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転職。決断のとき

第42回 スキルアップとキャリアアップを両立したい

加山恵美
2007/7/9


転職が当たり前の時代になった。それでも、転職を決断するのは容易なことではない。スキルを上げるため、キャリアを磨くため、これまでと異なる職種にチャレンジしたり、給料アップを狙ったり――。多くのエンジニアが知りたいのは、転職で思ったとおり仕事ができた、給料が上がった、といったことではなく、転職に至る思考プロセスや決断の理由かもしれない。本連載では、主に@ITジョブエージェントを利用して転職したエンジニアに、転職の決断について尋ねた。


今回の転職者:藤田健二氏(35歳)
専門学校卒業後、小規模の開発会社に入社。大手通信会社の研究所でテスト業務を行う。もっと開発に携わりたいという気持ちから、中規模の開発会社に転職。新しい技術を使ったプロジェクトに満足しつつも、社風が合わず再度転職。大手の開発会社に入社し、さらにスキルを身に付ける。しかし、キャリアアップをしても現場に携われる環境、つまりキャリアアップとスキルアップを両立できる環境を求め、3回目の転職を決意し、現在に至る。

 ITエンジニアとしては「やる気満々」だが、就職運には見放されていた。転職すれど、いい待遇には恵まれない。新しい技術に触れることを心の支えとし、過酷な環境でもタフに仕事をこなしていく。だが、ある日気がついた。「いまの会社ではスキルアップとキャリアップは両立できない」と。そこでまた転職を決意する。それまでの軌跡を追ってみよう。

小学校の卒業文集に「将来はプログラマ」

 今回の転職者、藤田健二氏はやや細身で端正な顔立ちをした30代中ごろの男性だ。PCとの出会いは小学校3年生と早い。まだ記憶媒体がカセットテープだった時代、友達の父親が所有するPCを仲間と一緒に触ることができた。

 友達と遊んだコンピュータゲームは藤田氏の人生の目標を変えたという。それまで将来の夢といえば「飛行機のパイロットや宇宙飛行士」を思い描いていたのに、小学校の卒業文集には「プログラマ」と宣言するようになっていた。

 中学では陸上部で身体を鍛えつつ、念願だった自分のPC(シャープ X1)を購入した。それまで蓄積したお年玉貯金を一気に切り崩して購入した。当時はもっぱらゲームに没頭しており、「将来はゲームを作る人間になる」と当然のように考えていた。

 高校では男子バレー部を立ち上げるが、腰を故障し部活は断念せざるを得なくなった。その代わりか、PCに熱中した。そしてX68000に手を伸ばす。当時40万円もする高額なPCである。秋葉原で安い店を探し、分割払いの申込書を家に持ち帰った。親は「あんた、分かっているの?」とあきれる始末。しかしガソリンスタンドやコンビニなどアルバイトを複数こなし、1年ほどで借金は完済した。

TRONに魅了され、コンピュータアート科へ

 中学生のころ、映画「TRON」が話題を集めていた。コンピュータグラフィックをふんだんに使ったこの映画に、当然ながら藤田氏も衝撃を受けた。以後、テレビで放映されるときは欠かさず見るようになった。これをきっかけとして、コンピュータグラフィック(CG)に興味を持つ始めた。

 進学先を考えるに当たり、一方、PCを触るほかに絵を描くことも好きだったため、「将来はPCか絵画」の2方向で揺れていた。「大学にも興味があるけど、それ以外の道はどうなのかな」と専門学校のチラシも見渡した。PCと絵画に興味があったため、「コンピュータアート科」がある専門学校が目に留まった。そのチラシは当時珍しいCGを使ったもので、興味を持った藤田氏は実際にその学校へ見学に行ことにした。そこで藤田氏が目にしたのは、人の顔をリアルタイムレンダリングしながら動かすというデモ。そのクオリティの高さに衝撃を受けた。自分が進むべき道は「ここかもしれない」と直感した。

 専門学校ではC言語やアセンブラといったコンピュータ言語はじめ、色彩学や映像論なども学んだ。このころには趣味でゲームをすることはあまりなくなった。授業で飽きるほどやっているのだから無理はない。そろそろお腹いっぱいというところだろう。高額なX68000もあっさりと友達に売り払ってしまう。

就職氷河期の始まり、1年まるまる就職活動

 卒業が近づくと、就職活動を開始した。1993年。バブルがはじけた影響が学生にもじわりと広がり始めたころである。それまで売り手市場だった新卒採用だったが、企業は大卒男子以外の専門学校生や大卒女子を切り捨てるようになった。

 実際、その前年には不況を理由として学生の採用内定を取り消す企業が相次ぎ、社会問題化していた。これにより労働省(当時)は「新規学校卒業者の募集中止及び募集の人員削減、採用内定取消し、入職時期繰り下げを行う場合は、公共職業安定所又は学校に対して事前通知をすること」を義務づける省令を1993年4月1日に公布したことがあったくらいだ。

 この省令により内定取消の心配は減ったものの、今度は内定が出にくくなった。藤田氏は1年掛けて就職活動を続けた。しかし、どこに応募してもだめ。あらゆる手を尽くしてもだめ。遂に卒業式も終えてしまった3月下旬、ようやく1社が内定を出してくれた。「今週末から来てくれる?」

 1年がかりの就職活動がようやく終わった。

   

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