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パソコン創世記
パソコン革命の寵児 西和彦の誕生

西の違和感

富田倫生
2010/3/9

「塚本慶一郎」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 『I/O』は、1976(昭和51)年11月に創刊された。3000部刷った創刊号は、秋葉原のショップを中心に自分たちで配って歩くと見事に売り切れた。

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 創刊号の巻頭には、システム本体につないでアルファベットと数字を表示させるキャラクターディスプレイの自作記事を置いた。アルテアやIMSAIの紹介とこれらにつなぐ入出力機器やシンセサイザーの解説記事を用意し、西は自分の名前では「TVゲーム徹底調査」と題した連載記事を持った。

 この年の夏、秋葉原に登場するや人気沸騰となった新しい集積回路は、あらためて振り返れば「ホビー・エレクトロニクス・ジャーナル」と銘打った『I/O』の成功を予言していた。

 ゼネラルインスツルメンツ社がこの年の春からアメリカで売り出していた、ビデオゲームLSIには、テニス、ホッケー、スカッシュ、ライフル射撃、クレイ射撃の5種類のゲームが組み込まれていた。このLSIの日本向け初出荷分が秋葉原のショップに届いた7月当初は、店頭に黒山の人だかりができるほどの騒ぎになった。秋葉原での販売価格は7500円。これに必要な部品を買い足して組み立てれば、1万円足らずで家庭にあるテレビでゲームを楽しむことができた。さらに『I/O』創刊後のこの年の12月には、あらたにカラーに対応したゲーム用LSIが、ナショナルセミコンダクターズ社とモステクノロジー社から発売された。

 こうしたゲーム用LSIを使っては、完成品のゲーム機も作られた。だが多くのマニアたちは、一足先に単品で発売されたLSIを使ってゲーム機の手作りを楽しんだ。

 『I/O』の創刊号は、手作りシステムをあくまでコンピュータとして使うための記事を前面に据え、ゲームやシンセサイザーの記事を脇に配する構成をとっていた。だがゲーム用LSIが巻き起こしたブームに引きずられるように、しだいに雑誌の構成はテレビゲーム中心に移り、そのことがいっそう『I/O』の売れ行きを伸ばした。ゲームの記事を実名で連載していた当の西は、この選択に違和感を抱くようになった。ゲームは確かに面白いし、記事の人気も高い。だがこの路線をひた走れば、『I/O』は純粋に趣味の雑誌となってしまう。

 「個人のためのコンピュータには、ゲーム機をはるかに超えた大きな可能性があるはずだ」と、西は考えた。もう一方の星は、立ち上げたばかりの『I/O』を軌道にのせることに、関心を集中させた。

 編集方針への疑問に会社運営上の星との軋轢が加わって、翌1977(昭和52)年の春、西は『I/O』の編集作業を放り出して、1カ月のアメリカ旅行に出た。旅費はおばあちゃんにねだり、300万円を用意した。

 アメリカ旅行の第1の目的は、4月にサンフランシスコで開かれる第1回ウェスト・コースト・コンピュータ・フェアー(WCCF)に参加することだった。『ドクター・ドブズ・ジャーナル(DDJ)』の告知でフェアーの開催を知った西は、主催者に申し込んで確保していたブースに『I/O』を並べ、日本から仕込んでいったビデオのインターフェイスボードやライトペンを会場で売った★。

 ★『コンピュートピア』1977年6月号所収の「マイコン・ホビイストは何をめざす?」と題した安田寿明による卓抜なWCCFレポートから、氏が会場で出会った日本人に触れている部分を引く。

 「ああ、猛烈、ニッポン人


 もっともっと驚いたことがある。開会直前、入場券を買うため、十重ニ十重の行列を組んでいたときのことである。1台の超デラックス観光バスが、ぼくの近くにスーッと止まった。車内で1人の男が、なにやら大声で説明している。やがて、自動ドアが音もなく開き、頭上に旗を振りかざした男がステップを踏んで下車してきた。そのあとを、ぞろぞろと30人ばかりの日本人がおりてくる。

 
その先頭に立つ人を見て、再度びっくり。さる有名私立大学工学部の某教授ではないか。この高名な先生、さる大きな日本のアマチュア・コンピュータ・クラブの委員にも名を連ねていらっしゃる。一瞬、日本のコンピュータ・アマチュアたちが、大挙してやってきたのかと、錯覚したほどである。

 しかし、そんなことがあろうはずはない。有名先生のあとに従うのは、明らかに一流メーカーのエンジニア、企画調査マンといった姿かっこうである。もちろん、有名先生はじめ、一行の日本人、ぼくのような見習技手ふぜいを無視して通り過ぎるのは当然である。声高に、日本語で話しながら練り歩いていった。ぞろぞろ彼らが立ち去ったあと、周辺のアメリカ人たちから、ざわめきが起こる。

 
「彼らは日本人だ」「コンピュータ・ホビイストなのかしら?」「そうではあるまい。あれは日本のビジネス・マンだ」「ひゃあっ、それじゃ、そのうちソニーやパナソニックのように、われわれは日本製のマイクロ・コンピュータを使うようになるのかな」「そうかもね」

 聞くところによると、日本からニ組もの視察旅行団が組織され、それぞれ約30人ずつこの大会をめざしてやってきた。さらにあるホテルには、重役の陣頭指揮で大挙15人もの社員を送り込んだ日本企業もあるという。彼らは、すべてバッジを外して行動し、丹念に、各種の技術資料を収集していったそうである。

 フレーフレー・ワセダ!


 日本の名誉のために、あえてつけ加えるならば、すべてがすべて、このような日本人ばかりではない。2日目の会場でぼくはTK-80の開発設計者であるG(後藤富雄、筆者注)氏に、ばったり会った。ブースごとに展示してあるマイコンを、かたっぱしからキーボード・プログラミングし、腕時計をのぞきながらランさせているG氏の姿を見かけて『やあ』と肩をたたいてみた。

 聞けば、たった1人でサンフランシスコに到着したばかりで、会場内の展示コンピュータで、観客に開放されているものについて、すべてベンチマーク・テストをしている最中だという。TK-80が、発売後、半年そこそこで5千台以上売れたというのも、多くのアメリカ人には驚きのタネであったし、ご本人には大変失礼な話だが、アメリカ人の目から見れば、17、18歳そこそこのハイスクール学生ぐらいのG氏が、それをなしとげたということも驚異のひとつであったようだ。


 もう1つある。会場内で、これはと思われる重要そうな展示物や、シンポジウム運営のキー・パーソンに話しかけてみる。それらの人びとは、きまって「ミスター K・ニシを知っているか?」とくる。かの早稲田大学3年生の西和彦君のことである。もし知らないといえば、日本人のくせに、なんとなくうさんくさいヤツと、そんな風に思われかねない口ぶりである。

 
しかたがない。こちらは「ミスター・ニシは、わがはいの良き教師である。わがはいは、最もできの悪い生徒である」というよりほかはない。さすればその相手、さもありなんという表情でうなずき、それ以降は、威勢よくしゃべってくれる。まったくもう『ミヤコの西北』には勝てないねえ。

 ところで、その西君が編集長を勤める雑誌『I/O』が、会場内のとあるブースに麗々しく飾ってあったのにもびっくり仰天。そのブースに、ちんまり座った小柄な金髪のおばさんが、熱心に説明しているのが同誌で通信販売しているビデオ・インタフェース・ボード。さらには同誌に、しばしば登場してくるM氏の作品とおぼしきライト・ペンが、会場特価3ドルで売られていた。

 フェア出品の展示物といえば、ほとんどがアメリカ製であることはもちろんだが、そのなかで、3つのブースに陣取ったのが唯一の外国勢の日本製である。ひとつは、兼松江商が出品していたソード社製の汎用マイクロ・コンピュータ・システム。それに、サンフランシスコ市のコンピュータ学校が教材用に改造したNECのTK-80完成基板。そして、わが〈師〉西君の関係する一連の出品物。


 さて、その西君はといえば、単身、パンアメリカン航空のサンフランシスコ直行便で会場に乗り込んできて、ちょこまかと走りまわり、あっちでぺちゃくちゃ、こちらでぺちゃくちゃと、しゃべりまくっていたと思うのもつかの間、いつの間にかふいと姿を消してしまった。いや、西君の活躍といい、同誌の海外進出(?)といい、こちらは胸がすくような思いである。1つ、ここはうんとハッスルしてもらって、ことマイクロ・コンピュータ技術資料に関する限り、世界中のエンジニアが、日本語を知らなければ遅れをとるというぐらいに、がんばってほしいものである。

 そのためには、最近の『I/O』誌で、ちょいちょい見かける米誌ポピュラー・エレクトロニクスを、日本文字に焼きなおしたような記事は、なるだけ避けた方がよさそうである。せっかくの勇名が泣こうというものである。

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