確立していった。

 そこで16ビットのパーソナルコンピュータにもITOSを載せ、従来日本電気のオフィスコンピュータのために書きためられてきたソフトウエアをそのまま使えるようにする。オフィスでの文書処理の要求にも応えていくために、漢字の取り扱いも可能とする。さらにパーソナルコンピュータの流れに対応するために、従来の言語に加えてベーシックの利用にも道を開く。

 オフィスコンピュータのグループは従来のマシンをさらに小型化して机に載せたものを、パーソナルコンピュータと呼ぼうと考えた。

 端末の高機能版とオフィスコンピュータの小型版という、コンピュータの専門部隊が提案した2つのパーソナルコンピュータのイメージに、渡辺和也は鉛を飲んだ胃袋の底が深く沈み込むような、疲労と違和感とを覚えていた。

 確かに2機種とも16ビットのマイクロコンピュータを使い、小型で低価格、そして高機能のマシンではあるのだろう。ベーシックも使えるのだろう。だが渡辺の目に、2つのプランはパーソナルコンピュータをパーソナルコンピュータたらしめている核心を、見落としているように見えた。

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