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パソコン創世記
第2部 第6章 魂の兄弟、日電版アルト開発計画に集う
1983 PC-100の早すぎた誕生と死

マッキントッシュへの共感

富田倫生
2010/8/13

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 アップルが、マッキントッシュと名付けたリサの低価格版を発表したのは、システムソフトが3Dマスターを売り出し、竹松がお絵かきソフトに着手した1984(昭和59)年1月だった。

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 ちょうど1年前に発表したリサに5種類のアプリケーションを標準添付したのと同様に、マッキントッシュにはGUIの生かし方のモデルとして、2種類のソフトウェアがバンドルされていた。ワードプロセッサのマックライトとともに添付されていたお絵かき用のマックペイントには、同じ領域を狙ったものをPC-100用に書きはじめていただけに視線が吸い寄せられた。

 マックペイントを一目見たとき、湧き上がってきたのは笑い出したいような驚きだった。

 さまざまな書き味の絵筆をマウスで操作し、気に入らないところがあれば画面上で自由に修正を加え、好みのパターンを選んで網掛け処理を行う――。こうした基本的な仕様において、マックペイントと竹松が開発に着手していたお絵かきソフトは、きれいに重なり合っていた。

 ふたを開けてみれば、もう1つのアルトの子供をアップルで与えられた兄弟は、1歩先に自分と同じように考え、同じように振る舞っていた。鏡に映したように、自分がその跡をなぞろうとしていたことが、竹松にはおかしかった。

 発想が重なり合っていただけに、ビル・アトキンソンというマックペイントの書き手の非凡さは逆に際だって浮かび上がって見えた。

 驚かされたのは、自由に範囲を選んでエリアごと移動できるようにした、投げ縄のアイコンで示された機能だった。長方形や円といった決まりきったパターンを動かせるようにすることは、竹松たちも考えていた。だが投げ縄を使えば、画面上の絵の中からハサミを使ったように自由自在に一部を切り抜いて動かすことができた。初代のマッキントッシュが備えていたわずか128Kバイトのメモリで、どうやってこの機能が実現できたかを推理していく作業には、気の利いたミステリーでも読んでいるような知的興奮を覚えた。


 マッキントッシュそのものに対する共感も、竹松にはあった。

 3Dマスターとこれに続くお絵かきソフトのインターフェイスは、「パーソナル・ダイナミック・メディア」の論文だけをたよりに、竹松たちがアルト用に開発されたスモールトークの流儀にならって組み立てた。PC-100にはボタンの2つ付いたマイクロソフト製のマウスが採用されており、竹松たちは右のボタンを押すことで隠れていたメニューを画面上に呼び出すスタイルをとった。呼び出したメニューは、画面上の任意の位置に動かして置いておくことができた。一方マッキントッシュは、画面の上に横1列に文字で項目を並べる、リサに採用されたメニューバー方式を踏襲していた。

 マッキントッシュは、ウインドウやメニューを組み立てるソフトウェアの部品をあらかじめ用意し、ツールボックスと名付けてROMに収めていた。プログラムの書き手は、これを組み合わせるようにして画面上でインターフェイスを作るよう、導かれていた。

 ツールボックス内の部品がじつに巧妙に作られていることや、サードパーティーが各々マッキントッシュ用のアプリケーションを書いたとしても、同じツールボックスの部品を使わせれば使い勝手をそろえられるというアップル側の戦略には感心させられた。ただし、3Dマスターを書くにあたっては自分たちも部品に相当するグラフィックライブラリーを用意し、お絵かきソフト以降もこれを当然活用しようと考えていただけに、驚きよりはむしろ共感のほうが強かった。

 マッキントッシュはPC-100の兄弟ではあっても、師や神や手本ではありえなかった。マッキントッシュの画面が白黒の小さなものにとどまっていることを考えれば、アプリケーションを開発する対象としてPC-100は充分に魅力的だった。もともと小さな画面を、メニューバーを常時表示しておくことで、マッキントッシュがなおいっそう小さくしている点にも、納得がいかなかった。

 1984(昭和59)年2月、竹松たちは藤井展之を社長に、株式会社ダイナウェアを正式に設立した。大阪府豊中市のビルの1室に借りた事務所で、竹松はお絵かきソフトの開発にはまり込んだ。

 アートマスターと名付けられたお絵かきソフトは、この年の4月、再びシステムソフトから発売された。

 当初はシステムソフトからの販売という形をとってスタートしたダイナウェアだったが、藤井は自社ブランドへの切り替えを早急に進めたいと考えていた。ターゲットは、発表済みの2次元と3次元のグラフィックス製品の強化版に置き、3人のエンジニアは間をおかずに開発作業を進めていった。

 彼らはPC-100をパーソナル・ダイナミック・メディアとして成立させる試みに賭けていた。

 だがダイナウェアが魂を吹き込もうと試みたPC-100は、そのときすでに未来を失いかけていた。

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