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パソコン創世記
第2部 第4章 PC-9801に誰が魂を吹き込むか
1982 悪夢の迷宮、互換ベーシックの開発

悪夢の互換ベーシック開発

富田倫生
2010/4/27

前回「『PCサブグループ』の要望」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 こうした仕様にもとづいてハードウエアの開発にあたった戸坂馨は、新16ビット機が従来作ってきたオフィスコンピュータではなくパーソナルコンピュータという異なった範疇のマシンなのだという意識を、ほとんど持っていなかった。

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 詳しく分析してみたIBM PCは量産化を意識した設計上の工夫を随所に盛り込んであり、戸坂はいくつかの特長をそのまま新16ビット機でも生かそうと考えた。だが、基本的にはこれまで作ってきたマシンでもマイクロコンピュータは利用しており、周辺装置の類も同じものを使ってきた。拡張スロットを表にさらすことは確かに新しい経験だったが、気持ちの切り替え以外に、何かを求められたわけではなかった。家庭用テレビやカセットテープレコーダーといったアナログの機器をつなぐのには当初戸惑いがあったが、着手してみればこれも間もなく解決できた。

 唯一、今回の開発作業で異なっている点があるとすれば、情報漏れを防ぐために機密の保持をくどいほど徹底させていたことだった。府中のコンピュータ技術本部の一角にはシークレットルームと名付けられた一室が設けられ、すべての作業は部外者の立ち入りを厳しく排除したこの部屋で進められた。

 情報処理事業グループがパーソナルコンピュータの開発に取り組んでいることは、最高レベルの機密扱いとされていた。

 「もしも16ビットのパーソナルコンピュータを我々が開発していることが外部に漏れれば、電子デバイスという他の事業グループの足を引っ張ることになる。情報漏れによるマイナスが自分たちのマシンに及ぶのならまだしも、他のセクションに迷惑をかけることは絶対に許されない」

 N-10プロジェクトを率いる浜田俊三はそう言い渡して、徹底した機密保持を求めた。

 新16ビット機に注文をつけるために後藤富雄と加藤明をワーキンググループに参加させている渡辺和也の部隊は、当然プロジェクトが進行しつつあることを知っていた。だが開発完了予定が常識外の半年後に据えられていることや、30万円を切る本体価格を目標として開発が進められていることを、彼らはまったく予想していなかった。

 新16ビット機の発表時点にある程度のアプリケーションをそろえるためには、事前にサードパーティーにマシンを提供せざるをえなかった。試作機のソフトハウス渡しの時期は、8月初頭に設定された。プロジェクト開始からの8カ月間、その存在を知っていた唯一の外部企業は、ベーシックの開発作業の一部を発注された管理工学研究所のみだった。

 浜田からの遠回しの打診が立ち消えとなった時点から1982(昭和57)年の夏にいたるまで、アスキーは彼らが互換ベーシックの開発に取り組んでいることを、まったく知らなかった。

 取りあえず部品をつないで機能だけを実現したバラックセット段階のマシンは、6月の末には仕上がった。

 ベーシックの開発にあたる古山が、ソフトウエアを載せて動作を確認するための評価機の提出を7月末に求めていたのに対し、ハードウエア側の作業は予定を上回るペースで進んでいた。

 7月、N-10プロジェクトは正式な事業計画として承認が与えられ、30万円を切るという価格目標もこの時点で公式に設定された。

 だが、事業計画やハードウエア開発の順調な動きとは対照的に、古山は悪戦を強いられていた。

賽の河原の石積みとなった
悪夢の互換ベーシック開発

 N88-BASICやN-BASICと互換性をとるためには、中間コードとファイルフォーマットの仕様を知ることは絶対に欠かせなかった。

 そのために必要な16進のダンプによる解析が、法律で禁じられているというわけではなかった。とはいえ、一方でPC-8001やPC-8801に関してはマイクロソフトからベーシックを供給されている日本電気が、こうした手法を用いて別個に互換ベーシックを開発することにはやはり、懸念があった。

 マイクロソフトが権利を持っているベーシックのソースプログラムをもとに、PC-8801やPC-8001向けに機能を拡張したり移植する作業のかなりの部分は、現実にはシアトルに派遣された土岐泰之など、渡辺の部隊のスタッフがになっていた。当時マイクロソフトのベーシックを採用していた日本の他のメーカーでも、買う側が移植作業の中心になるという状況は似たり寄ったりだった。ただし契約上はあくまで、日本のメーカーが買ったのはオブジェクトコードを自社のマシンに搭載する権利のみであり、ソースコードをいじって独自の拡張を行ったり、契約に含まれていない他機種のベーシック開発の参考にするといったことは禁じられていた。

 こうした制約を負っている渡辺のセクションから、開発チームはいっさい情報提供を受けていなかった。だが、マイクロソフトとアスキーが互換ベーシックの存在を知った時点で情報漏れの懸念を抱くことは、当然予想できた。同社の著作権に抵触せず、彼らが疑いを持ったとしても説得力を持って反論できるようにと、古山はベーシックの情報源を厳密に限る方針を定めた。マニュアルに記載されている内容、ファイルのダンプから得られる中間コードとファイルフォーマットの仕様、そしてマイクロソフトベーシックがブラックボックスとしてどう動作するかの3つが、開発チームの情報源とされた。

 命令と機能の対応を押さえてから、今度は確認した機能を組み立てていく作業が、まったく白紙の状態から進められた。機械語に変換されてROMに組み込まれているベーシック処理プログラムを、逆アセンブルと呼ばれる工程を経てアセンブラーの形式に戻して分析すれば、マイクロソフトがどういった手順で機能を実現しているかを覗いてみることができた。だがそうした手法でマイクロソフトの手順をいったん知ってしまえば、著作権侵害を避けるために独自に手順を組み立てたとしても、偶然似通った手を使った場合には侵害と判定される恐れがあった。そこで古山は逆アセンブルを禁止し、あくまで一からの組み立てに徹した。

 ところがそうした手法で論理的には間違いなく組み上げたはずの互換ベーシックに、これまでPC-8001やPC-8801用に書かれたプログラムを載せてみると、さまざまな問題が浮かび上がった。

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