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パソコン創世記
第2部 第6章 魂の兄弟、日電版アルト開発計画に集う
1983 PC-100の早すぎた誕生と死

「僕たちのワープロはきっと認められる」

富田倫生
2010/8/5

前回「GUIへの突破口」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 大型やミニコンピュータのソフトエンジニアからアスキーへと転じたばかりだった間宮義文にとって、リサに盛り込まれたインターフェイスは、頭の中にでき上がっていたコンピュータのイメージを木っ端みじんに打ち砕く新鮮な衝撃だった。

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 アスキーという会社にみなぎっていた弾むような柔軟性や、プロジェクトのパートナーとなった笹渕のGUIに対する確信、そしてリサを貫く精神の斬新さに打たれた間宮は、開発作業をになうことになったジャストシステムの3人の熱意に触れて、再びあおられた。

 間宮は、自分自身が突然時代の最先端に飛び出して、まったく新しい何かを生み出そうとしている事実に慄然(りつぜん)となった。しゃぶりつくすようにリサの分析にかかった笹渕と間宮は、アルトの子供にバンドルする日本語ワードプロセッサのアイディアを固めていった。

 削除を示すハサミのアイコンを選べば、それまでは矢印だったカーソルがハサミの形に入れ替わり、作業の内容によってピンセットやナイフに変化するといったインターフェイスの方向付けが、アスキーとジャストシステムの繰り返しの打ち合わせを経てまとめられた。

 新幹線で大阪まで下り、大阪と徳島のあいだは東亜国内航空のYS-11で飛んだ。第2次世界大戦後、日本で初めて開発された60人乗りのこの旅客機は、短い滑走距離を売り物に国内線に利用されたが、ともかくよく揺れた。吐き気に耐えてYS-11で繰り返しジャストシステムを訪ねた間宮は、浮川初子と福良伴昭の傑出したプログラマとしての能力に鮮烈な印象を受け続けた。わずか128Kバイトのメモリしか持たないMS-DOSマシンで、自分たちが要求したGUIの特長を実現するために彼らがひねり出したアイディアには、息を呑むような切れがあった。

 プロジェクト全体を支配するエネルギーに押されるように、仕様の検討やテスティングの作業に没頭する間宮の姿に、笹渕は「命がけ」という古風な表現がぴったり当てはまるようなすさまじい集中力を感じさせられていた。

 西は素直に、マルチプランのインターフェイスをそのまま流用したワードプロセッサを作る腹案を持っていた★。だが古川は、リサに惚れ込んだ笹渕と間宮、そして表舞台に躍り出ようと奮闘する浮川たちの熱に賭けたいと考えた。仮名を文節単位に漢字交じりの文に変換するKTISと名付けられたモジュールは、従来の日本語処理の経験を生かしてジャストシステムによって設計された。

 ★のちにジャストシステムは、マルチプランのインターフェイス形式に沿った製品を開発して大成功させることになる。

 当初5月を予定していたTRONの発表スケジュールは、インターフェイスマネージャが間に合わないとなった段階で、いったん7月に延期されていた。ところが開発を終えたマシンに、最終的な事業化の承認をえる段階になって、トップの判断により、発表はさらに大きく先送りされることになった。

 「16ビットの事務用機は情報処理。ただし事務用でない、別ジャンルのものがありうるのなら半導体が16ビットに乗り出すことを一概に禁じているわけではない」

 そう認識を示してきた大内淳義に対し、渡辺和也はトップの最終的な正式承認がなければプロジェクトをこれ以上進めることのできない3月まで粘ってから、仕様の報告を行った。

 渡辺はグラフィックスの重視やソフトウェアのバンドルという差別化のポイントを強調したが、TRONの存在を知った情報処理からは、「お墨付きを与えられた聖域を荒らされるのではないか」と、これ以降強い反発があった。双方のグループにしこりが残ることを恐れた大内は、社長の関本に諮(はか)り、半導体の16ビット機は、PC-9801の新機種と同時に発表するよう指示した。ソフトウェアの開発は遅れはしたものの、ハードウェアはスケジュールどおり仕上がっていたマシンの発表は、このトップの命令によって秋にまで大きくずれ込んだ。

 TRONのプロモーションは広告代理店にまかせるのではなく、アスキーと組んで自分たちで主体的に進めたいと後藤は考えた。機種名として閃いたNEWS24には、自信と愛着があった。24時間ユーザーをサポートするNECのワークステーション(Work Station)に引っかけたこの名前には、設計思想に通じる斬新な響きを感じた。だが、従来のスタイルから離れたネーミングには、ついに社内の承認がえられず、最終的にはPC-100に落ちついた。

 PC-100用の日本語ワードプロセッサの仕様が最終的に固まった6月、ジャストシステムの浮川和宣と浮川初子、福良伴昭の3人はアスキー側との打ち合わせを終えて赤坂プリンスホテルの最上階のレストランで、チャンスをこの手につかんだことを互いに祝い合った。

 眼下には東京の街の明かりが、視線の及ぶ限り、遠く遠く広がっていた。

 「これだけの人がいるんだから、僕たちのワープロはきっと認められる。いつかみんながジャストシステムのワープロを使ってくれる日が、きっとくるよ」

 ガラス窓に横顔を浮かべた浮川は、街明りが夜空に呑まれて消える彼方を見やりながらそうつぶやいた。

 いつもは強気一本やりの浮川の、調子を抑えたその予言は、福良の耳の奧でいつまでも遠くこだました★。

 ★ジャストシステムの誕生から一太郎の開発にいたる経緯は、『パソコンウォーズ』(田原総一朗著、富田倫生構成、日本ソフトバンク出版事業部、1988年)「第8章 パソコンを大人の道具に変えた、ジャストシステム一太郎誕生物語」に詳しい。本書のジャストシステムに関連する記述は同書に似すぎているのではないかとの懸念を持たれる方は、著作権者に富田倫生が入っているという事情に免じてお許し願いたい。この『パソコンウォーズ』は、『パソコンウォーズ最前線』と改題されて講談社文庫に収録されている。文庫版の著作権表示欄には富田倫生の表記がないため、こちらと本書との記述を読み比べられた方は、盗作の疑いをより強く持たれるだろう。ただし文庫版に富田倫生の著作権が表記されていないことは、編集部による作業上のある種の事故によるものであり、私は同書に関しての権利を放棄してはいない。緊急避難的な要求からあえて同書の刊行を受け入れたが、大人になるというのはなかなか難しいことである。

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