第49回 自力でつかんだネットワークスペシャリストへの道
加山恵美
2009/1/7
■3年が過ぎ、退職を思い立つも一時保留
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待遇の悪さを「石の上にも3年」と我慢することにしていた福沢氏。いよいよその3年が過ぎようとしていた。年収は300万円台にとどまり、将来伸びる見込みも少なかった。次第に福沢氏は、積み上げた経験を基に転職してキャリアアップすることを考えるようになってきた。
転職の意思を上司に相談すると、当然ながら引き留められた。そこで給与に不満があることを正直に告げると、上司は半年以内に経営者が交代し給与体系が見直される可能性を示唆した。周囲の動きを見ると、それは信用できる話のように聞こえた。そこで福沢氏は「半年後の社長交代を見届け、給与体系の改善具合を見てあらためて転職を判断しよう」と思い直した。
その後アサインされたのは、やや規模の大きいLAN刷新のプロジェクトだった。かなり困難なプロジェクトだったが、その理由は規模ではなく、技術情報が少ないことにあった。福沢氏が得意としていたのは国産のルータだったが、今回はあまり経験のない外国製のスイッチである。また導入実績の少ない製品だったため、詳しい技術者もいなかったのだ。
毎日残業が続いた。常に終電ぎりぎり。現場は自宅から遠く、移動に何時間も費やさなくてはならなかった。「おまけに現場に向かう電車のいすが硬くて……」と、福沢氏は当時を思い出して苦笑いする。
■先輩の思いがけない裏切り行為に退職を決意
担当は主に福沢氏と先輩社員の2人だったが、人員不足は目に見えていた。福沢氏は何度か上司に増員を申し出たが、上司は動かなかった。
過酷な作業が続いたのに加え、現場には理不尽かつ非効率な指示を出す関係者がいて、精神的な苦痛も増えてきた。だが「ここで自分が辞めたら残された先輩がつらくなる」と思い、何とか乗り切ろうと仕事をこなしていた。
そんなある日、疲労困憊(こんぱい)の福沢氏の身にショックなことが起きた。たまたま職場を歩いていたら、向こうに先輩の姿を見かけた。歩み寄って話しかけようとしたら、先輩が上司と電話で話していることに気づいた。邪魔してはいけないと思い立ち止まったところ、耳を疑うような言葉を聞いた。なんと、先輩は自分の陰口をたたいていたのだ。
信頼していた先輩が上司に自分の悪口をいっているなんて。内容もまったく身に覚えのないものだった。電話を切った先輩に、福沢氏は「どういうことですか」と問いただした。だが先輩は「いや、何でもない」とその場を去った。しばらくしていい訳じみたメールが届いたが、まったく誠意が感じられないものだった。
信じていた先輩に裏切られたショックは大きかった。ここで辞めたら先輩がつらくなると思って耐えていたのに、こんな仕打ちに遭うとは。福沢氏は動揺を抑え、緊急度の高い仕事を片付け、関係者に作業指示を出すと翌日の有給休暇を申請した。
怒りはなかなか収まらなかった。休みの間によく考えたが、もう会社に残る気はなかった。しばらくして、再度上司に退職を申し出た。今度は上司は引き留めなかった。また現場には2人増員が決まった。
退職日はすぐに2週間後と決まった。その間はずっと引き継ぎに追われ、次の転職先を探すどころではなかった。あっという間に時間が過ぎ、福沢氏は会社を去った。
突発的に会社を飛び出してしまったことになるが、福沢氏は後悔していない。もともと辞めようと思っていた会社だ。それに「この先、一生働くのだから、たまには間を空けることも大事」という。
■元請けのネットワークスペシャリストになりたい
退職から2〜3カ月して、福沢氏は気持ちも新たに転職活動を開始した。@ITジョブエージェントに登録し、何人かのコンサルタントからメールを受け取って、記事で顔を見たことがあるコンサルタントと会うことにした。
最終的にサポートを受けることを決めたコンサルタントは、ベインキャリージャパンの河原氏。「最初のメールで、定型文を使っていない割合が最も高かったからです」と福沢氏は語る。自分のプロフィールを読み込んで丁寧にアドバイスしてくれ、伝えにくいこともメールではなく口頭で伝えるといった対応に、好感と信頼感を抱いたのも大きな理由だった。
得意分野を生かすべく、福沢氏はネットワークのスペシャリストとして働くことを希望した。ただし将来はネットワークだけではなく、サーバやアプリケーションも含めて手がけられるようになりたいと思い、プライマリで包括的なシステム構築にかかわれる会社に狙いを定めた。
いくつかの会社に応募したが、中には「離職期間が長い」という理由で断ってきたところもあった。だが福沢氏は、怠惰に過ごしていたわけではない。最初の離職時は自動車業界からIT業界への転職を実現するため、テクニカルエンジニア試験に挑戦できるほど勉強していたのだ。次の離職も期間は2〜3カ月であり、問題視されるほど長いとは思えなかった。その是非はともかく、離職期間の長さを理由に採用を断る会社もあることを痛感した。
■ようやく落ち着いて力を発揮できる環境に
最終的には比較的自宅から近く、プライマリでECサイトの構築や運用を手がける会社を選んだ。社員が少ない割に、近年急激に売り上げを伸ばしている会社だ。
入社してみて分かったのが、社長がかなりのやり手で技術にも精通していたことだ。ある程度機器をセットアップすると先輩が「後は社長がやるから」とあっけらかんという。社長自ら技術に強いということが、いまの福沢氏には非常に魅力的に感じられるそうだ。これまでの社長はシステム、特にネットワーク技術には疎かったからだ。
最初の会社で業界自体に失望するも、IT業界を目指して地道に努力。未経験ながら、興味を持ったネットワーク関連の職種で採用され、待遇の悪さも「修行期間」と我慢した。そして、ネットワークエンジニアとして着実に実力を付けていった。
今回の転職で、福沢氏は名実ともにネットワークスペシャリストとなり、それに見合う評価を受けられるようになった。「これまでいろいろとありましたが、ようやく落ち着ける会社にたどり着いたような気がします」という。最適な環境を経て、今後もますます力を発揮していくことだろう。
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