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パソコン創世記
第2部 第5章 人ひとりのコンピュータは大型の亜流にあらず
1980 もう1人の電子少年の復活

MS-DOSの衝撃

富田倫生
2010/7/2

前回「独自技術を盛り込もうとするソニーの挑戦」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 当初から科学技術計算や事務処理に使える本格的なマシンを目指してマイクロコンピュータを利用したシステムに乗り出してきた三洋電機も、いち早くOSへの移行を目指した。

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 同社は1979(昭和54)年、テキサスインスツルメンツ製の16ビットマイクロコンピュータ、TMS-9900を使ったディスプレイ、フロッピーディスクドライブ一体型のPHC-3100で市場に参入した。このマシンには、当初からマルチタスク可能な独自仕様のOSが採用され、さまざまな言語をこの上で使えるようになっていた。

 1981(昭和56)年になって、三洋電機はマイクロコンピュータをインテル製に置き換え、OSもCP/Mの流れを汲むものに替えて、スタートを切りなおした。CP/Mと互換性のあるOSを開発して自社のマシンに採用する一方で、同社はCP/Mそのものもオプションで用意した。

 明確にCP/Mマシンにターゲットを絞り込んだ三洋電機の開発作業の一部は、マイクロハードによってになわれた。

 1982(昭和57)年2月から三洋電機が売り出すことになるMBC-100の開発にあたったのは、松本たちだった。前年、松本はMBC-100と並行してSMC-70と名付けられるソニーのCP/Mマシンの追い込みにもかかっていた。

 当初予定していたデジタルリサーチからのOSの調達に手こずった挙げ句、マイクロソフトの用意したものを本線に据えてIBMがPCの発表に踏み切ったのは、松本が2つのCP/Mマシンにかかり切りになっていた1981(昭和56)年の8月だった。

 PC-DOSとして発表され、MS-DOSとして他のマシン用にも販売されることになったマイクロソフト製OSの最大の売り物は、CP/Mとの互換性だった。MS-DOSは、CP/Mを否定するものでも革新しようとするものでもなかった。だがコンピュータ業界では絶大のブランド力を誇ってきたIBMのパワーによってMS-DOSが16ビットの標準となれば、実体は互換OSであれ、その後の発展の道筋をつけるリーダーシップと収益の転がり込み先は、マイクロソフトに移りかねなかった。

 CP/Mを押し立ててアメリカ市場に乗り込もうとした矢先のソニーは、IBMのこの選択に大きな衝撃を受けた。

 予定を大幅に遅らせて1982(昭和57)年5月、まずアメリカ市場向けにSMC-70を発表した時点で、ソニーはマイクロコンピュータを8086に切り替える増設モジュールを提供すると予告し、CP/M-86に加えてMS-DOSのサポートを約束せざるをえなかった。

 既定方針どおり、CP/M、さらにその16ビット版のCP/M-86で進むのか。MS-DOSをとるべきか。それとも両方をサポートする道を選ぶべきか。

 PCの誕生以降、こうした問いかけが鋭い緊張感をはらんで浮上したことは、パーソナルコンピュータをベーシックだけのマシンからOSを前提としたシステムへと転換することが次の課題であることを、誰もが意識しはじめたことの証だった。だがOSがベーシックに代わる基本ソフトとして明確に意識されはじめたこの時期は、もう一方でパーソナルコンピュータに用意されたOSの限界があからさまに表面化するときとも重なり合っていた。

 アップルII でもCP/Mが利用できるようマイクロソフトが開発したソフトカードのあり方は、この時点でのOSの可能性と限界を雄弁に物語っていた。

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