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パソコン創世記
第2部 第5章 人ひとりのコンピュータは大型の亜流にあらず
1980 もう1人の電子少年の復活

ポール・テレル

富田倫生
2010/6/2

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 コンピュータコンバーサー社のアレックス・カムラットは、形式的には共同経営者となっているウォズニアックの関心を同社の端末に引き戻そうと、この時期になってもなお彼に接触を試みては、試作機の製品化に協力するよう説得を繰り返していた。

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 その一方で、ジョブズはアップルI のビジネスに集中するよう、ウォズニアックに求めた。だがジョブズの家のガレージででき上がってきたプリント基板に部品を差し込んで、最初のアップルI を完成させたとき、すでにウォズニアックの関心は次に作り上げるマシンに移っていた。新しいマシンを引き続いてジョブズに渡すのか、それともカムラットに渡すのかは、ウォズニアックにとって本質的な問題ではなかった。

 1976年4月、ジョブズとウォズニアックは、ホームブルー・コンピュータ・クラブでアップルI のプリント基板をメンバーに披露した。

 使用するマイクロコンピュータは6502で、8KBのメモリーが載る。部品を買いそろえて組み立てをすませ、電源とキーボードを付けて動かせる状態に持ち込めば、アップルI は家庭用のテレビに白黒の表示を出すことができた。ウォズニアックが6502用に開発したベーシックは、もちろんこのマシンでも動かすことができた。ただしベーシックインタープリターを収めたROMは用意されておらず、カセットテープレコーダーのインターフェイスも備わっていなかった。そのため、ベーシックが使いたいとなると、ユーザーは電源を入れるたびに、3Kバイトあまりの翻訳プログラムをキーボードから入力せざるをえなかった。

 クラブでの発表に際して、ウォズニアックはアップルI の技術的なアウトラインを説明し、ジョブズはたった1枚の基板に収まったコンパクトさとテレビ画面に表示が出せるというマシンの特長のアピールに努めた。さらにジョブズはマーケティングのセンスを発揮して、もしも組み立て済みの完成品の状態ならこのマシンをいくらで買ってくれるかを、集まったメンバーたちにたずねた。

 アップルI を取り囲んだメンバーの中には、パーソナルコンピュータの販売店の走りとなったバイトショップの経営者、ポール・テレルがまじっていた。

 もともとミニコンピュータ用周辺機器の販売に携わっていたテレルは、アルテアのニュースを聞いてさっそくMITSに連絡をとり、カリフォルニア北部地域のエージェントの肩書きを得た。ホームブルー・コンピュータ・クラブに出かけてはアルテアを売り込んでいたテレルのもとには、しだいに注文が集まるようになった。本格的にこの分野に取り組もうと考えた彼は、1975年12月、MITSの製品を大量に仕入れてマウンテンビューにバイトショップをオープンしていた。

 あらためてテレルをバイトショップに訪ねたジョブズは、組み立てとテストをすませた状態で納入するという条件で、一挙50台のアップルI の注文を取りつけた。テレルとのあいだで合意した納入価格は、1台およそ500ドル。しかもテレルは、マシンの引き渡し時に約2万5000ドルの全額を現金で支払うと約束してくれた。

 2500ドルの元手でプリント基板を100枚起こし、完売で5000ドルの売り上げを目指していたアップルのビジネス規模は、テレルからの注文で一気に1桁増しとなった。

 いかにして50台分の部品を調達するかという緊急かつ深刻な問題には、ジョブズの奔走によって突破口が開かれた。銀行には門前払いを食らわされ、部品店からも色好い返事はもらえなかった。だが、テレルからの注文書を確認して、30日間支払いを猶予するという条件で部品を供給してくれるところが確保できた。

 ジョブズの実家の1室を工場とした組み立て作業には、彼の姉や友人が動員された。アップルは部品を仕入れてから29日目に、テレルへの製品供給を果たした。ジョブズは部品原価を2倍した500ドルを仕切り値とし、販売店の取り分を33パーセントとするという線から弾き出して、印象的な666.66ドルという価格を設定した。

 バイトショップの店舗をつぎつぎと増やしながら、全米にチェーン店網を築き上げようと奔走していたテレルは、アルテアやIMSAIと競い合ってショップの売り上げを伸ばしてくれるマシンを求めていた。テレルは引き続きアップルI に注文をかけてくれたが、その一方でベーシックインタープリターをいちいち手作業で入力しているようではこのマシンに大きなチャンスはないと考え、カセットテープレコーダーとのインターフェイスを開発するよう強く求めた。ジョブズはウォズニアックをせかせてインターフェイスを作らせ、カセットテープに収めたベーシックとセットにして75ドルで売り出した。

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