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パソコン創世記
第2部 第4章 PC-9801に誰が魂を吹き込むか
1982 悪夢の迷宮、互換ベーシックの開発

古山良二

富田倫生
2010/4/16

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

電算事業の主流に押し上げられた
ソフトウエアの左甚五郎

 計測工学出身の同窓生たちと会ってお互いの仕事に関して話したり、彼らから異動の連絡を受けたりするとき、古山はしばしば、それぞれの分野に散っていった大学時代の仲間たちが、その道で主流にまわらなかったことを痛感させられてきた。

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 1950年代の終わり、さまざまな産業分野に散っていった仲間たちの大半は、製造工程のオートメーション化に携わることになった。それぞれの職場でプラントの自動化に懸命に取り組んだ仲間は、自らの仕事を充分に楽しんでいた。彼らの努力の積み重ねは、どこかで確実に日本経済の高度成長に寄与しただろう。だが時を経てあらためて振り返れば、当然のことながら石油化学の会社では石油化学の、鉄鋼の会社では鉄鋼の専門家が主流となっていた。

 〈システム屋はけっして主流になることはない〉

 そうした思いは、日本電気のスタッフとしては初めてソフトウエア1本で進むことになった古山の胸にも宿ることがあった。

 少なくとも古山が体験してきたこれまでのコンピュータの歴史の主役は、圧倒的にハードウエアだった。

 電気屋が知恵を絞り、新しいアイディアを盛り込んでコンピュータを作る。彼らコンピュータの主役にとって、ハードウエアができればそこで仕事は終わりだった。ただしコンピュータという機械を実際に動かすには、ソフトウエアが必要になる。そこでソフト屋連中に声をかけて、マシンを稼働させるための後処理を片付けさせる。

 ソフトウエアが必要であることを、主役たちは否定しはしない。だが彼らはどこかで、ソフトウエアを必要悪とでも見ているのではないかと思わされることが、古山には何度かあった。

 ハードウエアの与えてくれた枠の中で、大人しく処理の手順を組み上げるのがソフト屋の仕事。ソフト本位で物事を考えて枠をはみ出し、ハード屋に注文をつけるのは本末転倒といった意識を、古山は主流の側に感じとってきた。

 製材業を営む父の7人の子どもの真ん中に生まれ、国民学校の4年で敗戦を迎えた古山にとって、図書館は好奇心をみたす絶好の広場だった。職人気質の父にさっぱり商売っ気がないことを承知していた古山は、ウサギを飼って小遣いを稼ぎ、部品を買い集めてはラジオや電車の模型を組み立てることを覚えた。だが図書館で数学や物理の本を開いて思いをめぐらせれば、もっと広い世界でいっさい金をかけずに遊ぶことができることに、やがて古山は気付くようになった。

 東京大学に入ったときには、数学科に進みたいと考えていた。

 だが最初のコンパで席を並べた級友に、気にかかっていた問題についてたずねたときの経験が、数学をあきらめさせた。問題を聞くなりさらさらと解きはじめた同級生を前に、古山はただ唖然としているしかなかった。のちに数学科の教授となったその人物の書いたメモを、古山はアルバムにはさんでいつまでもとっておいた。代わりに、数学を生かすことができて、しかも物にも触れられるだろうと考えて、応用物理の計測工学を選んだ。就職に際しては、まったく同じ理由からコンピュータを仕事としたいと考え、電子計算機に着手しているという日本電気の試験を受けた。

 製材機に使うモーターから東芝や日立は知っていても、日本電気など聞いたこともない父は、真顔で「そんなところに入って大丈夫なのか」と心配して見せた。

 玉川の電子機器工業部に配属されて初めて担当した仕事は、NEAC-2203のソフトウエア作りだった。

 古山の入社直後の1959(昭和34)年6月、日本電気はパリで開かれた第1回情報処理国際会議にトランジスター式のNEAC-2201を出展した。このマシンを継いで、事務処理分野への本格的な応用を狙ったNEAC-2203用に、古山はサインやコサインをはじき出したり連立一次方程式を解いたりする、サブルーチンと呼ばれるソフトウエアのモジュールを書きためていった。

 ただしNEAC-2203の記憶容量は、磁気ドラムを使って1語10進12桁で2000語★までしか確保できなかった。たったこれだけのメモリー空間でともかくコンピュータに仕事をやらせるためには、機械語でプログラムを組む以外は考えもつかなかった。

 ★語単位でしか読み書きや処理のできないワードマシンが、十進数を処理単位としている際の記憶容量を、正しくバイトに換算することは不可能である。それを承知であえて形式的な計算を試みれば、10進数の1桁は4ビットでカバーでき、それが12桁あるので一語は48ビット。全体では48×2000ビット。これを8で割って、12Kバイトに相当する勘定になる。

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