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パソコン創世記
第2部 第6章 魂の兄弟、日電版アルト開発計画に集う
1983 PC-100の早すぎた誕生と死

IBMへの信頼

富田倫生
2010/7/29

前回「MS-DOS無償提供という『奇策』」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 「今後はOSだ。それもMS-DOSに対応したアプリケーションの開発を、徹底して推し進めていく」

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 アメリカ出張から帰って以来、そう宣言してMS-DOSへの集中を突如として求めた浜田の豹変は、アプリケーションの開発促進を担当する早水潔にとっていぶかしかった。

 ショップ用に準備していた対応アプリケーション紹介のための「市販ソフト情報」に、浜田はOS対応製品をひとまとめにした欄を別に設けるように指示し、自らコピーを書くと言い出した。

 「パソコン=BASICの時代を越えて、これからはより広範なアプリケーションやソフトウェア開発のためにOS(オペレーティング・システム)も選んで使う時代です」

 そう書いてきた浜田は、CP/M-86と同じスペースで、MS-DOS対応製品を並べるよう求めた。だがCP/M-86ならまだしも、MS-DOSでは発売予定のものを含めて、言語やユーティリティーを紹介するのがせいぜいだった。1983(昭和58)年5月現在の製品を対象とした編集中の「市販ソフト情報」で、注目を集めそうなMS-DOS対応製品としては、アスキーが同月発売を予定していたマルチプランが唯一の存在だった。

 エイセルが日本語ワードプロセッサのJWORDを、CP/M-86に加えてMS-DOSに対応させて製品化してくれたことに、浜田は勇気づけられていた。だが早水には、JWORDとマルチプランを数えてそれ以上折る指のないことが、MS-DOS環境の貧弱さをむしろ雄弁に物語っているように感じられた。

 浜田はそれでもMS-DOSを今後の本線に据えると主張し、アプリケーションへのバンドルに向けてマイクロソフト、アスキーとの交渉を進めつつあった。

 だが「MS-DOSに比べればCP/M-86の方がよほど動作が安定している」といった声をサードパーティーの開発者から繰り返し聞かされていたうえに、マルチタスクの可能なコンカレントCP/M-86という技術の発展の道筋を示しているデジタルリサーチの姿勢にも、早水は信頼を置いていた。

 早水の目には、CP/M-86とMS-DOSの勝負の結果はすでに明らかであるように見えた。

 「積み上げてきたアプリケーションの数においても、製品の技術レベルにおいても、将来の発展に向けたビジョンにおいても、いずれもCP/M-86の方が上なのではないか」

 そう反論する早水に対し、あくまでMS-DOSを主張する浜田の確信の根にあるものは、「IBMへの信頼」につきるように思えた。

 「ディスクベーシックの貧弱なファイル管理機能では、今後フロッピーディスクが当たり前になり、さらにハードディスクに大量の情報を蓄積して使うようになった段階ではまったく対応しきれなくなる。この3月にIBMがハードディスクを内蔵して発表したPC XT用に開発されたDOSの2.0では、従来のCP/M互換の方式とは異なった、機能を大幅に強化したUNIX流のファイル管理機構が採用されている。さらにデータを書き込む最低単位のセクターあたり、MS-DOSが最高で1024バイトを記録できるのに対し、CP/M-86は512バイトまでにとどまっており、この差がファイルを読み書きする際のスピードにかかわってくる」

 そうした技術的な主張に対しては、CP/M-86側の有利な点を上げて反論を試みることもできた。だが「IBMがパートナーとして選んでいるのはマイクロソフトであり、今後表面化する問題点は、まずDOSの上で解決されるだろう」とする浜田の直感的な確信に対しては、早水は対置すべき反証の材料を持たなかった。

 「今後は徹底してMS-DOSを重視する」

 浜田からそう指示を受けて以来、早水はサードパーティーに対してMS-DOSへの転換を繰り返し働きかけていった。

 だが、これまでベーシック1本やりできたソフトハウスの反応は鈍かった。

 ベーシックからMS-DOSへの移行の敷居を少しでも低くするために、早水はOS上で動く変種のベーシックの開発を浜田に進言した。

 これまでPC-8001やPC-8801用にアプリケーションを開発してきたソフトハウスは、日本電気のベーシックに対応したプログラムのモジュールを書きためていた。新しいアプリケーションを書き起こす際も、開発済みのモジュールで機能の一部が実現できるならば、彼らは当然、過去の資産を生かしたいと考えた。

 こうした構造もまた、OSへの移行を阻む障害となっている。そこでN88-BASIC(86)の命令を、MS-DOS上で機械語に変換してしまうベーシックコンパイラを開発してやれば、過去の資産を新しいOS上でも生かせるようになる。

 「MS-DOSを普及させていくには、こうした開発環境の整備がまず必要」

 早水からそう報告を受けた浜田は、残されたバグをつぶすとともに、次期機種に向けてベーシックの機能強化に取り組んでいた古山に、重ねてベーシックコンパイラの開発を依頼した。

 だが1984(昭和59)年9月になってベーシックコンパイラの発売にこぎ着けた時期になっても、MS-DOSへの移行にはいまだ、弾みがついてはいなかった。

 ベーシック機として生まれたPC-9801を、アプリケーションに潜り込ませたMS-DOSによって誰も気付かぬうちに新世代のOSマシンに変身させ、そのことによってPC-9801の勝利を決定づけるという浜田の戦略が機能しはじめるまでには、ある日本語ワードプロセッサの誕生を待たなければならなかった。

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