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転職。決断のとき

第53回 「3日+5分」で転職が決まった“情熱派”中国人エンジニア

金武明日香(@IT自分戦略研究所)
2010/6/11

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転職が当たり前の時代になった。それでも、転職を決断するのは容易なことではない。スキルを上げるため、キャリアを磨くため、これまでと異なる職種にチャレンジしたり、給料アップを狙ったり――。多くのエンジニアが知りたいのは、転職で思ったとおりの仕事ができた、給料が上がった、といったことではなく、転職に至る思考プロセスや決断の理由なのかもしれない。本連載では、主に@ITジョブエージェントを利用して転職したエンジニアに、転職の決断理由を尋ねた。

今回の転職者:徐廷氏
中国 杭州出身。中国で日系企業2社でエンジニアとして働き、来日。派遣エンジニアとして働く傍ら、iPhoneアプリ制作を行う。「数百万人に使ってもらうサービスを作りたい」という思いで、ECナビの子会社ジェネシックスへ転職した。

 今回、話を聞いた転職者は徐廷(じょてい)氏。中国出身のエンジニアで、2007年に日本へやってきた。現在は、ECナビ子会社のジェネシックスで働いている。

 「中国の日系企業2社で働いた後に来日」という経歴を聞くと、まるで日本に来る強い意志があった、もしくは来るべくして来た技術者、という印象を受ける。しかし、徐氏によれば「日本に来ることになったのは偶然だった」というから面白い。そして、この「偶然」という言葉は、徐氏のキャリアにとって大きな意味を持つ。中国から日本へ、そしてジェネシックスに勤めることになった経緯を聞いた。

徐廷氏
ジェネシックス 徐廷氏

中国の日系企業で技術者として働く

 徐氏がエンジニアの仕事に興味を持ったのは高校生のころ。大学時代は物理学を専攻していたが、就職活動中に「やはりエンジニアになりたい」と思い、南京にある日系オフショア開発の企業に就職した。社長と知り合いだった徐氏の友人が、「きっと社長と君は話が合う」と紹介してくれたのがきっかけだった。徐氏は当初「日系企業に行こう」というつもりはなく、むしろ欧米系の企業に就職しようと思っていたらしい。だが、この出会いは大きかった。「社長はとても熱い情熱を持った人で、この人と一緒に働きたいと思いました」と、徐氏は笑顔を見せる。

 現場で開発経験を積んで3年後、徐氏は「地元の杭州に帰ろう」と思いたった。杭州の会社をいくつか受け、最も連絡が早かったNECシステムテクノロジーの子会社に転職した。日系企業が2つ続いたのは「本当に偶然だった」という。

「日本語を勉強したい!」その思いで会社を辞めた

 NECシステムテクノロジー子会社に就職したことが、徐氏のキャリアに大きく影響することになった。それまで働いていた会社では日本語を使う機会はほとんどなかったが、今度の現場は違った。仕事で日本語に触れる機会ができたのだ。

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 徐氏は技術者として応募し、就職した。ところが、現場に着くと突然「プロジェクトリーダーをやってほしい」といわれたという。徐氏はその仕事を引き受け、プロジェクトリーダーとして2年半働いた。徐氏がかかわったプロジェクトでは、日本側とのやりとりがそれなりにあった。「メールやテレビ会議で日本側とコミュニケーションするうちに、日本語に興味を持つようになりました」と徐氏は振り返る。

 仕事の傍ら、徐氏は日本語の勉強を始めるようになった。「しかし、やはり語学の勉強と仕事の両立は難しかった」と徐氏は漏らす。「もう少しきちんと話せるようになりたい」、その思いが徐氏を動かした。「仕事か日本語か」と考えた際、徐氏は日本語を学ぶこと、つまり会社を辞めることを選んだ。

 「会社で日本語を勉強し続ける選択肢はなかったのか」と聞くと、「開発拠点はすべて中国にあるため、仕事で日本に行けるチャンスがそう多くない。日本語を学ぶ環境としては限界があると思った」という答えが返ってきた。なんとも思い切った決断である。

派遣エンジニア時代。そして大不況時代がやってくる

 徐氏は2007年に会社を辞め、日本にやってきた。空港に降り立った当時は、まだほとんど日本語を話せなかったという。徐氏は語学学校には通わず、現場の日本人を先生として日本語を学び始めた。

 徐氏には、「日本語を勉強する」目的と同時に「エンジニアとして働きたい」という希望があった。日本に来て2週間後、徐氏は重機の部品管理システムを作る会社で、派遣エンジニアとして働きだした。その現場で、徐氏はある技術者に「徐さんはできる人だ。だから、何かを一緒にやりたい」と、声を掛けられた。ちょうど派遣期間が終了したこともあり、意気投合した2人はフリーランスエンジニアとして一緒の事務所で働くことにした。2008年夏のことである。

 そして、2008年9月にリーマンショックが起こった。徐氏は当時、派遣社員として小規模の受託開発を行っていた。当時まだ不況の影響はそれほど強くなく、それなりに仕事はあったという。ところが2009年4月、徐氏は契約満了を期に、派遣エンジニアをやめた。次の案件を断った徐氏が取り組んだのは、「iPhoneアプリの開発」だった。

 「ある程度貯金ができたし、一度じっくり作ってみたかった」と徐氏は語る。そこから1年あまり、徐氏はiPhoneアプリ開発に専念することになる。

貯金で生活しながらiPhoneアプリの開発に没頭

 iPhoneアプリの開発はこれまでの開発とはまったく違った、と徐氏は振り返る。「業務系システムの開発はチームでやるが、iPhoneアプリは1人で開発する。これが技術的にも精神的にもきつかったです」。

 iPhoneアプリ開発は、徐氏に新たな視点をもたらした。これまでのシステム開発では「技術者」として開発のことだけを考えていればよかったが、自分で企画を立てて販売するためには「事業責任者」としての視線が必要であることに気が付いたのだという。

 iPhoneアプリの世界は変化が早い。少しトレンドに乗り遅れるだけで、あっという間に時代遅れになる可能性がある。「これまでは問題解決優先で物事を考えていたが、結果優先で考える癖がつきました。iPhoneアプリ開発の経験はわたしを成長させてくれましたね」と徐氏は振り返る。

 最初に作った日本語学習用アプリは、数カ月の開発期間がかかったが、ほとんど売れなかった。そこで、ターゲットを変えて、日本人向けの中国語学習アプリをリリースした。こちらのアプリはそれなりに売れた。徐氏は1年ほどかけて、無料アプリを2つ、有料アプリを5つ作った。

転職活動開始。しかし、オファーはこない

 しかし、iPhoneアプリ開発はあまりもうからなかった。中国から家族が来日し、貯金は目に見えて減っていき、12月になると貯金が底をついた。

 「安定した生活が必要でした。そして、そのためにはお金が必要でした。しかし、あのままでは未来が見えなかった」。そう徐氏はつぶやく。

 2009年12月末、徐氏は就職活動を開始した。2010年1月に@ITジョブエージェントに登録。ほかにもいろいろな転職サイトに登録した。1月の前半、徐氏はひたすら「どういう会社に転職したいか」を考えた。まず、「正社員」であること。そして、「自らサービスを運営、もしくは製品を作っていること」。そのため、受託開発と派遣の仕事を避けて仕事を探した。しかし、2月まで徐氏が望むオファーはまったく来なかった。

   不況下で転職できた秘けつは「元気」「5年計画」

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