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パソコン創世記
マイクロソフト、パソコン環境の統合を目指す

MS-DOS

富田倫生
2010/3/17

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 こうしたベーシックの拡張によって、1つ1つのマシンは確かに従来機を上回る機能を備えた。

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 だがその一方で、ある機種が持っている命令が他の機械にはないといった事態が複雑に絡み合う結果となった。同じマイクロソフトのベーシックを使って書いたプログラムでも、異なったメーカーの機種では互換性は望みえなかった。移植を試みるにしても、統制のとれないベーシックの肥大化は作業を困難なものにしていった。

 標準言語となったベーシックをほぼ独占的に供給しながら、あくまでハードウエアメーカーが新しい機能を盛り込んで設計したマシンに、注文に応じてあとから言語を載せるという立場にあるマイクロソフトは、この混乱に対してそれまでなんら有効な手を打ちえないできた。

 だが超絶的なブランド力を備えるIBMのマシンの誕生は、ベーシックの混乱を収束させるチャンスをマイクロソフトに与えた。

 「今後のマシンの開発に大きな影響力を発揮するだろうPCの威光を借りて、IBM用のベーシックを16ビットの標準言語として固めてしまえばソフトウエアの互換性を確立することができるだろう」

 マイクロソフトはそう考えた。

 IBM PC用のベーシックのもととなったのは、沖電気のif800用に書かれた8ビット機用としては最大規模を誇るバージョンだった。if800が使っていたZ80に対応したバージョンを、仕様はほぼそのままに8088に移植しなおしたのがPCのベーシックだった。

 PCへの移植作業を終えたあと、マイクロソフトは開発したばかりのIBMバージョンの機能はそのままに、内部の構造を整理しなおした16ビット用の決定版の開発に取りかかっていた。次世代の主流となる8086を採用したマシンに搭載されるべき決定版は、「こいつは凄い!」といったニュアンスの「gee whiz」からGWベーシックと名付けられた。

 だがGWベーシックによる混乱の収拾というマイクロソフトのプランは、これまで8ビット機を販売してきたハードウエアメーカーにとっては、けっして望ましいものではなかった。彼らが必要としていたものは、従来販売してきた8ビット機のベーシックと互換性を持った16ビット版だった。8ビット機にマイクロソフトのベーシックを採用してきたメーカーは、従来機で書いたプログラムを16ビット機でも使えるようにするという責務をユーザーに対して負っていた。

 一方、ベーシックを業界標準に押し上げ、さらにIBMという並ぶもののない強力なパートナーを得たマイクロソフトは、16ビット機における広範な互換性の確保という理想を盾にして、GWベーシックの採用を各社に強く迫った。IBM以外のハードウエアメーカーには、マイクロソフトの主張を入れてGWベーシックに切り替え、従来版に対応したプログラムには変換ソフトウエアを用意してこれを救う以外の選択の可能性は、ほとんど残されていなかった。

 唯一の異なった選択は、従来8ビット機で使ってきたマイクロソフトのベーシックと互換性を持った16ビット版を、あらたに自ら書き起こすことだった。ただしマイクロソフトの権利を侵害することなしに、互換ベーシックを一から開発する作業には大きな困難が予想された。

 自社の規格を独自に定めて、それに沿ったベーシックを書くことはできる。

 だが求められていたのはマイクロソフト版と互換で、しかも当然予想される彼らからの権利侵害のクレームに対して、いっさい問題はないと反論できるベーシックだった。

 もちろんマイクロソフト自身にとっても、GWベーシックへの方向付けはかなりの覚悟を要するプロジェクトだった。従来の得意先からは、当然クレームが予想された。特にビル・ゲイツと西和彦にとって、日本市場開拓のきっかけを与え、同社の急成長を支える柱となってくれたPC-8001の開発チームの存在は大きかった。確かにマイクロソフトはIBMという強力なパートナーを確保したが、昨日までの最強のパートナーは彼らだった。もしも日本電気の大内淳義と渡辺和也が、あくまで従来のものと互換の16ビット版を求めたとすれば、ゲイツと西は彼らの要求を受け入れざるをえなかっただろう。

 だが彼らはついに、唯一の例外となることをマイクロソフトに求めなかった。

 代わりに日本電気からやってきたのは、これまで何の付き合いもなく、パーソナルコンピュータに何の実績も残していない情報処理事業グループの浜田俊三だった。

 「従来のものと互換の8086版ベーシックを書いてくれれば、我々には購入する用意がある」

 そんな浜田の遠回しの打診をけ飛ばすことに、西和彦は危惧を覚えなかった。
 
  IBM PCの大成功を踏まえて、マイクロソフトとアスキーがなすべきことは、明らかだった。

 ハードウエアメーカーを説得してGWベーシックの採用を促し、これを16ビットにおける標準として固めてしまうことが1つ。そしてもう1つの課題は、PCに提供したOSを他のハードウエアメーカーにも売り込み、これをもう1つの16ビットの標準に育て上げることだった。

 IBMがPC-DOSと名付けたのと同じものを、マイクロソフトはMS-DOSの名称で他社に販売しようと計画していた。

 この課題がともに達成できれば、マイクロソフトがリーダーシップをとって、あるべき姿に大きく近づけるはずだった。

 ベーシックの専用機として発展してきたパーソナルコンピュータを、OSを前提としたマシンに転換することは、さまざまな言語を使えるようにするという意味でも、柔軟に周辺機器を取り込むうえでも、技術の発展の当然の流れだった。さらにOSを利用してベーシックを離れることには、結果的に速く動くプログラムを書く★という効果も期待できた。

 ★高級言語から機械語への翻訳の進め方には、大きく分けて2つの方式がある。1つは高級言語で書かれたプログラムを1行ずつ機械語に翻訳しては実行し、次のステップに移っては再び翻訳、実行と繰り返す、インタープリターと呼ばれる方式である。この方式では、プログラムを動かそうとするたびに、翻訳の作業が繰り返される。ソフトウエアが本来の仕事を処理する時間に加えて、翻訳のために割く時間がプログラムを動かすたびにいつでもついて回るために、処理速度を高めるという狙いには合っていない。ただし新しくソフトウエアを書いていく際、間違った表現があるとそこでプログラムが止まり、即座に修正を行えるので手直しがやりやすい。試行錯誤しながら、バグを除いてプログラムを完成させるには適しており、初心者にも取っ付きやすい。パーソナルコンピュータで広く採用されたベーシックはインタープリターであり、ROMに収められてマシンに常駐している翻訳ソフトが、プログラムを書く際にも走らせる際にも翻訳作業を受け持っていた。

  これに対し、コンパイラーと総称される言語では、プログラムを走らせる前に翻訳作業をすませてしまう。入力されたソフトウエアはまず、翻訳プログラムによって、機械語に一括して変換される。これに実際にマシンで走らせるために必要な要素を付け加えて、いざ実行となる。プログラミングの専門家たちは、言語で書かれた段階のものをソースコードと呼び、機械語に変換したものをオブジェクトコード、実行可能な形に仕上げられたものをロードモジュールと呼ぶ。コンパイラーでは、バグはロードモジュールを動かしてみて初めて発見される。バグが見つかるたびに、プログラマーはソースコードに戻って修正を行い、再びコンパイルと呼ばれる機械語への変換、さらにロードモジュールの作成を繰り返す必要がある。そのため、バグを取り除く作業はインタープリターに比べて面倒になる。だがいったんプログラムが完成してロードモジュールにまで仕上げてしまえば、翻訳作業とはそこで縁が切れる。マシンはプログラムを走らせることに集中できるため、処理速度はベーシックに比べて大幅に高くなる。ベーシックを離れてOSを利用すれば、コンパイラー形式の言語を使って、速く動くプログラムを書くことができた。

  パーソナルコンピュータの役割の中心は、自分でプログラムを書くことから、機能性と処理速度にすぐれたアプリケーションを仕事をこなすために利用することに移りつつあった。そうした変化とOSの普及とは、表裏一体の関係にあった。

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