第42回 スキルアップとキャリアアップを両立したい
加山恵美
2007/7/9
■機械の検証に嫌気、近場の開発会社へ転職
就職した先は8名の社員でソフトウェア開発を行う零細企業だった。基本的に小さなプロジェクトを1人で担当する。下請け開発がほとんどだった。1年目から通信会社の研究所に派遣され、携帯電話の基地局(アンテナ)の調査を行っていた。大規模な通信設備に囲まれ、擬似的に携帯電話の信号を送り検証を繰り返す。
ここでの作業は徹底的に機械の検証で、開発の要素がまるでなかった。「こんなことをするために会社に入ったわけではないのに」と違和感を抱えるようになる。待遇もあまりよくない。零細企業だから無理もないのだが、ボーナスはないし、この先給料が上がる見込みはない。
そこで新しい就職先を探すべく、新聞の折り込み広告を見るようになった。ある時、ソフトウェア開発会社の横浜事業所の募集案内を見つけた。「近いから、ここでもいいかな」と軽い気持ちで応募した。何よりも「開発をしたい」という気持ちが強かった。
調べてみると、その会社は200人ほどの規模で、業務内容はソフトウェア開発が中心だった。面接でITエンジニアが携わる技術内容を聞いてみると、90年代後半当時の新しい技術キーワードが並んでおり、藤田氏の心は躍った。「それって何だ?」と内心思いながらも、もうわくわくは止まらない。考えるだけで「いいなあ」と目尻が下がった。
■開発業務はいいものの、閉塞的な社風に拒絶感
ところが、入社した途端に「なんだ、この会社は?」と周囲の異様な空気を察する。どこかおかしい。社員の雰囲気や態度に生気がなく、閉塞的だった。上司には従属的で口出しなど「もってのほか」という雰囲気だった。入社したその日に肌で「合わない」と感じた。だが「少なくとも1年は続けよう」と覚悟を決めた。
ただし社風の重苦しさとは裏腹に、仕事は面白かった。まだ出て間もないWindows、DB2、Delphiといった当時の先端の開発環境を堪能した。スキルをめきめきと身に付けたのもこのころだった。社風は見通せなかったが、開発の業務については期待通りだった。
しかし、やはりこの社風では息苦しくてたまらなかった。脱出するにはどこか新しいところを探さなくてはならない。そんな折り、結婚したばかりの妻が「うちの会社に来る?」と提案してきた。
彼女は通信会社の研究所で検証をしていた当時、一緒に働いていた別の開発会社のITエンジニアの1人だった。彼女から見て、彼女の会社は「人遣いが荒い」と感じていたものの、その話に乗ってみることにした。
通常の応募と同様に書類審査や面接を受け、無事に合格となる。これで2回目の転職が決まった。
■目の前の技術が未知であるほど心くすぐられる
3つめの会社は社員規模が5000人。ソフトウェア開発ではそこそこ名の知れた会社だ。
妻から聞いていて覚悟していたものの、想像通りに人遣いが荒かった。月間の残業時間の上限が定められていたが、月が始まるとすぐに上限に達してしまう勢いだった。徹夜や終電は珍しくなく、たまに職場で身体をこわす人もいた。藤田氏も3週間に1度くらいは体調を崩して倒れた。それでも健康への致命的な影響がなかったというのだから、なんともタフである。
厳しい労働条件にもかかわらず、相変わらず新しい技術には心がおどるようだった。新しい技術を目にすると過酷な労働も忘れてしまうのだろうか。保険会社の営業社員が使う端末の開発に携わった時は、VCを前に「クラスってなんだろう」とわくわくしていた。藤田氏は目の前の技術が未知であるほど心がくすぐられるらしい。
少しして別のプロジェクトから「3カ月でいいから」と応援の要請が来た。元は3人で開発していたプロジェクトだったが、進ちょくが思わしくなく、さらにメンバーが次々に退社してしまったのだ。よくプロジェクトで「火を噴いた」ということがあるが、この場合はメンバー総退社で「崩壊した」ようなものである。
7〜8人が結集してプログラムの中身を分析するが、さんざんなものだった。「これはもう作り直しするしかない」と新メンバーでスケジュールを引き直し、開発を再スタートさせた。
■リーダーにならないと給料は上がらない
当初は「3カ月の助っ人」のはずだったが、結局は一からやり直しで1年弱はかかわることになった。これ以降も、数カ月から1年ほどのプロジェクトを転々とする。請負開発をしていても、突然、火を噴いたプロジェクトの応援に入ることもあった。こうして短期間で人をやりくりする手法がこの会社のやり方だった。
体力的にはきついが、給料はもらえていたし、周囲の人間関係も良好、何よりもスキルを得ることができたので転職を思い至るまでにはつながらなかった。藤田氏にはプログラミングや開発ができれば幸せで、出世欲はあまりなかった。当初は過酷さから「5年くらいしか持たないのでは?」なんて思っていたが、意外と辞める気にはならなかった。
ただし給料が上がらないことには疑問を感じるようになってきた。いくら技術好きのITエンジニアといっても、家では子を育てる親になったのだから当然だろう。給料が上がらないことに疑問を感じ、理由を上司に聞いた。すると、「この会社ではスキルが上がっても給料とは関係がない。プロジェクトのリーダーにならないと給料は上がらない」と説明を受けた。
本人としては望まないことではあったが、給料を上げるためにプロジェクトのリーダーを引き受けることにした。この時、藤田氏は29歳。このころからプロジェクトのリーダーとしてプロジェクトをコントロールする立場へとなっていく。会社で給料を上げるコツを会得し、仕事をこなしていった。
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