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パソコン創世記
第2部 第6章 魂の兄弟、日電版アルト開発計画に集う
1983 PC-100の早すぎた誕生と死

PC-9801をOSマシンに変身させるシナリオ

富田倫生
2010/7/27

前回「日本ソフトバンク『Oh! PC』とPC-9801」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

アプリケーションへのバンドルで
MS-DOSの突破口を開け

 1983(昭和58)年5月、アメリカに出張した際に求めた『CP/M入門』がきっかけとなって、浜田俊三が強く意識したのも、ベーシックで完結したままの日本のパーソナルコンピュータの現状だった。

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 「速いPC-8801」としてPC-9801をデビューさせた浜田は、技術の進化の流れに沿った当然の布石と考えて、CP/M-86とMS-DOSを用意していた。早水に専念させているソフトハウス詣での成果も、徐々に実を結びはじめ、この時期にはPC-9801用と銘打ったアプリケーションがショップの店頭に並びはじめていた。

 確かに、本格的なビジネスの要求に応えるIBM PCの1-2-3に相当する決定的なソフトウェアは、いまだ生み出しえてはいなかった。とはいえ、サードパーティーへの支援と働きかけを継続していく過程で、いずれPC-9801用にもキラーアプリケーションを誕生させうると、浜田は踏んでいた。PC-9801のソフトウェアの大半はベーシックで書かれていたが、OSを供給していけばやがて、CP/M-86やMS-DOSに対応した製品が自然に増えてくるだろうと考えていた。

 だが日本の8ビット機がベーシックにとどまり続けたあいだに、アメリカではCP/Mの時代が確固として築かれ、その基礎の上に16ビットではMS-DOSの時代が開けようとしているのだという事実を、浜田は『CP/M入門』によってあらためて突きつけられた。

 「PC-9801にCP/M-86とMS-DOSを用意すれば、OSへの移行は自然の成り行きとして達成できるだろう」

 問い詰めればきっとそう答えていたはずのさっきまでの自分を、成田へと向かう機中で『CP/M入門』を凝視したままの浜田は、すさまじいスピードで太平洋上に置き去りにしていった。

 〈単にOSを準備するだけでは新しい技術への転換が図れないことは、PC-9801の初戦の勝利そのものが示している〉

 浜田には、そう思えてきた。

 三菱電機はマルチ16をCP/Mマシンと位置づけ、東芝はMS-DOS機と性格づけてパソピア16を市場に送り出した。新しい技術の流れをいち早く汲むことが即ち、成功の要因となるのなら、市場はPC-9801ではなくマルチ16なりパソピア16なりを勝者として選んで当然だった。だが日本のパーソナルコンピュータの重心は、いまだにベーシックのゲームマシンにとどまっていた。それゆえに、8086とGDC、そして互換ベーシックによって「速いPC-8801」として生まれたPC-9801は、スタートダッシュを決めることができたのだ。

 CP/M-86なりMS-DOSなりを使おうとすれば、まずOSそのものにメモリをかなり食われることを覚悟せざるをえない。現状のマシンの大半がベーシックで使うことを前提としたメモリしか載せていない中で、果たしてOSで使うアプリケーションを書いて買ってもらえるかという懸念が、サードパーティーにはあった。

 さらにOS版のアプリケーションを使いこなしてもらうためには、ユーザーにこれまでには必要なかった手順を踏んでもらわざるをえない点も、新しい環境への移行の障害となる可能性があった。

 ベーシックならあらかじめ本体に翻訳プログラムのROMが組み込んであるために、ユーザーは買ってきたアプリケーションをほぼ自動的に起動することができた。ディスクベーシックでも、アプリケーションの起動はきわめて容易だった★。

 ★フロッピーディスクをあらたに使いはじめる際は、形式を合わせるためのフォーマットと呼ばれる事前の手続きが必要になる。このフォーマットを行った際に、ディスクベーシックの拡張部分はディスクに書き込まれるようになっていた。そのためディスクベーシックで書いたアプリケーションをドライブに差し込むと、拡張部分からディスクベーシックが起動されたあとにアプリケーションが自動的に読み込まれ、ユーザーはいきなり仕事を始めることができた。

 基本ソフトウェアの機能や存在は、ベーシックで使っている限りほとんど意識する必要がなかった。

 ところがOSでは、システムの収まったフロッピーディスクでマシンを起動してから、あらためてアプリケーションのディスクからプログラムを読み込んでくるという手順が必要になった。事前にシステムとアプリケーションのディスクを1つにまとめておけば、ディスクを抜き差しする手間は省けるが、OSを立ち上げてからそこからアプリケーションを起動するというステップを踏むことは避けられなかった。こうした操作をユーザー自身にこなしてもらうためには、OSに関する基礎的な知識をあらかじめ学習しておいてもらう必要が生じた。

 これまでサードパーティーの開発者はもっぱらベーシックで書いてきたが、必要となればプロである彼らはOSについて学び、他の言語にも取り組むようになるだろう。ただしユーザー自身に基本ソフトに関する知識を求めざるをえない点は、8ビットでCP/Mの時代を築くことができなかった日本では、OSへの移行の大きな障害となると浜田は考えた。

 OSに対応したビジネス用のアプリケーションを使ってもらうユーザーは、コンピュータそのものに興味を持つマニアではなく、一般の社会人である。彼らが求めるのはワードプロセッサなり表計算なりの機能そのものであって、コンピュータの知識ではない。本格的なビジネスアプリケーションの開発がすべからくOSへの転換を求めるとしても、ユーザー自身にはOSを使っていると意識してもらう必要はない。

 むしろOSを使っていることなどまったく意識することなく、ただ「速くて高機能のソフトウェアだ」とだけ感じてもらうことができてはじめて、PC-9801のビジネスマシンへの転換には拍車がかかるのではないか。

 『CP/M入門』を前に、機中でほぼ一瞬にそこまで論理を詰めていった浜田は、脳裏に浮かび上がってきた1枚の図を求めてページを気ぜわしくめくった。

 残像が記憶に残っていた図は、CP/Mの起動の手順を示していた。

 OSはドライブをコントロールして、フロッピーディスクへの情報の読み書きを行う。ではマシンを立ち上げた際、そのOS自体をフロッピーディスクからメモリに読み込んでくるのは何なのか。

 読者にこう問いかけてから、『CP/M入門』は電源投入時にOSが自動的に読み込まれるまでの手順を示していた。

 フロッピーディスクドライブを使うことを想定したマシンでは、電源投入時にディスクの先頭の部分を自動的に読み込んでくる手順が、ROMに組み込んで持たせてある。この小さなプログラムの働きによって、ディスクの先頭に書き込んであるシステム読み込み用のブートストラップローダーがまずメモリに組み込まれる。すると今度はブートストラップローダーが自動的に起動されて、OS本体をメモリに読み込んでくる。ここまでの手順は、電源を入れたりリセットスイッチを押したりするたびに、マシンが自動的にたどってくれる。

 〈ならばいっそ、OS上で使うアプリケーションまで一気に起動してしまえないのか〉

 浜田は内心で『CP/M入門』の著者に、そうたずねかけた。

 電源が投入されるたびにブートストラップによってOS本体を引き出し、さらにはアプリケーションまで自動的に立ち上げてしまう――。

 もしもこうした手が打てれば、ユーザーは最終的にアプリケーションが起動された段階で、仕事のための環境に直接向き合うことができる。これなら途中でブートストラップが機能していたことはもちろん、OSが立ち上がっていたことも意識されることはない。これまでディスクベーシックのアプリケーションを使っていたのとまったく同じやり方で、より速く動作するOS上のソフトウェアを使うことができる。こうした形でOS対応のアプリケーションを提供できれば、ユーザーは自分自身がベーシックからOSに移行したのだという事実さえも意識しなくてすむだろう。

 目の前にあるのは、昨日までと同じPC-9801というマシンである。

 その同一のマシンが、ユーザー自身はなんら手を加えていないにもかかわらず、速いビジネスソフトを走らせる本格的なコンピュータに突如として変身してしまう。

 なぜ、そんなことが起こったのか、ユーザーは気付かない。いや、ユーザーは知ってはならない。なんの心理的な障害もなく、まったく気付かないうちにOSに移行してしまう道筋をつけてはじめて、PC-9801はOSベースのマシンに脱皮を遂げることができる。ベーシックに縛り付けられた「速いPC-8801」を脱し、本来目標としていたビジネス用の汎用コンピュータとして自らを確立できる。

 『CP/M入門』を前に、PC-9801をOSマシンに変身させるシナリオを浜田は一気に組み上げた。組み立てた手順がふと消え去るのを恐れるかのように、浜田は飛行機が成田に降り立つまで繰り返し繰り返しシナリオをたどり、神経回路網を灼熱させながら再生のプログラムを脳裏に焼き込もうと努めた。

 ターゲットはIBMが本線に据えたMS-DOS。

 PC-9801をひっそりと、ユーザーが意識しないあいだにMS-DOSマシンに変身させることができてはじめて、勝利を確定できると浜田は脳裏に刻み込んでいた。

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